スカイ・クロラ


 見て来ました。
 休日を利用してちょろっと。
 一応私、押井守作品は初めて見ます。今までも基本的に押井作品は見に行ってなかったんで――今回に関しても、話題作だから見に行ったとかいうよりは、単に高校時代からそれなりに親しんでた森博嗣作品の映像化だから見に行った、というのが正直なところ。


 で、とりあえずの感想から言いますと、楽しみました。
 特に空戦描写はさすがの一言。とにかく圧倒されたとしか言いようがないくらいです。
 映画開始前の予告編でスターウォーズのスピンアウトみたいなCG作品の紹介が少し入ったんですが、もうなんか、CGによる描写でいえばもうこっちのスカイ・クロラの方が勝ってるんじゃね? とか思ってしまうくらい。ありゃ凄いです。
 あの空戦描写を味わうためだけに、劇場で見ても良いってくらいです。DVDになってから見るのじゃ、ちょっともったいないかなってくらい。


 ……と、まるで映画会社の回し者のような発言をしてみる(笑)。いやとにかく凄かったんだ。


 しかし一方で、それらめちゃめちゃリアルなCGによるメカと、人物などのアニメの部分とがものすごく乖離して感じられてしまって、それが戸惑いになったりもしました。
 昔ワーナーの作品で、実写の人物とアニメのキャラクターが共演するっていう作品がありましたが、正直違和感はそれくらい激しかったです。実写背景の中のアニメキャラっていう感じ。
 特に序盤、CGのリアルっぽいトーチカを背景に、犬が画面側へ走ってきてアップになって吠えるっていうシーンがあったんですが、そのシーンの違和感とか凄かった。
 んー、なんでこんな風にしたんだろ?



 そしてまた、キャラクターの芝居の面でも違和感があったり。
 多分、いわゆる映画的な演出を意識したんだと思いますが、この作品には意図的に作られた“間”がかなり多く作られてます。タバコ取り出して、火をつけて、吸って、煙吐いて、5秒くらいそのまま止まってる、とか。そんな感じの。
 ところがその間が、なんかこう、しっくり来なかった感じがあって。ちょいと前に映画版の『エヴァンゲリヲン序』を見に行った時は、意図的に作られた間がすごく「上手いなぁ」って素直に感じられたんですが、この『スカイ・クロラ』のはなんか違和感が先行してしまい。うーん?
 多分、変に実写映画的というか、文芸映画的な間の取り方をしようとしてるのが、しっくりこないんだと思います。先ほども書いたように、背景のリアルさの中でキャラクターのセル画チックなのが若干浮いてる感じがするので、そのギャップのまま「文芸映画的な」間の取り方をしても、なんか違うなーっていう感じがしてしまう。


 そしてまた、これは多分に原作村の住人的な発言になってしまいますが、ところどころ森作品らしくない、凡庸なセリフ回しが目立って、それが残念だなぁという。
 森博嗣作品の真骨頂は、空気を吐くように自然に出てくるアフォリズム(警句)だと私は思ってて。ものすごくシニカルで静かな感じがするんですよ。
 私が原作を読んだ時の印象も、以前書いた通りこうだったわけで。
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20070925/1190687209
 その中では、たとえば味方機の撃墜に立ち会って「かわいそうなんかじゃない!」と取り乱す草薙さん、というようなのは少し違うんだよなー、っていう印象があったり。森作品なら、多分、「別にかわいそうなんかじゃない」って心中で呟いて終わりだと思う(笑)。
 まあ、この辺は多分にイメージ先行で語ってますんで、若干アレですが。


 そんな感じで、全体的に空戦パートは楽しみつつ、ドラマパートで若干首を捻りながら見てたんですが……。
 とりあえず、酒場で、なんか瞳孔開ききってる感じで瞬きもせず持論を語る草薙さんが怖すぎるw
 で、撃墜された仲間に瓜二つの、白い髪の男が新しくやってきて、そこから数分間のリフレインの部分が、やたら印象深く。あそこで初めて、うわ怖ぇ、って思ったりしました。その部分の演出は本当に良かった。
 そして、そのイメージのままラストに向けて物語が突っ走って行くんですが……。


 あー、あれ? 草薙さん生かしておくんだ。
 確か原作だと、あそこで草薙さんが死んで終わりだったはず。
 そして逆に、主人公のカンナミが、「決して勝てない」相手である「ティーチャー」に挑んで敗北するところで物語りは終わるわけですが……。


 この作品中、パイロットたちは戦闘機に乗っている間は英語でやりとりをしています。そして、画面下に字幕で日本語が表示されています。
 最後のシーン、カンナミの部隊が「ティーチャー」と遭遇、カンナミが他のパイロットに退避するよう言い、自分だけはティーチャーに向かっていきます。
 他のパイロットが止めますが、ここでカンナミは、字幕によれば


ティーチャーを撃墜する」


 と答えるんですが。
 ちょうどこの字幕が表示された時、セリフの英語が明確に、




“I kill my father”




 と言ったのを私は聞き逃しませんでしたよ?


 これは言うまでもなく、というか露骨に、「父殺し」を言っているわけです。
 物語論における「父殺し」というのは、一番基本的な物語のモティーフの一つです。
 つまり、子供の世代が親の世代を超えるという事で、一昔前のエンタメでよくあった構図です。実の父がラスボスだったり、弟子が師匠を打ち破って終わったり。
 また、ファンタジー世界におけるRPGで、最後に魔王を倒す、とかもこの系列に連なるのだそうです。その魔王が実の父を殺してたりすると特に分かりやすいんですが。要するに、父の世代が克服できなかった悪を、子の世代が打ち破る事で間接的に「父殺し」をするという事ですね。


 作中において、ティーチャーはパイロットでありながら「キルドレ」ではなく、大人の男であると説明されます。そして、それゆえにキルドレであるパイロットは絶対にティーチャーに勝てない、とも。
 そして、その強大なティーチャーに、カンナミの仲間も次々やられていくわけで。
 だからまあ、非常に分かりやすく、強大な父=ティーチャー、というのが演出されていて、それにカンナミが挑むという形になる。
 で、ここまで草薙のセリフ、三ツ矢のセリフなどで、けっこう理詰めで、つまり言葉で色々と説明されてきた以上、ここで“I kill my father”というセリフを聞き分けてしまったら、嫌でも意識せざるを得ないわけですよ。


 けどさ、この理詰めの構図ゆえに、最後で物凄い冷めちゃったんですよね。


 押井監督はこの作品に関して、「現在の若者の気持ちが〜」というような事を語ってたようです。
 これと、上のセリフ、そしてラストシーンを考え合わせれば、つまり監督はこう言ってる事になる。


「君たち若い人たちの気持ちわかるよ。父の世代が強大すぎて挑めなくて、それで行き詰ってるんだろ?」


 私思うんだけどさ、それって勘違いだよ、多分。
 今の若い人たちが現状に絶望し、行き詰ってるのは、父の世代に挑みたくて挑めないからじゃなくて、


・そもそも父の世代を超えるべきものだと思ってない。
・父の世代がそんなに凄いとも思ってない。
・挑んだら挑んだで、色々損害も多いと分かってるのでわざわざ挑まない。


 多分こんな感じ。
 今の若い世代にとって、「父」にあたるのはティーチャーのような強大な存在じゃなくて、むしろ作中、草薙が乗り込んでいった本部にいた、あの上司っぽい嫌味な男、あんな感じだと思う。つまり、別に強大ではないし関心もあんまり無いけど、立場的に抗う事もできない(抗えば無駄に損害ばかりが増える)上司の立場。
 原作の森作品の主人公たちは、この辺すごく冷めてて、そしてクレバーに立ち回ってるように見えるんですよね。わざわざ自分一人でティーチャーに挑んでいくような熱血は、森作品のキャラクターたちはあんまり持ってない。


 そして、『スカイ・クロラ』という作品の真の絶望はそこにあったハズなんですよ。
 父の世代に挑む気なんかないからこそ、大人にならない=子供のまま=キルドレなんであって。
 最後のシーンで、カンナミが熱血して父を殺しに行ってしまう話にしたことで、押井監督は……今の若者が共有してる、絶望の一番深淵のところを取り逃がしてしまったんじゃないか、という気がします。


 逆を言えば、この映画『スカイ・クロラ』を見たことで、逆に原作小説の方で、森博嗣が見た絶望の深淵がより克明に理解できたので、それは収穫だったかなと思います。
 この原作小説を書いてる時、森先生は周囲の人に「森さんどうかしたんですか?」って心配されるくらい、暗鬱な状態になったらしいって聞きますけど。なるほど、そうなるはずだ。



 ……というのが、私の感想です。
 まあ、作品自体が結構理詰めというか、セリフで事細かに説明されてる分、感想も理屈っぽくなってしまった感じはありますが。
 そうね、とりあえず、映画版を見た人は、是非原作の小説も読んでもらいたい、と私は言い添えておきます。そこに、より深刻で、いかんともしがたい「絶望」があるから。


 そしてもし、私が押井監督に一言、言葉を贈る機会があったとしたら。私は以下のように申し上げたいと思います。


 今日日、父殺しなんか流行んねーよ。