機動戦士ガンダムAGE 第41話「華麗なフラム」

     ▼あらすじ


 連邦軍の猛攻を受けるルナベースで、ゼハートはガンダムの勢いを止めるために出撃する。そのゼハートに内心を打ち明けたフラム・ナラもまた、フォーン・ファルシアで出撃、キオと激しい戦いを繰り広げていく。
 本当は分かり合えるはずだと言うキオと、今さら遅いと突き放すフラム。キオの元へ駆けつけたアセムと激しい鍔迫り合いを見せるゼハート。混戦を極める戦場に、さらなる脅威、かつての連邦パイロットだったジラード・スプリガンが現れるのだった。




      ▼見どころ


 ルナベース攻略戦が混迷を深めていく第41話。
 この回の特徴として、他の回に比べて少し回想シーンが多く、また長めにとられている事が挙げられます。キオはセカンドムーンでのルゥとの思い出を、アセムはダウネス内部でのゼハートとのやり取りを回想します。言ってみれば、いわゆる「総集編」、今までの展開を回想形式で流す事でアニメ製作スタッフの負担を軽減する回、にもしかしたら当たるのかもしれません。
 とはいうものの、この回を通しで見た時に、とてもそのような負担軽減回には見えません。むしろ戦闘描写はいつもより激しいくらいで、MS戦は非常に見応えがあります。この辺り、AGEという作品の作画のクオリティが全49話を通して、高水準を維持していた事も地味ながら確かな見どころであるように思えます。『ガンダム00』のように、作画クオリティを維持するためにファーストシーズンとセカンドシーズンの間に半年間のブランクを置いた作品もあったくらいですので。


 そうした制作側の事情を横に置いても、この回は戦闘シーンのメリハリが良く、ロボットアニメとしての見応えを重視しても十分に楽しめると思います。


 とはいえ。この記事の使命はそうしたエンタメとしての楽しさを差し置いて、ストーリーの重箱の隅をチクチクと探る事にあります。例によって細かなオマージュや、セリフの機微を追って行くことにします。




      ▽フォーンファルシ


 この回に新しく登場したMSが、フラム・ナラの駆るフォーンファルシアです。



 名前からも見た目からも分かる通り、かつてフリット編でユリン・ルシェルが乗せられる事になったファルシアの系列に属する機体。
 ここでファルシアが再び劇中に登場することの意味は、AGE全体を通して見ても、決して分かりやすいものではありません。
 本放送中誰もが、ファルシアの再登場によって、かつて因縁のあるフリット・アスノとの何かしらの絡み、イベントが起こるだろうと予測していました。しかし特に三世代編以降、視聴者のそうした「展開予測」はどんどん外れていく事になります。先の展開に言及してしまう事は出来るだけ避けますが、それでも少しネタバレするとフォーンファルシアはそうしたフリットとの因縁を描くために登場したわけではありません。
 では何のためなのか……腑に落ちる明確な答えかどうかは分かりませんが、私が思いつく限りの事はいずれ書くかもしれません。


 とりあえず、シンプルに確認できる事を優先しましょう。フォーンファルシアはフリット編で猛威を振るった遠隔攻撃端末ビットに加え、新たな武装を持っています。



 フォーンファルシアバトンという名前だそうですが。
 そのファンシーで魔法少女なデザインは放映当時、それなりに反響を広げました(笑)。シリアスな副官として働いてきたフラムさん、意外に乙女チックであるらしい。
 とはいえ、これも見過ごすわけにはいきません。第14話の解説で書いたように、ファルシアのビットは花の形をしており、『Gガンダム』に登場するガンダムローズのローゼスビットを連想させるデザインです。フォーンファルシアのビットも同形。となればバトンの方も……



 これのオマージュなのでしょう。
 ノーベルガンダムのビームリボンが、ほぼ確実に意識されていると見られます。
 なんと、フリット編以降なりを潜めていた『Gガンダム』デザインのオマージュが、ファルシアと共にここで復活してくるのです(笑)。


 この解説記事ではこれまで、フリット編を初代ガンダム前後、アセム編を80〜90年代ガンダム、そしてキオ編をゼロ年代ガンダム作品に対照させ、それぞれの時代の機体デザインやテーマ、ストーリーを取り入れつつ進んできたと論じてきました。
 それに対して、この三世代編は呼称の通り、これまでの各世代に登場した要素やテーマが一堂に会するかのような展開になっていくように思えます。言ってみればゲーム作品の『Gジェネレーション』や『スーパーロボット大戦』のように、年代の枠を超えた機体や人物やテーマが戦場で入り乱れる、という事態になっていきます。
 実のところ、フリット編にしか登場しない特徴的なMSというと、AGE1を除けばファルシアくらいしか居なかった、という理由でフォーンファルシアがキャスティングされた可能性も否定できません。連邦、ヴェイガンともに量産MSはその後も同系統デザインの機体が登場し続けていたわけですし。
 また、この回の最後に登場するジラード・スプリガンの乗機ティエルヴァは、設定上Gバウンサーの系列機体という事ですから、これをアセム編からのピックアップと解釈すれば、ルナベース戦の時点でフリット、アセム、キオそれぞれの戦いを彩った機体(やその系列機体)が集まってきている事になる。
 以前にも書いた黒歴史的な想像力としての作品クロスオーバーの感覚を、ここで取り入れようとしていると読むことはさほど無理でもないでしょう。
 もっとも、そうした意図はあまり成功してはいません。むしろファルシアの登場は、視聴者の予想と期待をミスリードした側面の方が強い。成功していたなら、放映当時の反響ももっと違っていたはずです。
 とはいえ、こうした「ガンダム各世代を包摂していく」試みは、後に『ガンダムビルドファイターズ』という形で再度試みられる事になり、少なくともこの記事を書いている段階ではかなり成功しているようです。先鞭をつけたと言ったら、ビルドファイターズのファンに烏滸がましいと叱られてしまうかも知れませんが、あの作品の素地を幾分かでも作ったとは言えるのではないかと思ってもいます。


 フォーンファルシアが登場した理由については、他に地味な演出上の理由もあるのかなと思っていたりするのですが、その点はまた後日、書くことにします。
 さて、一方、フォーンファルシアの乗り手の話。



      ▽フラム・ナラとゼハート・ガレット


 この回、フラムは会話の成り行きから、ゼハートに真情を吐露する事になります。



「わたしは、あなたが部下を道具のように捨てる人間だったなら、その命を奪うつもりでいた。兄のために……けれどあなたは……」
「あなたは、部下たちのことをいつも考えていた」


 兄のドール・フロストの死に疑念を抱き、そしてザナルドがゼハート監視のために潜入させた立場でもあるフラムですが、ゼハートの言動に接するうちに心魅かれていくようになります。回想シーンを入れることで、このフラムの翻意は自然なものとして描かれていると言って良いと思います。
 しかしこのシーンで重要なのは、フラムの気持ちの変化を伝えるこのセリフではありません。フラムに対するゼハートのセリフです。
「あなたの命を奪うかもしれないわたしを、なぜ身近に置き続けたのですか?」と問うフラムに、ゼハートはこのように答えています。



「使える人間ならそばに置く、わたしには、お前が必要だ」


 実に微妙な言い回し。
 この時点で、ゼハートがフラムに特別な感情を抱いていたかどうかは、何とも判断できません。まったくそうした感情抜きに、単にフラムの実務能力を評価してこのように言ったのかも知れませんし、そうでないかもしれません(一応、フラムの感情を見透かして、わざと思わせぶりな言い方をする事で味方につけた――という見方もありはします。もっとも、筆者私はそのようには見ていません。ゼハートにそういう器用さがあったなら、この人の人生はもう少し違っていただろうと思えるからで)。
 いずれにせよ、ゼハートがフラムを(公的な意味でか私的な意味でかは不明ながら)必要としている事は確かであるようです。ただしその意図を伝えるための言いぶりは、良くも悪くもヴェイガンという組織の性格が表れたものでした。


「使える人間ならばそばに置く」。それは実力主義の人材登用をしているらしく見えるヴェイガンらしい評価基準です。そうした評価を、えこひいき無しに実行できるゼハートは誠実だとは言えます。
 しかしこの言い方は、裏返せば「ゼハートにとって必要な存在であり続けるためには、戦場で結果を出し続ける=使える人間で居続けなければならない」事と同義です。現にこのやり取りの直後、フラムは自らもMSで出撃する決意をしたのでした。
 こうしてMSパイロットとして出撃し始めたフラムの動向も、AGE終盤のストーリーに影を落とすことになっていきます。


 また、この回は指揮官としてのゼハートの采配にも同様の問題点が透けて見えます。



ガンダムとは一度戦ってみたかったの。ここは譲ってくれないかしら?」
「ヤツを倒すのはこのわたしだ。任せるわけにはいかない」
「地球連邦から寝返った女に、手柄を奪われるのは面白くないと?」
「お前にはお前の役割がある。それに専念しろと言っているのだ」
「……フッ、まあいいわ。今回はおとなしく従うことにしましょう。けれど……てこずるようならすぐに代わってもらうわよ」
「いいだろう。その時は好きにするがいい」



「ゼハート様、わたしもフォーンファルシアで出ます」
「お前が?」
パイロットとしての経験は浅いですが、わたしのXラウンダーとしての力は、十分通用するはずです。足手まといだと感じた時は、置いていってもらって構いません」
「……いいだろう。ついて来い」


 いずれの会話でも、最終的には相手の言い分を認めて、出撃を許しています。ジラード・スプリガンとの会話は許可というより、ガンダムを討つ自信の表れだったのかも知れませんが、結局この回の最後でジラードが出撃してきてしまうので。
 このように、自発的に出撃を申し出た者を止めないというのは、実力主義のヴェイガンらしい特徴ではあります。連邦軍なら、たとえ自発的な行動であっても、部隊全体の連携を崩す行為は厳しく処罰されていました。たとえば



 アセムのディーヴァ所属後の初戦、華々しく敵を討ち果たしはしましたが、



 命令違反により、営巣入りを言いつけられています。


 ヴェイガン的な方針と、連邦軍の方針、どちらが優れているかはその度合いや状況、組織の規模にもよるでしょう。しかしAGEに関して言えば、能力主義で自発性を重んじるヴェイガンの側により多く組織の弊害を描いているように見えます。
 たとえば、当初、AGE-FXを相手に互角の戦いを展開していたファルシアですが、



 アセムのダークハウンドが登場するや一気に不利になり、収拾のつかなくなったフラムはゼハートの元へ合流します。
 そして(これはこの回最大の笑いどころでもあるのですがw)合流してきたフラムを見たゼハートは、視界にアセムのダークハウンドを見るや否や、



「アセムぅぅっ!」



「ゼハート様!?」
 フラムも眼中にないかの勢いで、アセムの元へ吹っ飛んでいきます(笑)。
 アセム編での二人の因縁を思えば、気持ちは分からなくもないですが。この直前まで、ゼハートはアビス隊の進撃を足止めしていたわけなので。ここで



 二人だけの世界に行ってしまうと、結果的に基地防衛がかなりおろそかになるように思えます。
 事実、アセムとサシで戦っている最中に、フラムから「ゼハート様!敵モビルスーツ部隊接近中です!」の報告で我に返る事になります。


 これはもちろん、直接的にはゼハートの判断ミスです。が、より広く見れば、ヴェイガンという組織の性格がもたらした失策でもあります。
 アセム編を思い出してみましょう。
 連邦軍の中で、アセムのAGE-2やウルフのGバウンサーは押しも押されぬエースパイロットでした。しかしそんなエースも、



 時には敵に翻弄され押される事もあります。
 しかし、ビッグリング攻防戦では、こうしたエースパイロットのピンチを



 名もない一般兵がフォローに入る事で支える事ができました。
 これは何も、フリットの指揮だけに還元される事態ではありません。フリット編でも、UEの新MSバクトに苦戦したAGE-1が新しいウェア「タイタス」に換装されるまでの間、



 ラーガンが体を張ってフォローしていました。
 キオ編においても、ロストロウラン戦でAGE-3がシャナルアを追って勝手に離脱してしまった時に、それが理由で戦線崩壊したりはしていませんでした。
 連邦側には、エースやリーダー格のポジションが何らかの理由で抑え込まれても、チームや組織力でフォローする態勢があるのです。


 しかし、ヴェイガンにはこれがありません。実力主義によって有能な人物を抜擢しているため、個々の兵や将は極めて高い能力を持っていますが、一方でヴェイガン兵はどんな状況に陥っても、個人の裁量と力で(意識高い系の言葉を使うなら“人間力”でw)どうにかするしかない、という事になります。
 このような組織形態になってしまっているために、ヴェイガンでは指揮官の人間的なウィークポイントがダイレクトに作戦の遂行に影響してしまっているのです。ルナベース戦において、ヴェイガン側が連邦の侵攻を許してしまっているという事は、見方を変えればそういうことです。
(ちなみに、これは「だからチーム内の和が大切なんだ」「絆が大事なんだ」とかいうような話ではありません。そういう日本的な職場秩序とは無関係な話です。ビッグリング防衛戦でアセムやウルフをフォローした一般兵たちは、おそらくアセム達とほとんど面識もなかったことでしょう。ここで重要なのは人間関係の機微ではなく、そのような組織的なフォローを可能にしているシステム、組織形態の差なのです


 そもそも、軍事関係に詳しい方なら、この回は初手から納得がいかなかったに違いありません。先に引用したゼハートとジラード・スプリガンの会話にしても、一体ジラードにどんな役割が振られていたのか不明ですが、普通に考えればゼハートとフラムがルナベース内で防衛戦全体の指揮を執り、対ガンダムにはXラウンダーとしての戦力が期待されるジラードをぶつけるのが得策でしょう。少なくともゼハートは残るべきです。41話終了時点でゼハート、フラム、ジラードが全員出撃して来てしまい、戦局全体を見通す場所には元連邦軍の気弱そうな人物(アローン・シモンズ)しか残っていません。
 まぁ、ここで出撃してしまうところが「シャアっぽい」ことは確かなのですが……(笑)。


 筆者もあまり軍事関係に詳しいわけではありませんが、やはり戦局全体を見通す指揮官と、最前線で部下を率いる部隊長や小隊長、まして一介の兵士とは役割もするべき事も全然違う、ということではあるようです。AGEで言えば、「ビッグリング絶対防衛線」でフリットとアルグレアスがしていた指揮、あれが一軍の総大将の仕事ということなのでしょう。
 しかしガンダムという作品シリーズは、その辺りにかなりフィクションを差し挟んできた作品でした。それは初代ガンダムから既にそうなのです。
 第41話の「光る宇宙」で、シャアはザンジバル1隻とムサイ級3隻による艦隊特攻を指揮しています。



 当初はザンジバル内で指揮をしていましたが、ララァ・スンが出撃した際にシャアもMSで出撃。そして、ララァアムロ相手にガンダム史上最も有名な例のやりとりをしている間に、



 ザンジバルホワイトベースのメガ粒子砲の直撃で沈んでしまっているのです。
 ムサイ級やMSも含め、この戦闘で投入した戦力はほぼ全滅しており、後にシャアはキシリアに大目玉を食う事になります。
 この場合、本来ならシャアはザンジバル内で艦隊全体の指揮を統括し、MS戦は他の者に任せていなければならなかった、のでしょう。そのようにしていれば、艦隊全滅は免れたかもしれません。


 こうした傾向は、80年代以降ますます強まっていき、アクシズハマーンティターンズシロッコなど、一組織一勢力のトップがMSに乗って戦場のど真ん中に出てくる、と言う状況が常態化する事になります。
 ガンダムAGEのルナベース戦におけるゼハートの采配も同じようなもので、ミリタリー的なリアリズムに照らせば不自然というか無茶な事、ではあります。ただ、ガンダムへのこだわりから(現場責任者であるにも関わらず)第一線に飛び出してしまうあたり、『逆襲のシャア』も含めたシャア・アズナブルの行動に近くもある。
 そして、そのような指揮官らしからぬ行動はすべて、事態の悪化という形でゼハートに跳ね返っていくのでした。


 以上のように、第22話「ビッグリング絶対防衛線」での連邦軍描写と、この回のヴェイガン描写の比較をしてみると、ガンダムAGEという作品における組織というのは、歴代ガンダムに対する批評的な部分も含めてかなり明確に描き分けされていると言えると思います。このような描き分けがやがてどこに行きつくのか――というのは、当解説記事の重要な力点として最終盤まで注視していく問題です。引き続き、追って行きたいと思います。
 さて、そのほかに。



      ▽「人は分かり合える」


 前回、敵兵を殺さずに戦う決意と共に戦場に出たキオですが、この回ついに禁断のあのセリフを口にします。



「分かり合えるはずなんだ。みんな……!」


 これこそまさに、初代ガンダムが希望として描いた、その核心をなすフレーズでした。



「人は変わっていくのね。私たちと同じように」
「そうだよ、ララァの言うとおりだ」
アムロは本当に信じて?」
「信じるさ。君ともこうして分かり合えたんだ。人はいつか、時間さえ支配することができるさ


「誤解無く分かり合える人々」、それこそがニュータイプという言葉の本来の定義でした。そうであるが故に、この「分かり合う」という言葉は格別の重要さを持って、ガンダムシリーズの中で繰り返し登場して来ます。
 宇宙世紀ガンダムを通して突き詰められてきた重要テーマ、ニュータイプ」をめぐる問題とは、突き詰めれば「人は分かり合う事ができるか」という一点に集約できるテーゼなのでした
 ともすれば見逃してしまいそうな1カットですが、キオがここでこの言葉を口にした、という事実は看過できない重さを持っています。


 既に何度か、過去の解説記事で予告的に書いてきたように、AGEはこの「ニュータイプの意思疎通によって人は分かり合えるのか」という問題を、どう見ても意図的にスルーして来ました。アセム編にて一度はXラウンダーと非Xラウンダーの二項対立を描き、やがてアセムがスーパーパイロットになる事でこの二項対立が解除されるという、宇宙世紀ニュータイプ問題のダイジェストをきちんと追っているにも関わらず、そのニュータイプという言葉の本来の定義であり、希望であった部分は丸ごと抜け落ちていたのでした。
 ならば、その核心部分には踏み込まないのかと言えば、さにあらず、キオがこのセリフを口にした事で、改めてこの三世代編にて、ニュータイプを巡る「人は分かり合えるのか」問題の検証が開始される事になります。既にAGE全話を視聴された方は薄々お気づきかもしれませんが――ジラード・スプリガンという人物は、この問題を改めて描くために配置されたキャラクターです。今後、第42話、第43話の解説で詳しく見ていきますが……。
 どうにも、AGEのシナリオの、テーマ性を突き詰めるためのこういう必然性は、大変分かりにくいのですけれども――しかし目配りしておく必要があります。フリット、アセム、キオ、ゼハート、イゼルカントとついに役者がそろい、これら人物の描き込みが重要になるこのタイミングで、丸々1話を使ってジラード・スプリガンをクローズアップするという脚本は、決してドラマ作りとして上策ではありません。話のテンポも悪くなり、ラストに向けての盛り上がりも阻害され、本放送時の反響も決して芳しいものではありませんでした。
 それでも、私見では次回の第42話「ジラード・スプリガン」は必要な話であったと考えています。第39話の解説で書いたのと、同じ事情です。社会ダーウィニズム問題がゼロ年代ガンダムで再びリバイバルしてきたのと同様に、



「人は分かり合える」問題もまた、『ガンダム00』などで復活してきているからです。
 従ってこの問題は初代ガンダムや、『逆襲のシャア』までの宇宙世紀ガンダムだけに限ったテーマではありません。キオも交え、三世代全員で改めて直面しておかねばならないテーマなのです。わざわざ煩雑なシナリオ上の手続きをとってまで、この問題を先送りにした事情は以上の点にあります。


 さしあたりこの第41話、キオは「分かり合う」ための対話を試みますが、



「僕たちには分かり合える道があるはずなんだ。こんなこと、もうやめようよ……」


 しかし、フラムの返答は取りつく島もありませんでした。



「これまでの戦いでどれだけの犠牲が払われたと思っている!?話し合いなんてもはや不可能なのよ!」
「その犠牲を無駄にしないためにも、戦いをやめなくちゃいけないんだ!」
「そんなことで……死んでいった者たちの命が報われるはずない!!」


 戦ってる相手から突然こんな事言われて、はいそうですか、といくわけもなく、フラムの反応は無理もないものでした。
 ちなみに邪推するならば、フラム・ナラはこの戦争で兄のドール・フロストを失っており、しかも兄のために場合によっては上官のゼハートを殺す覚悟までしていた人物です。ところが、そのゼハートは部下の命をないがしろにする人物ではなかったわけです。ゼハートへの殺意が解消される一方、兄を巡る気持ちは当然、敵である連邦に向くしかなかったと思われ、このシーンでのフラムのセリフはそうした心情も込められているように思えます。
 ついでに言えば、先に指摘した通り、ゼハートに必要とされるためには戦場で結果を出し続けるしかないフラム・ナラです。そういう意味でも、おいそれと戦いを止めるわけにはいかない――のかも知れません。


 いずれにせよ、キオの取り組みは苦いスタートを切った事になります。面白いのは、アセムが息子のこういう意志を積極的に応援している事だったりもしますが……その辺りも含めて、引き続きストーリーを追って行く事にしたいと思います。


 そんなわけで、また次回。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次