脳内別人格


脳内妹の予定調和疑惑払拭が必死すぎて笑える件について - 「玖足手帖」(呶呶日日)
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20080607/1212771335


 私の友人のアマチュア小説書きに一人、自分の作品の登場人物に、電車の中で30分くらい延々説教され続けたという人がいますが(笑)。
 私自身もたまに、自分の作品の登場人物と会話することがあったりはします。で、「あれ、君そういうこと考えてる人だったんだ」って驚かされて、それを契機に作品のプロットまで変わってみたりとかね。


 まあ、こういうのって経験した人でないと、なかなか実感つかめないだろうなとは思うんですが。
 言葉で説明するなら……我々が普段「意識」と呼んでるのは、ものすごい表層のところにあるもので、実は内面にあるいろんな、時に分裂した思考の断片を管理統合してまとめあげたものなんだ、って事なんですがね。
 たとえば、あなたが今会社で残業してるとしましょう。別に試験勉強でも良いですが。とりあえず目の前にある仕事や課題をやらなきゃいけない、というのが意識の上での総意なんですけど、内面では「もうこんなの放り投げて、遊びたいよ」っていう意思もあるわけです。そういう風に内心思ってる部分もあるんだけど、とりあえず目の前の仕事をやらないわけにいかない、っていうのが自明なので、そういう内面の声は抑圧されちゃってるんですね。
 たとえば、この抑圧された内心にキャラを与えれば、「ねー遊ぼうよー」とか言い出すわけですよ。で、表層意識の代表である「私」が「今手が離せないの」と答える。
 大雑把に言ってしまえば、脳内でかわされる会話っていうのはそういう仕組みのもので。


 で、これだけだと、「予定調和」だとコメントした人の言葉が的を射ているように思えるんですが。
 たとえば、こういう形で抑圧されている中には、それこそ「生きるとは何か」とか、そういうとんでもなく遠大なことを考えてるステージも存在するわけです。他にも、意識されないいろんな思考の断片が頭の中に渦巻いていると思うのね。
 そして、「脳内会話」における会話は、そういう、普段は拾い上げられる事もない、意識されないステージでの思考の断片を増幅して、表層の意識にぶつけるという効果を持つ場合もありえます。
 日常生活のレベルであくせく動いている表層の思考に、突然「死ぬって何?」とか、そういう異なるレベルの思考がぶつけられたら、表層の意識が動揺したりすることもありえる。


 まあ、私も、自分の作品のキャラと会話してて、いきなり「ねぇ、人間の感情で一番綺麗なのは何だか知ってる?」とか聞かれて、返答に窮した事があったりするんですが。


 そういう意味で、脳内会話というのは意外にスリリングだったりする場合もあったりするのでした。