スカイ・クロラとポニョ


 ベネチアに招かれたとかいうアニメ作品二つを結局両方見たことになるんですが。
 どちらを取るかと言われれば、私は――ポニョを取るかなぁ。


 無論、私は中学時代からの熱心な(笑)宮崎駿ファンだったんであり、一方押井作品にはそこまでの思い入れはなく(ていうか今回が初押井作品)。そこは差し引いて考えないといけませんが。


 やっぱり、私にとって一番重要な評価軸は、「映像としてどうなのか」なんですよ。アニメ作品をわざわざ映画館まで見に行く以上は、まず画面に力があったかどうかが気になるんです。だって、アニメ作品の一番の武器って、現実にあり得ない如何なる映像をも作れる事なんだと思うし。
 だから、わざわざ映画館で見るアニメには、「今まで見たこともないような映像」を見せて欲しいって、それはずっと昔から私が思ってる事なのです。



 ちょっと前に読んで、けっこうショックだったポニョ感想にこんなのがありました。


ポニョ見たけど、男の師匠も友達もいない宗介と、オタク的に都合の良い「聖なる女性賛美」が強すぎて駄目でした - さて次の企画は
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080727/1217148806


 何がって、この方、以前うちで取り上げた「90年代キーワード“不殺”」を書いた方なんですよね。
http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20060820/p9
↑こちら参照


 そういう確固とした目線を持った方が、ポニョを見てこういう感想に傾くっていうのが、あーそういうものなんだー、っていう感慨がちょっとあって。
 分かるんですよ。上記ポニョ感想で、乙木さんが感じた違和感は私も感じたのだし。基本的に作品論としては主に少年漫画を取り上げてる方なんで、その文脈でポニョを見ればこういう感想にもなるかなっていう気はするし。


 けど、個人的に思うんですが……このエントリーで語られているような「理屈」が気になって、それでポニョが「楽しめませんでした」っていうのは、単にそれは不幸なだけだ、っていう気がする。
 だって、作品の構造分析なんて後で良いじゃん? そんなのはさ、映画館を出て、近くの喫茶店に入ってコーヒーか何か頼んで、一息吐いて、さてそれから今見たものを思い返して、あれこれ考えれば良いんであって。
 見ている間は、とりあえず目の前に展開している映像を、集中して見れば良いのにって。そしてそういうレベルで見ている間は、少なくとも『ポニョ』はそれなりに楽しめる作品なんじゃないかなぁっていう気はするんです。やっぱ映像は凄いなぁって思うし、あの作品にも「今まで見たこともない映像」が沢山あって、それがやたら力強くて「すげぇ」って私は思った。
 初見の感動が得られるチャンスは一回しかない。変に理屈を捏ね回すのに集中してるうちに、次の瞬間スクリーン上で決定的な何かが起こったら、それを見逃したら、劇場で作品見る意味なんかないですよ。


 だから、私はアニメ映画を見に行って、その感想を書く時は必ず、思いつく限りでまず「映像がどうだったか」を忘れないうちに書くことにしています。作品の細かいところやストーリーラインを分析したりする前に。
 なぜなら、それが初見での感想の一番の肝だから。そこを書いておかないと、後で読み返しても、自分が最初にその作品を見た時にどう感じたのかが辿れなくなってしまうから。


 確かに、ポニョはシナリオ的に、否、全体的に歪な作品だと思います。欠陥もいっぱいある。
 けど、そんな欠陥を箇条書きにするのは、家に帰ってからでもできる。とりあえず頭カラッポにして、目の前の映像に没入したって良いじゃない?
 宮崎はそういう部分ではやっぱり良い仕事してたと思いますよ。映像に没入して見ると、やっぱり気持ち良いもん。ポニョが変なクスリの入った井戸(何なんだろうね、あれ?w)に入っちゃって、人間になって、家を抜け出して、嵐になって、宗助目掛けて海の上を疾走していって。
 あのシーン、ポニョの妹たち(?)も一緒に家から飛び出して、金色の魚になって海面からドーンと吹き上がってって辺りで、一緒に盛り上がって内心叫んでました私、「うおおおおおおおおおっ!?」てw
 あの麻薬的な映像快感を、たかが理屈ごときに邪魔されて感じられなかったなんて、それはもう不幸としか(笑)。


 で。
 ひるがえって、そういう部分こそが、私が二つを比べて『スカイ・クロラ』を取らなかった理由だったりします。
 結局、思わせぶりなセリフが振りまかれ、登場人物の口から背景設定が(長々と)語られ、また「父殺し」をはじめけっこう作中に構図っていうか型を作ろうとしている感じがあって。
 たとえば、カンナミたちの飛行場に出資者たちが見学に来るっていうエピソードの辺りが、なんか原作よりも風刺っぽい空気が強くて(セリフとかも)。その風刺を通じて、作品世界から頭が現実に戻されちゃったように感じたりとか。
 要するに、初見の段階から、観客の頭の中に理屈を誘発するような要素がなんか散りばめられてる感じがするんですよね。あちこちで取られてる「間」も、そういう効果を生んでる気がします。
 で、そんな感じで、気付いたら理屈を捏ね回しながら見ることになってた、っていうのが、なんか気持ちよくなかったんです(笑)。
 空戦描写が素晴らしくて、そういうシーンではのめり込んで見てただけに、そこから日常シーンになった時に落差が辛かったなぁ、と。


 そんな感じ。


 ちなみに、もし私が『スカイ・クロラ』を映画化する監督の立場だったとしたら。
 多分、戦闘機のエンジンやプロペラの音をもっと抑えると思う。通信も日本語にして、パイロットの息遣いが聞こえる演出とかも止める。で、パイロットのクールな、淡々とした戦闘っていう原作の雰囲気をもっと出そうとすると思います。
 原作の地の文にあった、「あと四秒で敵は撃つ」とか、(撃ってきた敵に対して)「気の早いやつ……全然早い」とかを呟かせたり。
空戦のリアルさはなくなってしまうかも知れませんけど、本当にチェスでもするようなパイロットの“あの”淡白さを、どうにか再現しようと色々試行錯誤するだろうなぁと。それがそのままカッコよさになるような表現を模索する。
 それなら、戦闘以外のシーンの静かさとも、もっとバランスが取れるかなと思ったりしています。まあ、売れない映画になってしまいそうな気もしますが(笑)。