機動戦士ガンダムAGE 第43話「壮絶 トリプルガンダム」

     ▼あらすじ


 ルナベースを攻撃するも、戦線が維持できず苦戦する連邦軍。プラズマダイバーミサイルによって基地ごと破壊せよというフリットの見解の前で、アルグレアスはディーヴァ、そしてアビス隊の行動に賭ける。
 一方、3機のガンダムと激戦を繰り広げるゼハートたちだが、ジラード・スプリガンのXラウンダー能力が暴走し、全員のファンネルを奪って無差別に攻撃をかけ始める。キオの説得も通じず危機に陥る中、ティエルヴァの暴走を止めるべくビームの一撃を加えたのはフリットだった。
 折しもルナベースはセリックの説得工作により降伏、敗北したゼハートたちは撤退していく。その最中、フラムはゼハートの口から聞かされたのだった――セカンドムーンが地球圏に到達したと。




      ▼見どころ


 いよいよ、ルナベースをめぐる戦いが終息する第43話。前回前々回と思わせぶりに書いてきた内容を、ここでまとめていきたいと思います。
 とはいえそれ以外にも見どころ満載の回であり、語る事は多いので、休憩など挟みつつのんびりお読みいただければ幸いです。


 それにしても、この回は本放送中、サブタイトルについての不満がよく聞かれた回でした。確かに、トリプルガンダムとある割に、この回の主題は明らかにジラード・スプリガンの最期を含む別な部分にあり、三世代のガンダム共闘にスポットが当たっているのはほんの1分前後です。
 こういう事態はAGEで何度か散見されました。たとえば第7話のサブタイトルは「進化するガンダム」ですが、この回はガンダムの進化形であるタイタスは顔見せだけで、どのように進化したのかが分かるのは次の回でした。また、第24話のサブタイトルは「Xラウンダー」ですが、この回もアセムとゼハート、ロマリーの立場の違いを巡る意見や行動の食い違いがメインで、Xラウンダーという存在を掘り下げる会話や展開は希薄でした。
 この辺り、サブタイトルの付け方で失敗している印象がどうしてもAGEにはあります。今さら言っても詮無い事ですが、こういうところが上手く出来ていれば、やはりAGEの評価が少しは違ったように思います。


 ……と、とりあえず一つ、前々から思っていた苦言を一つ呈したところで、それではいよいよ解説に入って行きます。まずは、ルナベース戦を巡る指揮官たちの駆け引きから。



      ▽連邦の決断、ヴェイガンの決断


 一見派手な、ガンダム3機とゼハート、フラム、そしてジラード・スプリガンのティエルヴァというXラウンダー入り乱れる戦闘の陰で、この回はルナベースのヴェイガンが降伏するまでの事態の推移が、地味ながら丁寧に描かれてもいます。
 たとえば、アビス隊がルナベースに突入する前後に描かれていた



 この車両。
 何かといえば、おそらく基地制圧のための歩兵や工作隊が乗った車両であると見られます。
 いくら強力なMSで敵の防御MSや砲台を潰しても、基地内部で行動、制圧するための歩兵や工作隊がいなければ「基地を制圧」する事はできません。が、MSが主役であるガンダムシリーズでは、なかなか出番がない人々でもあります。こうした人々の行動が作品内で大写しにされる事例は、思い返そうとすると存外に少なく。とりあえず例をあげるなら、



 ガンダムUCのエコーズが、一番顕著な例でありましょうか。


 当初、AGEビルダーの突飛に見える設定などもあり、ミリタリー的な設定追求は希薄で子供向けの要素が濃いと思われていたAGEですが、存外にこうした描写を頑張っていたりもするのでした(以前にも一度書きましたが、もう一度提示しておきますと、このAGEビルダーにしても、その後のウェブ上の情報で米軍が空母に3Dプリンターを積み込みその場で兵器を作る試みを行っているなんて話もあるそうで、存外まったくの絵空事でもなかったらしく)。
 まぁ、ミリタリーに詳しい人から見れば、そんなAGEも整合性はズタボロなのですけれども。どちらかといえば、ここもミリタリー的なリアリズム描写のため、というよりUCのエコーズのオマージュと見た方がAGEという作品の方向性に近いかも知れません。これがランチとかではなく車両であるのも、ロトのオマージュなのかも。


 気になるのは、この回のアルグレアスの采配です。ディーヴァ所属MSは善戦しているものの、連邦軍はルナベースを攻めあぐねています。「戦線を維持できず」といった報告が次々舞い込む中、アルグレアスが出撃中のフリットに状況を報告すると



「戦線が崩壊した時点でプラズマダイバーミサイルを使用しろ。ルナベースを破壊する」
「よろしいのですか……?」
「わたしは、絶対に負けたくないのだ……!」


 フリットは前回、出撃間際にも「負けたくない」と発言しており、これはこれで非常に面白いのですが(本来、フリットは地球の市民を脅かすヴェイガンを誅するために戦っているわけで、勝ち負けに拘泥するのは当初の目的からは少し変節に見える?)、ここではアルグレアスの反応を見ておきたいと思います。
 最終的な判断をフリットから任されたアルグレアスは、不安げなブリッジクルーに対して、



「心配するな。元司令は常に正しい判断をするお方だ。各艦に通達! 砲撃をルナベース上の防御施設に集中し、降下部隊を最大限に支援せよ! 今はそれしかない」
 と声をあげ、最後に小さく呟きます。



「難しい局面だ……!」


 問題は、何が「難しい」のかです。
 フリットならば、この状況を「難しい」とは考えなかったでしょう。いざとなったらプラズマダイバーミサイルを発射しルナベース基地を放棄する、と決めてしまえば、あとは撤退のタイミングくらいで、あまり難しい事はないように思えます。この後の展開を見ても察せられるように、明らかにアルグレアスは「プラズマダイバーミサイルを撃たないで済む結果」を模索して、そのために「難しい」と感じているのでした。


 そんなアルグレアスは、ディーヴァ艦長のナトーラに別途命令を出していたようで



「何!? プラズマダイバーミサイルを使う!?」
「は、はい……アルグレアス総司令の命令で、20分後に発射すると……ですが、変なんです。一緒に、フォトンブラスターを最小出力で撃てるように準備しておけって」



「そうか……そういうことか」
「総司令は俺たちに言っているのさ、プラズマダイバーを使うまでの20分間で何とかしろってね」


 フリットの指令は、「戦線が崩壊したらプラズマダイバーミサイルを使え」でした。言うまでもなく、これはミサイルの使用を前提とした命令。それに対して、アルグレアスは逆にミサイル発射のタイミングを「戦線が崩壊したら」ではなく「20分後」に設定。同時にフォトンブラスターの発射準備をさせていました。
 事前に、持ち前の洞察力でルナベースの突入口を割り出していたセリックはディーヴァからのフォトンブラスター砲撃を利用して突入、ヴェイガン側の現場指揮官と交渉を行います。



「直ちに戦闘行為を停止し、投降せよ。繰り返す、直ちに戦闘行為を停止し、投降せよ」
「うろたえるな! 我々はまだ負けたわけではないっ!」
「だが、この基地は現在、プラズマダイバーミサイルが狙っている。一瞬で基地の全てを消滅させる威力だ」
「ぬぅ……!」


 アルグレアスの規定した時間が20分、一方セリックがヴェイガンに投降を呼びかけたのが「のこり10分」の時点だったので、基地突入から破壊された予備管制室の端末を復活させて呼びかけるまで、たったの10分。連邦側工作員とセリックたちの優秀さはずば抜けています。
 と同時に。結局このセリックたちの投降勧告が功を奏して、ルナベース制圧に成功した事で、アルグレアスは「フリットの面目を保ちながら、ヴェイガン兵の犠牲を最小限にする」という難しい綱渡りを成功させたのでした。
 基本的に、ヴェイガンが「正体不明の殺戮者UE」であった頃を知らないアルグレアス以下の世代(アセムも含む)では、敵とはいえヴェイガン兵を必要以上に殺戮するのも避けるに越したことはない、というコンセンサスがとれている事が描かれています。ルナベースの攻略が不可能になってしまえばやむを得なかったかも知れませんが、それでも極力プラズマダイバーミサイルを撃たない方向で連邦軍の兵たちが一致している事は確かでした。
 しかし一方で、プラズマダイバーミサイルを持ち出したフリットの面目を潰すような事も、アルグレアスはしません。結果的にプラズマダイバーミサイルは、ヴェイガン側に投降を呼びかける交渉カードとして役立ったからでした。
(それが出来るなら最初からやれ、という指摘も見かけますが、第40話、プラズマダイバーミサイルの搭載を知ったナトーラが「あれは使用が認められていない兵器です」と言っている事から考えて、おそらく人道的その他の理由で本来は使えない代物だったのでしょう。そういう意味で、結果的にセリックの投降勧告は、ファーストガンダムで言えば水爆ミサイルを持ち出して連邦軍の進軍を止めようとしたマ・クベのやり方に近くなっているように思います)
 いずれにせよ、かなり際どい形ではありますが、アルグレアスはどうにかこのルナベース攻略戦を「結果オーライ」くらいに落とし込む事ができたのでした。
 そして最後に、アルグレアスは以下のように呟くのでした。



「これもきっとあなたの想定通りだったのでしょうね、アスノ司令……」


 もちろん、そんなわけはなく、フリットは撃つ気満々だったのですが(笑)。
 はてさて、アルグレアスにとってフリットの発言は、あえて退路を断って部下を背水の陣に追い込む、鼓舞の言葉にでも聞こえていたのかもしれません。どうあれアセム編の頃から変わらず、フリットを最も尊敬し、(恐らくは軍の規律に対して横車を押してまで)フリットの行動をサポートしあるいは判断を仰ぎしていたアルグレアスですら、フリット・アスノの「理解者」ではないという事なのでした。
 恐らくは、グルーデック・エイノアを除いて、劇中の長い年月の中でフリット・アスノに「良き理解者」はずっと存在しないままなのです。


 しかし重要なのは、そのようにお互いの意志や思想を理解していないにも関わらず、アスノ家の人々やその周囲の人々は互いをフォローし、結果的に作戦を成功させ続けているのでした。
 それは、次に見ていく「人は分かり合えるのか」問題に対する、重要な視点でもあるのです。


 というわけで、ついにルナベース編の核心となる問題をまとめていきたいと思います。



      ▽キオとゼロ年代ガンダムの失敗(1)


 41話解説記事の冒頭で書いたように、三世代編に入ってからのAGEのストーリーは、ファーストガンダム世代、80〜90年代ガンダム世代、そしてゼロ年代ガンダム世代、それぞれの思惑と限界、そして失敗をアスノの男たちが再演していくシナリオだ、と述べました。
 このルナベース戦において、まずこの失敗を演じるのが、キオ・アスノです。
 火星圏での体験からヴェイガンも人間であると知ったキオは、敵兵を殺さない戦い方を始め、そしてさらにXラウンダーの力を使って戦いを止めようとし始めた、その経過をここ3回ほどの解説記事で確認して来ました。こうしたキオの主張が、宇宙世紀ガンダムにおけるニュータイプの、意思疎通と相互理解の希望としての側面と強力に合致することも。


 そのようにして必死にジラード・スプリガンを説得しようとするものの、最終的にはキオにとっては残酷な結果に至る事になります。



 Xラウンダー能力の暴走による、敵味方の見境もない攻撃。



 そして、相手に組み付いてまで行った、キオ必死の説得も、拒絶されてしまいます。
 結局キオは何もできないまま、ジラードがフリットに撃墜されるのを見ているだけとなってしまいました。
 一体、なぜキオの説得は失敗したのか。第43話で描かれるその経緯は、宇宙世紀におけるニュータイプの挫折を、端的に浮き彫りにしている――というのが、当解説記事の見解です。順に説明します。


 宇宙世紀におけるニュータイプの挫折、主に『Zガンダム』以降に描かれたその理由。
 一つ目は、主に前回確認した、強化人間の問題です。
 相手の意思を感知できるという能力は、その便利さゆえに軍事利用もされてしまい、結果として強化人間という人為的なニュータイプをも生み出す事になったのでした。そのような強化人間たちが、劇中で悲惨な最期を遂げて行った事は、ここに詳述するまでもないでしょう。
 AGEにおいては、この点は特に強調されていました。Z最終話にてクワトロ・バジーナが「私が手を下さなくとも、ニュータイプへの覚醒で人類は変わる。そのときを待つ」と言っているように、宇宙世紀においてニュータイプへの覚醒は自然に起こるもので、人為的に能力を引き出す強化人間は異端な方法と描かれていましたが、AGEの世界においてはXラウンダーは戦闘能力と捉えられており、ヴェイガンもサイコメット・ミューセルによって、そして連邦もジラード・スプリガンの過去に描かれたような能力増幅装置によって、人為的に能力を引き出す技術が両陣営に描かれています。
 しかも、ミューセルにせよ連邦側の増幅装置にせよ、その技術自体に対する倫理的な批判を劇中で口にする者は事実上いません。アセム編におけるミューセルは「危険なもの」として連邦側に扱われてはいましたが、このような技術を使用するヴェイガンに対する人道的な怒りを表明する人はいませんでしたし。ジラードについても、彼女が表明しているのは恋人の死と、事故の隠蔽に対する憤り・恨みであって、Xラウンダー能力を増幅する技術そのものに対して不信や非難をしているわけではないのです。
 そのような中で、キオの「(Xラウンダー能力を)戦いを止めるために使いたい」という主張は、むしろ異端にならざるを得ません。
 しかしここまでは、まだ序の口でしかありません。



 第二の問題は、いみじくもジラード・スプリガン自身が口にしたことです。



「そろそろ気づきなさい! 分かり合いたくない人間もいるって!」
 この発言こそ、「ニュータイプの挫折」を最も端的に語った一言でした。
 互いに誤解無く意思疎通ができる者同士であったとしても、ならば誰もがそうした意思疎通に応じるのか? 「現実認知の物語」と称される『Zガンダム』の核心の一つは、正にそのことでした。


 宇野常寛氏が「『ゼータガンダム』がどんな話かと尋ねられたならば、極論すればこの47話のことを話せばいい。」と記すZガンダム』第47話「宇宙の渦」。
 そこで、交戦中のカミーユハマーンは、かつてアムロララァが「分かり合」ったのと同じ、ニュータイプ同士の精神感応を起こします。




「同じものを見た」
「ただの記憶が……」
「人は、分かり合えるんだ……」
「分かり合える……そういうことか」
「そうだ……!」


 しかし、この直後。



「気安いな」



「よくもずけずけと人の中に入る、恥を知れ、俗物!!」



「貴様は確かに優れた資質を持っているらしいが、無礼を許すわけにはいかない!」


 まさにファーストガンダムにおいて、希望とされたニュータイプの相互理解、「人は分かり合える」を体現する状態に至ったにも関わらず、ハマーンはこれを拒否するのです。何故か。



 まぁ、人間、誰しも思い出したくない、人に知られたくない過去があるもので(笑)。
 ニュータイプの相互理解の能力は、こうした相手のプライベート、知られたくない領域まで暴き立ててしまう可能性を秘めています。そして人間の精神というのは、早々理性だけで動くものではない。


 ガンダムAGEにおいては、先のセリフの直後、Xラウンダー能力の暴走によりジラード・スプリガンの精神が変調を来たし、



 敵味方問わず、Xラウンダー能力によって操作されるファンネルやビットを乗っ取り自在に操るという展開になります。
 これはもちろん、直接的には、



ガンダムUC』のユニコーンガンダムが見せたサイコミュジャックのオマージュです。
 しかし同時に、相手の内面に過度に踏み込む、ニュータイプ的な能力の負の側面の具現化でもあるのでした。



 結果として、フラムのビットがフラム自身を、あるいはゼハートを。キオのCファンネルがキオ自身やフリットを狙うという、本来ならばあり得ない混乱状態が現出します。
(余談ながら、三世代編でファルシアが再登場した理由は、このシーンを視覚的に分かりやすくするため、というのが真相ではないかと筆者は思っています。本来、工業製品であるなら、部品や武器は共用で同じデザインだった方が説得力も増すのですが、ここでフラム用にギラーガと同じXトランスミッター搭載の新型が出てこないのは、ゼハート、フラム、キオがそれぞれ違うデザインの遠隔攻撃端末を持っている事で「ファンネルが奪われた」「自分や味方を攻撃している」という事を一目で分かるように、という理由でしょう。実際のところ、AGEのメカデザインの多くは、こうしたシナリオの進行の都合が最優先されている場合が多いように思います。というか、そこを最優先にしないとシナリオの尺が足らない、セリフで説明している暇がない、という事だと思いますがw)


 たとえニュータイプの能力によって「分かり合う」窓口が開いていたとしても、様々な理由でそれを拒絶する者もいる。相手を知ることが出来ても、相手の過去とそれによって得た傷や屈折を変える事は容易ではありません。


 さらに、ハマーンに精神感応を拒絶されたカミーユは、カツやファが攻撃され危機に陥るのを見るや、決定的に「分かり合う」事を断念します。



「分かった! お前は、生きていてはいけない人間なんだ!」
 この発言も看過できません。カミーユ・ビダンという人物が第一話から過激な言動を繰り返していたためか、このセリフもカミーユ個人のキャラクター性の表現として読まれてしまいがちですが、実際にはこれも「人は分かり合える」という思想の危険な側面の表れなのです。
 ニュータイプの洞察力によって徹底的に「誤解なく」、心の内面や本音までさらけだして、分かり合おうとして、それでもし「でもやっぱり分かり合えなかった」という結果が出てしまったら?


 ……もう後には「相手を排除する」という選択肢しか、残りません。相手と折り合う余地のない事が、完全に示されてしまった事になるからです。


 この次の回にて、ロザミィを自ら撃墜せざるを得なくなったカミーユは、



ニュータイプも、強化人間も、結局何もできないのさ。そう言ったのはファだろ?」
「でも……」
「できることといったら、人殺しだけみたいだな」


 ……とまで、言うようになります。ニュータイプを希望として受け止めて来たファーストガンダム世代にとっては唖然とさせられるセリフかと思いますが、決してデタラメなセリフではないのです。


 AGEにおいても、Xラウンダー能力を暴走させたジラード・スプリガンに対して、キオはなお説得を続けます。しかし……



「やめてあげてもいいわよ」
「……?」
「その代わり、あの人を、わたしに返して……!」


 これも、ニュータイプの「人は分かり合える」に対する致命的な一言です。
 仮に人が理解し合えたとしても、それだけで万事解決とはいかない、という事なのでした。先にリンクした宇野常寛氏の記事にもある通り、「分かっていてもどうしようもない」事もあります。あるいは、頭では理解できても、感情的にどうしても許容しがたい事も、人間にはあります。仮にキオがジラード・スプリガンの事を完全に「理解」出来たとしても、彼女に起こってしまった過去をどうする事もできません。そう……



ララァが死んだ時のあの苦しみ、存分に思い出せ!」
「情けないヤツ!」
「何が!」


 宇宙世紀の二大英雄であるアムロとシャアにしたって、その点では変わりません。一時はエゥーゴで共闘したほどに互いを「分かり合っていた」アムロとシャアも、ララァ・スンの死という過去のために刃と言葉をぶつけ合っています。
 つまるところ、テレパシー的な相互理解だけでは、戦いを止める事が出来ない――それが宇宙世紀ガンダムの結論、だったのでした。


 三世代編冒頭、一連のルナベース攻略戦で、AGEは以上のような「ニュータイプの挫折」を駆け足でなぞり、キオに突き付けています。火星での体験を経てせっかく自らの道を見出した矢先、キオの目指す戦い方は早くも厳しい現実とぶつかってしまうのでした。
 なぜ、物語的なカタルシスを差し置いてまでこのような展開になるのか、という話は、前々回に少ししました。ここまでのニュータイプに関する話はガンダムの歴史の中では過去のおさらいですが、キオ世代にあたる時期の作品『ガンダム00』に至って、再び「分かり合える」というテーマが希望として語られ始めたのです。
 従ってこのルナベース編の一連の脚本は、AGEにとって直近のTVシリーズである『ガンダム00』のプロット批判の側面を持つことになります。


 『ガンダム00』セカンドシーズンの後半、ダブルオーガンダムに強化パーツであるオーライザーがドッキングする事でダブルオーライザーとなり、放出されるGN粒子の量が飛躍的に増加、結果としてその場にいる者たちの精神感応、といった現象を引き起こします。



イオリアの目的は、人類を革新に導くこと……。そう、俺は……変革しようとしている……!」


 一見して分かるように、GN粒子が集中する場所で起こる精神感応は、宇宙世紀ニュータイプによる精神感応とあからさまに似通った形で表現されています。
 そして



「純粋なるイノベイターの脳量子波が、ツインドライブと連動し、純度を増したGN粒子が、人々の意識を拡張させる」


 ……とリジェネ・レジェッタさんのおっしゃるごとく、刹那の「覚醒」の直後から戦闘宙域にいる人々が念話によって会話をし、ビリー・カタギリとスメラギや、ソーマ・ピーリスアンドレイ・スミルノフなど今まで対立してきた人々が意思疎通をする事で感情のわだかまりを解消していきます。
 ある意味で、ファーストガンダム最終話以上の、ニュータイプ能力による相互理解の表現。しかし、私見では00のここに至るまでの脚本には、明確な問題意識のすり替えがあります。
 00が好きな方には申し訳ないですが、AGEがこのタイミングでジラード・スプリガンのエピソードを持ってきた真意を探るために、少し辛辣な批判をせねばなりません。


ガンダム00』セカンドシーズンの最後に、倒すべき敵として表れるのが、リボンズ・アルマーク
 声をあてているのは謎の大型新人蒼月昇……こと古谷徹アムロ・レイと同じ声の人です。
 また、作中でリボンズが乗る「0ガンダム」は、



 ファーストガンダムに極めて似ており。
 また最終決戦で乗るリボーンズガンダムも、ガンダム形態の他に(ガンキャノンっぽい?)砲撃戦形態に変形できる仕様だったりします。要は、初代ガンダムを強く意識したキャラクターとして登場します。
 そのリボンズを、(オーライザーと合体する事で「ガンダムを超えた」能力を発揮するため、名称にガンダムと付かない、などとも言われる)ダブルオーライザーが撃破する事になるわけでした。つまり、「初代ガンダムを超える」という風にも読める構図になっています。
 まぁ、これ自体は別に、個人的にはそこまで抵抗はありません。ガンダムと名のつく作品を世に送り出すという事は、ガンダムというシリーズの呪縛と戦う事でもあり、「初代ガンダムを超える」という目標が制作のモチベーションになる事もあるでしょう。私が批判したいのは、そこではありません。
 問題は、作中でリボンズたち「イノベイド」が行使する能力の描写です。


 リボンズをはじめとするイノベイド(人為的につくられた革新者)たちは、脳量子波(宇宙世紀でいうところのサイコミュ通信)によって距離が離れていても意思疎通を図る事ができる、というように描写されています。
 しかし、彼らの「意思疎通」は単にテレパシー的なものではなく、意識の共有、否、事実上の「人格の乗っ取り」に近いものであることが描かれています。その事を浮き彫りにするためのエピソードが、セカンドシーズン第20話「アニュー・リターン」です。



 スパイとしてソレスタルビーイングに潜入していたイノベイドのアニュー・リターナーは、やがてロックオン・ストラトスことライル・ディランディと恋仲になります。
 一時はソレスタルビーイングを裏切りオーライザー奪取を目論むも失敗、その後の戦闘でライルと交戦したアニューは、ライルの必死の呼びかけに心動かされ、一時はその声に応じようとするのですが……



イノベイターは、人類を導く者」



「そう、上位種であり、絶対者だ。人間と対等に見られるのは、我慢ならないな。力の違いを見せつけてあげるよ」


 アニューの意識がリボンズとリンクし、アニュー機は戦闘を再開、この後ライルを撃墜寸前まで追い詰めます。
 結果、間一髪で刹那がアニューを撃墜。



「ねぇ、私たち、分かり合えてたよね?」
 ダブルオーライザーのGN粒子が作り出す空間で、二人はそんな言葉を最期に交わすわけですが……。


 さて。
 リボンズが、乗機や声優などから、ファーストガンダム(のアムロ)を強く喚起させる演出になっている事は既に確認しました。しかしそのリボンズが使用する意思疎通の方法は、アムロニュータイプとして見せた「人類の革新」「誤解無く分かり合える人々」のそれではありません。むしろ、宇宙世紀でいえば強化人間の戦闘強制に近いものとして描かれています。
 それに対して、「真のイノベイター」である刹那・F・セイエイがリボンズ・アルマークを打ち破るわけですが、その刹那がダブルオーライザーの能力と合わせて、周囲の人々に言葉を超えた意思疎通を促し、人々を結びつけるという形になっている。


 ここまでお読みになられた方ならお分かりでしょう。本来、刹那がダブルオーライザーと共にもたらした「意思疎通」こそ、ファーストガンダムアムロが見せた「人の革新」の可能性だったわけです。ダブルオーライザーがもたらす人々の意思疎通は、本当ならば(ファーストガンダムを想起させるキャラクターである)リボンズに帰せられるべき能力でした。
 結果的に00のプロットは、宇宙世紀ニュータイプの能力と、それがもたらした希望を一段階矮小化して描くことで、実際は宇宙世紀で描かれたのと変わらない「人の革新」を、過去を超える新しい可能性として刹那がもたらしたかのうように、描いてしまっているのでした。


 実際には、00劇中で描かれた「真のイノベイター」による人々の意思疎通も、ファーストガンダム時点でのニュータイプの希望と描写にそう変わりがあるようには見えませんから、00のストーリーがここに落ち着くという事は、既に当記事で見て来たような『Zガンダム』以降のニュータイプの挫折という「現実認知」は、無かったことにされてしまうのです。


 先に、筆者はカミーユ・ビダンのセリフを挙げて、「互いにとことん分かり合おうとし尽くして、それでもなお分かり合えなかったら、後は相手を排除する道しか残っていない」、という旨のことを述べました。
 実際『00ガンダム』では、最終決戦で刹那の完全覚醒によりソーマ・ピーリスアンドレイ・スミルノフ、スメラギとビリー・カタギリなどが意思疎通により和解を果たしていますが、この機会を経てもなお「分かり合」えなかったリボンズ・アルマークアリー・アル・サーシェスなどは結局、刹那をはじめとするソレスタル・ビーイングによって殺害されています。
 もちろんエンターテインメントとしての制約はあります。が、「分かり合う」事で戦いを終わらせると主張するのであれば、サーシェスのような冷徹な戦争屋、リボンズのような差別主義者とも分かり合えるのでなければ、作品のテーマ性としては脆弱にならざるを得ないでしょう。結局は「価値観を共有できる者は仲間、共有できない者は排除」という構図になってしまいます。従って『ガンダム00』の最終決戦の展開は、00という作品が打ち出そうとしたメッセージの限界を自身で既に描いてしまっているのです。


ガンダムAGE』が三世代編において批判しているのは、正にこの点です。ゼロ年代ガンダム世代に属する、つまり『ガンダム00』の世代に属するキオ・アスノこそが、『00』が明言しなかった『Zガンダム』以降の現実認知を、「ニュータイプの挫折」を、体験せねばならない。
 再三指摘した、AGEのシナリオの迂遠な回り道を伴うプロットは、このためであると考えられます。


ガンダム00』は後に劇場版が制作されました。その中で刹那・F・セイエイは、究極の他者である異星からの生命体「ELS」と対話を試み、多大な犠牲の果てに最終的には「分かり合う」事に成功しています。これは『00』の提示しようとしたメッセージをどうにか完遂しようとしたもので、それなりに誠実に作られてはいます。
 とはいえ、地球側も散々ELSを攻撃・破壊していたにも関わらず、刹那と分かり合えたのはELSが全体で一つの意思を持つという特異な生命体だったからで、もしELSの個体一つ一つが別々の意思とパーソナリティを持つ者たちであったのなら、同朋を殺されたELS側がすんなり「分かり合う」事に同意したかどうか。筆者の感想としては、かなり問題が単純化されているという読み方しか出来なかったというのが正直なところです。


ガンダム00』という作品については、その描いたテーマ性の深さ、試みの面白さという点で本当に評価すべきはセカンドシーズン以降ではなく、実はファーストシーズンであったと筆者は考えています。
 セカンドシーズン以降が、良くも悪くもゼロ年代ガンダム的であったのと対照的に、ファーストシーズンはどちらかというと、90年代ガンダムのテーマの発展継承という側面がありました。00ファーストシーズンのストーリーは、結果として90年代ガンダムが目指していた目標を明示し、同時にその限界を描いたという点で非常に面白いものです。これについては、次々回「破壊者シド」の解説の際に、詳しく論じてみたいと思います。



      ▽ジラード・スプリガン顛末


 この第43話の放映直前まで、ネット上では展開の予想がされていました。
 つまり、ジラード・スプリガンがXラウンダー能力を暴走させ、キオ、フリット、ゼハート、フラムというXラウンダーたちが身動きが取れなくなるとしたら、このタイミングこそ「スーパーパイロット」、非Xラウンダーであるアセムの活躍のチャンスであるに違いない、というもので。
 しかし、AGEにおいてはこうした「熱い展開」への期待はことごとく外れてしまいます。
 アセムは実際、ティエルヴァへの攻撃を行うのですが、これを



 ゼハートが身を挺して防いでしまうのです。
 ストーリーの盛り上がりに寄与する展開ではありませんが、しかしゼハート・ガレットという人物の描写としては、これ以上ないくらい雄弁です。元連邦であり、ゼハートの命令にもあまり耳を貸さず、また現に能力の暴走で作戦遂行に支障を来たしている原因であるジラード・スプリガンをも、この人物はやはり体を張って守るのでした。
 そして、暴走するジラード・スプリガンは、



 フリット・アスノによって撃墜されます。
 キオがジラードを撃墜できないのは良いとして、なぜアセムではなくフリットだったのか。ここまでの読解を踏まえて考える事が許されるならば……
 ジラード・スプリガンが、宇宙世紀ニュータイプを巡る希望と挫折を再演するために登場したと見るならば、その退場を促すのは



 AGEにおいてアムロ・レイの位置にいる、フリットだった、という事かも知れません。


 一方、撃墜されたジラードは最期の瞬間、自身を振り返って自嘲気味につぶやきますが……



「フッ、無様な最期……連邦のことも彼のことも……結局、わたしは何もできなかった」
 しかし、そんな彼女にただ一人声をかけたのが、ゼハートでした。



「いや、そんなことはない。お前は自分が信じた正義に殉じて戦い抜いた。わたしはお前のことを戦士として認めている」
 彼女が連邦を裏切って戦ったのは、端的に言えば復讐のためであり、「正義」とは言っても決して万人に誇れる大義があったわけではありません。しかし、このゼハートの言葉に、ジラードは憑き物が落ちたように微笑んで、



「ありがとう……」
 と返すのでした。


 一体、この最後のやりとりはどういう意味なのか、ゼハートの言葉の何が、ジラード・スプリガンの心を慰撫したのか……これについては、後に別なシーンとの関わりで、また述べる事があるかと思います。今しばらくお待ちください。


 ……というわけで、ついにルナベース攻略戦が終わりを告げます。
 歴代ガンダムの大問題をまた一つ駆け足で振り返りながら、AGEのストーリーは最終決戦前の最後の幕間へ入って行きます。『ガンダムAGE』という作品の最終的な射程がどこまで至るのか、引き続き筆者なりに焙り出して行こうと思います。
 相変わらずののんびりペースですが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次