インシテミル


インシテミル

インシテミル


 いつの間に、ユリイカで特集組まれるような作家さんになられたのか、米澤先生(笑)。


 ともあれ、珍しくミステリ。
 この人も近作は非常にレベルが高くて、一時期に比べて伸び悩んでいるミステリ業界の中では非常に勢いのある方です。
 その理由は、たぶん(こういう言い方はアレですが)ミステリがマイナージャンルになりつつある事を的確に把握して、その上で世間との距離感を測りなおしているせいなんでしょう。
 この『インシテミル』を読むと、それがすごくわかります。


 実際、この作品序盤の、主人公の語りの中で展開される生活臭といったらもう、思わずニヤニヤしっぱなしになるくらいなわけです。考え方とか価値観とか、もう貧乏学生の生活感にあふれてるわけですよ。
 これは実はすごいことで。ミステリというと大半は、密室殺人だったり不可能犯罪だったりといった浮世離れした話に満ち満ちた感じで、登場人物たちも多かれ少なかれケレン味があったり変人だったりという傾向が強い。少なくとも、一般の生活感をあまり描いてしまうと、後々そういう不可能犯罪の話になったときに、落差がひどくて読み手に違和感を感じさせてしまうわけです。
 けど、米澤氏にとって、この落差こそがテーマなんですね。
 少々の不可能犯罪が起こったとしても、そこでやれトリックだ推理だと言いはじめる奴の方が非常識。それは現実ではそうなんですが、ミステリというジャンルの中ではわりとスルーされてきた考え方です。でも、新本格華やかなりし時と違い、今やミステリもSFやハイファンタジーと同じようにマイナージャンルとなりつつある中で、その「非常識」である事を一度認めてしまって、その上でもう一度ミステリを再構築しようという作者の意図がある。
 この距離感の測りなおしが、あまりミステリを読まない一般層でも違和感なく読めるように上手く作品を位置づけさせられている。
 作中、12人の登場人物が外に出られないような状況で、ある建物の中に閉じ込められます。で、その建物の食堂には、人数分のネイティブアメリカンの人形が置かれている。
 けど、それを見てアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を連想するような人は、作中では「空気の読めないミステリ読み」という呼ばれ方で括られてしまいます(笑)。
 このレベルの有名作品だって、読者が「読んでいて当然」という前提で話を進められないんですよね、今や。それを悟っているからこそ、この作中でも、ミステリ小説を彷彿とさせる道具立てをすべて「悪趣味なもの」と括ってしまい、一般人の日常の価値観で事態を語っていくわけです。


 で。
 それにも関わらず、悪趣味で非常識と目も向けられなかったミステリ的な要素や考え方、価値観がじわじわと作中人物たちを侵していく過程が、また見事なわけです。


 ともあれ、最後まで非常に面白く読みました。
 ミステリを読んだことのない人にも、安心して薦められる良作です。