機動戦士ガンダムAGE 第21話「立ちはだかる幻影」

     ▼あらすじ


 ヴェイガンの追撃を振り切ったディーヴァは、地球連邦軍基地ビッグリングへと入港する。一安心するクルーだが、アセムはゼハートに言われた言葉が忘れられず、闇雲に強くなろうと焦っていた。
 そんな中、フリットが提示したという新しいパイロット特別訓練プログラムを知り、すぐさま参加を申し出るアセム。結果、全体的には優良な結果を残すものの、Xラウンダー適性だけは低い評価が下され、アセムの焦りは頂点に達する。
 見かねたウルフがアセムを連れ出したのは、マッドーナ工房だった。ムクレドの息子ロディの作ったシミュレーターで、アセムはゼハート、そして少年時代のフリットを相手に、自分らしい戦い方を模索するのだった。



      ▼見どころ


    ▽フリットたちの世代



 この回、コウモリ退治戦役で活躍した面々が、次々と顔を出します。
 連邦軍基地ビッグリングに到着した事で、再び一行はフリットと合流。アセムは嬉しそうに父の元へ駆け寄ります。



 フリット「父さんではない! 私はこの基地の司令官、フリット・アスノ中将だ」
 と一度息子の言動をたしなめてから、その頭に手を置いて、



「よく来たな、アセム。お前の活躍、期待しているぞ」
 と微笑みつつ言うのでした。
 ……思うに、こんなセリフが言えるフリットは、なんだかんだで悪い父親ではないのだろうと思います。
 アセムの父親へのコンプレックスの描写や、後に強調されるフリット自身のヴェイガンへの強硬な姿勢から、つい我々視聴者はフリットの人格そのものを酷薄なものと評価してしまいがちなのですが。少なくとも身内に対しては、案外そうでもない。
 第3話の解説記事で書いたように、かつてフリット自身、育ての親であるブルーザー司令に「期待しているぞ、フリット」と声をかけられていた事が、ガンダム完成への大きなモチベーションになっていました。フリットはちゃんと、その大事な言葉を、息子にもかけています。


 また、パイロット適性検査の結果で落ち込むアセムにも、励ましのメッセージをちゃんと送っていました。



「アセム、特別訓練プログラムの結果を見せてもらった。Xラウンダー適正がDだったのは残念だが……心配するな、お前は私の息子だ。私の血を引いているかぎり、できるはずだ。私は信じているぞ」


 ディーヴァが到着した時点で、ビッグリングにヴェイガンの大規模攻撃が迫っている、という情報はフリットの元に届いていました(ゆえに、地球に降りる予定だったディーヴァもビッグリング防衛線に参加する事になった)。だとすれば、フリットがいつになく多忙であった事は想像に難くありません。そんな中、息子の適性検査を気にして、メッセージを録音する時間を捻出しているのですから、フリット・アスノ、ああ見えてけっこう頑張って父親をやっているのです(笑)。


 ただし、そうしてかけた言葉が、息子にますますプレッシャーを与える形になっているのは、人生裏目に出てばかりのフリットらしい皮肉でありました。


 そのフリットですが、ディーヴァがビッグリングに到着した際に、かつての戦友ウルフ・エニアクルと再会しています。
 ミレース艦長はじめクルーたちが敬礼する中、



 ウルフだけは軽く片目を瞑って見せ、



 フリットもわずかに表情を緩める事でこれに応じています。


 ここも考えようによっては意外なシーンで、フリットはウルフに対して、敬礼を強要していません。いくらかつての関係があろうとも、現在ではフリットの方が上官でしょう。軍隊の規律に反する、こうした風紀の乱れをフリットは許容しなさそうに見えるのですが……上記アセムへの応対も含め、意外な柔軟さを見せています。
 こうした部分を、「身内への甘さ」とネガティブに評価するか、「人間関係の絆を軽視しない情の篤さ」とポジティブに評価するか。これはむしろ、評価する側の人間観・組織観が露骨に出そうな局面のように思えます(笑)。


 ウルフといえば、こんなシーンもありました。
 パイロット適性検査の結果を見て落ち込むアセムを、ウルフはマッドーナ工房へ連れて行きます。そこで、ランチを工房の港口に乗り入れる際に、



 ちゃんと行儀よく、静かに着艦させています。
 フリット編の第9話、初めてマッドーナ工房が出てきた回では、若かりしウルフはランチを思い切り乱暴に滑り込ませて、ムクレドに叱られていたのですが。比べてみると、実に対照的なシーンになっています。
 かつて、フリット編でのウルフが若さゆえの無鉄砲を振り回していたのに比べると、驚くべき事に、齢を重ねたこの時期のウルフは「ちゃんと大人になっている」のでした。
 ……「ガンダムという作品空間」において、キャラクターがこういう意味で「ちゃんと大人になっている」というのがどれだけ驚愕すべき事か……というのは、少し分かりにくい話かも知れません。これについては、機会があればまたいずれ。



 そしてもう一人。
 この回、フリット編にて八面六臂の大活躍をしたムクレド・マッドーナも再登場します。



 この人はあまり印象変わらない(笑)。
 ムクレドもまた、その功績が非常に大きく、そのせいで息子のロディにとっては大きなプレッシャーになる存在でした。



 しかしそうであるが故に、悩むアセムのよい相談相手になれたのでした。
 そしてロディは、父ムクレドとは違う特技を伸ばす事で、自分なりのアイデンティティを得る事に成功してもいます。その成果が、アセムが体験する戦闘シミュレーターでした。



「そっちの分野は俺にはさっぱりだからなぁ。どこは触るなだの、こっちはいじるだなの、生意気ばっかり言いやがる」とムクレド


 親のムクレドが重機械などのハードウェアを専門にしているのに対して、息子のロディはソフトウェアに特化した、という事かも知れません。だとすれば、このムクレドのボヤキに似たセリフは確かに、90年代後半の日本で実際によく聞かれました。
 1995年、「ウィンドウズ95」の爆発的普及を背景に、仕事にパソコンが必須のツールとなり、それまでビジネスで活躍していた年配層がパソコン操作の習熟に四苦八苦するという情景が、この時期よく見られていたのです。
 そして、ロディのこうした姿勢が、アセムにとってヒントになっていくのですが……。



 このシミュレーター、少年時代フリットガンダムAGE1)のデータに加え、つい先日戦ったばかりのゼハート(ゼイドラ)のデータも入力されていました。
 疑問に思うアセムに、ウルフは平然と答えます。「ガンダムのコンピュータから抜き出してきた」。「それって、軍事機密漏洩じゃないんですか?」というアセムに、「ディケは喜んでやってくれたぜ?」と一言。


 なんというか……フリット世代の面子は、どいつもこいつも軍事機密への意識、低すぎると思うんだ……w


 そんなこんなで。
 人によって感想はいろいろあると思いますが、しかしこのように複数の世代がそれぞれに動いている、というのがガンダムAGEの面白さでもあります。
 この辺りに注目した上で……さて、今回のメインテーマに取り掛かりたいと思います。



     ▽ニュータイプとXラウンダー(3)


 既に何度か話に出ているように、アセムフリット提案のパイロット適性検査(特別訓練プログラム)に参加し、「Xラウンダー適性」が低い事にショックを受け、落ち込んでしまいます。
 実は、パイロット適性を調べる項目の中に「Xラウンダー適性」の枠がある事、しかもそれをフリット・アスノが提案している事、というのは看過できない問題です。歴代のガンダム作品に対する壮絶な皮肉であり、またガンダムAGEという作品の批評性が最も鋭く発揮されたシーンの一つでもあります。私見では『ガンダムAGE』を批評的に読み解く際に、一番重要なターニングポイントになっている所です。少し長くなりますが、どうぞお付き合いください。



 さて……最初にはっきり指摘しておきたいのですが。
 宇宙世紀を舞台にした映像作品で、そのキャラクターがニュータイプである度合を、数値として、あるいは何段階かの評価で明示する、という事が行われた場面はありません(私の記憶に抜けが無ければ)。
 これは恐らく、非宇宙世紀ガンダムにおいてもほぼ変わらないのではないかと思います(そちらの方は、いくつか未見の作品があるので断言はできませんが)。
 それにも関わらず、大半の視聴者は、このAGE第21話で「Xラウンダー適性」が4段階か5段階で評価されているシーンに、さほど違和感を感じなかったのではないでしょうか。
 なぜかって? ガンダムを題材にしたゲームで、さかんに行われてる事だからです。


 たとえばガンダムのアクションゲームでは、攻撃の命中率と回避率を高く保った場合に、「ニュータイプ評価」といったものが何段階かでつくことがあります。
 あるいは戦略シミュレーションゲームにおいて、アニメ劇中でニュータイプ的な特徴の強かったキャラクターには高い「ニュータイプレベル」が設定され、大抵はそのキャラクターの命中率や回避率に補正がかかる、といった具合です。ガンダム関係のゲームをやり慣れた人にとっては、馴染みの感覚でしょう。


 注意すべきは、こうしたゲームにおいて、「ニュータイプの度合いが高い」と評価されるという事は、端的に「戦闘能力が高い」……ありていに言えば「強い」事と直接結びつけられているということです。
 これが皮肉である、という事はお分かりかと思います。初代ガンダムで言及されているように、ニュータイプとは「宇宙に適応した人類」「誤解無く分かり合える人々」「戦争などしないで済む人々」であるとして提示された概念だったからです。ニュータイプ能力が高いという事は、それだけ相手との意思疎通が出来るようになり、結果として戦いを避け得る存在であるはずなのでした。
 もちろん、初代ガンダムの時点で既に、ニュータイプは強大な戦闘能力を持つ存在としても描かれていました。従って、この「理想と現実」は当初からの問題であり、アムロとシャアが議論を戦わせた話題でもありました。



「今、ララァが言った。ニュータイプは殺しあう道具ではないって」
「戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ」
「貴様だって、ニュータイプだろうに!!」


 それでも、『Zガンダム』時代のシャア(クワトロ)は、人類すべてがニュータイプになる事で時代が開けると考えていた旨の発言を何度かしており、少なくとも『逆襲のシャア』までは、ニュータイプという言葉にこうした「理想」が託されていた節があります。
 しかし。ゲームにしても、また多くの一般ガンダムファンにとっても、今や「ニュータイプ」という言葉にそうした意味を託している事は稀だと言っていいでしょう。「ニュータイプである事」はより強いパイロットである事の指標であり、それを数値化して比較する事が違和感なく行われています。恐らく今この瞬間も、某巨大掲示板の旧シャア板では、「誰が最強のニュータイプか」について熱い議論が交わされているに違いありません(笑)。


 そして。既に指摘したように、ガンダムAGEにおける「Xラウンダー」には、こうした「理想」にあたる部分の設定がありません。
 であるが故に、ファーストガンダムで言えばアムロの役どころであるはずのフリットが、自ら率先してXラウンダー能力を戦闘能力と規定しているわけです。AGEの作者が、ただ単に歴代ガンダムのパクリ展開をやろうとしていただけであるなら、こんな皮肉にひねくれた事はしないでしょう。
 しかも、この第21話にはもう一つ、「ニュータイプ」を巡る問題点が織り込まれています。



 前述の通り、アセムは特別訓練プログラムにおいておおむね良好な成績を残したものの、Xラウンダー適性のみ「D」評価を受け、激しく落ち込みます。



 レベルD


 これは、アセムが目標にする父フリットがXラウンダーであり、また前回の戦闘でアセムを圧倒したゼハートもXラウンダー能力者であるため、アセム自身のXラウンダー能力が低いままでは彼らに追いつくことは出来ない、というコンプレックスに起因している事は今さら書かずとも視聴者にも伝わった事と思います。
 ここでアセムを悩ませている問題が、実はニュータイプを巡る宇宙世紀の大問題の縮図になっているのです。


 初代ガンダムのラストにおいて、ニュータイプは「希望」として語られました。連邦とジオンが繰り広げた凄惨な戦いの中で、アムロ・レイは自身のニュータイプ能力でホワイトベースのクルーを救い、そこに「帰るべき場所」を見出しました。この時点では、それで問題なかったのです。連邦でもジオンでもない、第三の答え、あるいは道としてのニュータイプアムロは戦争の原因であるザビ家の人間を討つ事はできず、彼の力だけで戦争を止める事もできず、しかし希望を見出す事でハッピーエンドに辿りつくことはできたわけです。
 ところが、続篇として作られた『Zガンダム』ではどうだったでしょうか。
Zガンダム』においてもニュータイプは希望として語られています。人類の革新、戦争をしないで済む人々であると、主にクワトロの口から語られてはいます。しかし一方で、ニュータイプという概念の展開をしていくにあたって、必然的にそこには「ニュータイプではない人々」という対義語が発生してしまっていました。



 初代ガンダムには登場せず、Zで初めて登場した言葉……「オールドタイプ」です。
(↑画像はライラ・ミラ・ライラさん)


 オールドタイプという概念とともに二項対立を形成してしまうと、ニュータイプもただの希望の言葉というわけにはいきません。オールドタイプが、ニュータイプに対して劣った人種だという意味を含んでしまいかねないからです。結果として、ニュータイプという言葉はある種の「選民思想」になっていってしまいます。
(ちなみに、Zガンダムの面白いところは、こういうニュータイプ概念の問題点を、よりによってジェリド・メサに言わせるようなところにあります(笑)。)



「時代は変わったんだ。オールドタイプは失せろ!」(第23話「ムーン・アタック」)
 ジェリドがこのセリフを言う、という辺り、Zガンダムの皮肉な批評性がズバ抜けている部分だと思いますw


 さらに、逆襲のシャア時代、特に若い世代にはこうした「選民意識」が露骨に表面化するようになっています。



「あたしはインドで修行したのよ、人類がみんな共感しあえるニュータイプになれるようにって。だからあたしは、ニュータイプだって言われているアムロに興味があったのに、なんであなたは邪魔するの?」
 クェス・パラヤさんがチェーンに理不尽言ったりしています。彼女はまた、ネオ・ジオンのエースパイロット、レズン・シュナイダーに対して、「ギュネイ、よしなよ。普通の人相手にするなんて」と言い放ったりもしています。
 また、その直前、レズンに「強化人間が何言ってるの」と茶化されたのに対して、ギュネイ・ガス「おれはニュータイプだ」と言って見せているところなども含め、もはやニュータイプという言葉には一種のエリート・ステータスの意味が付随してしまっている事が見て取れます。
 こうなると、無邪気にニュータイプを「人類の希望」などと称する事は怪しくなってきます。



 さらに、人類すべてがニュータイプになれば良い、という考えは、「オールドタイプは滅んでも良い」、否、「オールドタイプは滅ぼすべき」という過激な思想とも容易につながってしまいます。
逆襲のシャア』における地球寒冷化作戦は、正にこうした過激思想の表れでした。シャア自身がこのように語っています。



「私は、宇宙に出た人類の革新を信じている。しかし、人類全体をニュータイプにする為には、誰かが人類の業を背負わなければならない」


 皮肉なことに、このように「ニュータイプの方が優れているんだから人類すべてをニュータイプにしなきゃならない」というシャアの思想は、結果として彼がかつて仇としていたザビ家の長男、ギレン・ザビの思想に通じてしまっています。



「人類は我等選ばれた優良種たるジオン国々民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る!」


 設定では、ギレン・ザビには「優生人類生存説」という著作があるともされています。これはもちろん、第二次世界大戦におけるアドルフ・ヒトラーをモデルとしたもので、優れた人種であるアーリア人種を繁栄させ、劣った人種であるユダヤ人は「絶滅」させようという凄惨な思想を下敷きにしています。
 実のところ、シャアが隕石落としでやろうとしている事は、これと大差ありません。



 お分かりでしょうか?
 たとえ、提示された当初の「ニュータイプ」が希望に満ちたものであったとしても、結果として「オールドタイプ」という対義語を生み、その間に優劣関係を発生させてしまえば、つまるところ「優生思想」、優れた人間だけ残せばいいという排他的で過激な思想に容易にスイッチしてしまうという事です。
 これが、宇宙世紀ガンダムが陥った最大のジレンマだったのでした。そして、このジレンマに巻き込まれる形で、シャアとアムロという、宇宙世紀の二大英雄が消息を絶つというのが、『逆襲のシャア』のメインプロットなのです。



 さて、翻ってガンダムAGEです。
 何度も指摘しているように、AGEにおける「Xラウンダー」には、ニュータイプのような「人類の革新」「誤解無くわかりあえる人々」といった意味付けはありません。ですから、上記のような過激な優生思想につながる要素は「Xラウンダー」には存在しません。
 しかしそれでも、「非Xラウンダー」との間には優劣関係を生んでしまっています。それはもう、「Xラウンダー適性」がAかDか、といった形で明確に示されてしまっており、結果として「非Xラウンダー」の烙印を押されたアセム・アスノは絶望に追い込まれる形になったのでした。
(こうしてみると、 「Xラウンダー」という設定は、宇宙世紀ガンダムにおける「ニュータイプ」という概念の、負の側面、ネガティブな部分だけを強調された設定になっているわけで、どうにも作者側の強い意図を感じます)


 これに対して、第21話の後半、ウルフ・エニアクルは「Xラウンダーだけが強さの指標ではない」という事を示そうとするのでした
 まだこの段階では、「それ」は可能性としてしか示されていません。しかしやがて、AGEのストーリーの中で、具体的にアセムに展望が開けていくことになります。


(ちなみに、余談ですが、特別訓練プログラムで思うような成果が出ずに絶望するアセムの、父フリットへのコンプレックスというのは、ちょうど1990年代後半から10年ほどの間に成人した人たちにとっては、かなり実感が湧くのではないでしょうか。
 ちょうどその時代は「受験戦争」の真っただ中で、学生たちはアセムのように試験の結果に一喜一憂していました。「良い大学に入って良い会社に入れば人生安泰」という神話が生きていた時代で、そのために熾烈な詰め込み型偏差値教育に揉まれて過ごしました。
 ところが、1993年以降の就職氷河期に思い切り掴まって、少なくない新卒学生たちがフリーターなどに身を落とした時代でした。個人差はあれ、親が社会人として家族を養えるほどの給料をもらっている一方、自分はまともな職にも就けてない、というあの時代の若者のコンプレックスは、アセムフリットに対するそれにかなり近い気がします。
 この辺りも、AGEのアスノ家三世代が、現実のファースト世代からの各年代に対応しているのではないか、と私が予測する根拠になっています)



 長くなりましたが。
 この先のストーリーを追っていくにあたって、上記に論じたような「ニュータイプ概念が引き起こした問題」を念頭に置いておく事は、良い補助線になると思います。その上で、今後の展開に向けて、注意すべき点が二つあります。
 一つは、「Xラウンダー」と「非Xラウンダー」という、優劣関係を生じてしまった二項対立をどのように解除していくのか、という問題(アセム編の主題)。
 そしてもう一つ。「Xラウンダー」においては戦闘能力のみを強調する事で、一度はキャンセルされたはずの「優生思想」、「優れた人種だけ残そうという思想」が、しかしキオ編以降において何故か別の形で登場してくる、という事です。どうしてそんな込み入ったプロットになっているのか。


 上記の問題を考えながら、次回以降の展開を見て行っていただければと思います。



      ▽追い討ちでロマリーの話題でも


 さて、長くなったので今回の記事はこれで終わりにしたいのですが、もう一つ忘れちゃいけないシーンがありますので、最後に。


 前回、ゼハートの駆るゼイドラと交戦し、敗北を喫して殺されかけた上、プライドもアイデンティティもずたずたにされたアセムですが。そんな彼がビッグリングにて久しぶりにロマリーとゆっくり会話する時間を持ちました。
 戦場でゼハートに会った事を話し、「あいつ、変わったよ」と呟くアセム。しかしそれに対するロマリーの反応が、視聴者の想像の斜め上を行っていました。



「いいな……」


「そっか、ゼハートに会ったんだ」、と表情を緩めて言うロマリーさん。



 最初見た時、私もこのアセムとまったく同じ表情になりましたw


 卒業式での出来事を契機に、いきなり軍に入隊する意外な行動力を見せていたロマリーですが、その真意はアセムではなく、ゼハート目当てだったらしい事が判明したのでした。
 実のところ、一貫してアセムがロマリーを気にしている描写というのはほとんど無いわけなのですけれども、それにしたってこれは、アセムの立場がない。彼の落ち込みにますます拍車をかける出来事なのでした。


 いやしかし、乙女心って怖いわー。


 というわけで次回、ついにビッグリングを巡る連邦とヴェイガンの決戦となります。
 そこで、ガンダム史上かつてない出来事が起こるわけですが、それはまた次の記事で。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次