自作「伝奇関係データベース」より 花咲爺ほか

   花咲爺
「昔、人のよい婆さまが川に洗濯にいき、流れてくる箱を拾ってみると子犬がいる。大事に育てる。爺・婆はその犬をつれて山に行き、転んだところで小判を掘りあてる。隣りの欲張り婆がその犬を借りて山に行くが、蛇やむかでが出たので、犬を殺して埋め、その上に松の木を植えた。人のよい爺さんがその松の木で臼をつくって搗くと、また、小判がでる。隣りの欲深の爺がその臼を借りて搗くと瓦や瀬戸かけがでる。よい爺さんは焼かれた臼の灰で枯木に花を咲かせ、殿様から褒美を貰うが、隣りの爺はまねて失敗する。」(新潟県長岡市


・花咲爺で活躍する犬の出自について、桃太郎などと同じように「川上から」箱などに入って流れてきたと語る地方が、山形県福島県新潟県静岡県などにある。
 一方、福井県坂井郡雄島村では「松原の中で可愛らしい子犬が、わしを子にして下さらぬかと呼びかける」。また福岡県鞍手郡では、「貧乏なる爺が、年の暮に、譲葉と橙を売りに出て、少しも売れずに帰る途すがら、それを神に捧げるといって、海中へ投げ込む。すると海神が現れて、お礼にといって一匹の狆を賜る」という筋。
 また、香川県三豊郡志々島では、白い犬は竜宮へ行った土産としてもらってくる。

・中国の寧波地方に伝わる伝承で、「応該有」という猫のような小動物を竜宮からの土産にもらい、それが金塊を排泄して愚直な兄夫婦を長者にするという話がある。

・その他、中国の類話で主なものに「狗耕田」「耕田狗」と呼ばれる系統の話があるが、この場合、財宝を掘り当てるよりも、犬が牛の代わりに犂を引いてそれによって大きな収穫を得るというのが主眼の話となる。
 その後の話の展開には数パターンあるが、いずれにせよ日中とも、この犬をメインに据えた場合には正直者の爺と欲深の爺(中国説話の場合は多く兄弟)とが、幸・不幸を一つの話の中で繰り返すという構図がわりと共通して見られる。

参照:伊藤清司『〈花咲爺〉の源流』(ジャパン・パブリッシャーズ)


 先日公開された、東方最新作『東方地霊殿』のスクリーンショットで「花咲爺」というスペカがあったようなので、記念に掲示してみる。
 もっとも、こういう昔話や説話というのは、どうもこのデータベース形式だと扱いにくいですね。類話をいちいち拾って収録してたらキリがないし、それらへの学者ごとの解釈を拾うというのも、分類管理が大変すぎてちょっと無理っぽいし。
 このカードも、データベースを作り始めた一番最初期のものなんで、ちょっと上手くないなぁと思ってるところ。
 昔話なんかは、基本的な話形だけを押さえるのみに留めた方が良さそうです。なんたって、某宗像教授の言によれば、途中まで桃太郎で途中から花咲爺の話にスイッチするとかいう、カオスな話も採取されてるらしいし(桃から生まれた桃太郎が、隣の強欲爺さんに殺されてしまい、その死体の灰で枯れ木に花を咲かせるとかw)。


 むしろ、このデータベースが活きるのは、人物、場所、寺社などのデータを一元管理して、それらを横方向に通覧したり検索したりすること。たとえば、こんなの。


   崇徳院地蔵
・京都鴨川の東岸、旧聖護院村にあたる積善院の境内にある。像高2メートル余。

・俗称を「人食い地蔵」という。「ストクイン」が訛ってそう呼ばれるようになったという。
 正徳元年(1711年)刊の『山城名勝志』巻十三「崇徳院御影堂」の項目に、「土人ヒトクイト云、崇徳院ヲ唱ヘ誤ルニヤ」とあり、そのころにはもう人食いと呼ばれていた模様。

・もとは聖護院の森の西方にあった崇徳院御影堂の遺仏だったが、鴨川の洪水や後世の兵火を経て積善院に移る。明治三十二年のこと。 →崇徳院


 地蔵なのに人食いってのも凄いですが。
 崇徳院は、保元の乱で讃岐に流された第75代天皇。怨霊伝説があり、『雨月物語』「白峰」では、陵墓を訪れた西行の前に現れ、世を呪って見せます。御霊信仰(怨霊を鎮め、疫病や天災を避けて平穏を得ようとする日本の信仰の一つ)で祀られる人物の代表例ですね。
 ともあれ、こんな感じで全国の寺社の縁起や伝奇寄りのエピソード、要素などを取り上げてデータベース化するというのが主たる用途です。
 使ってるデータベースソフトには検索機能もあるので、たとえば後日、崇徳院をネタに何か書こうと思い立った時、検索をかければこの記事を含め「崇徳院」がらみのネタを片っ端から拾って読めると。
 ああ……夢のようです(ウットリ