機動戦士ガンダムAGE 第30話「戦場になる町」

     ▼あらすじ


 ゼハート・ガレットの駆るギラーガと接敵するキオたち。フリットはオリバーノーツ基地にディーヴァの発進を要請する。緊急事態の中、退役したフリットの要求を疎んじた基地司令は艦長経験のないナトーラ・エイナスをディーヴァ艦長に指名、統一のとれないクルーを乗せて発進するが、AGEシステムの稼働によってAGE-3の新兵器が完成、ヴェイガンの攻撃の要となっていた戦艦ファ・ゼオスを撃沈に成功する事で、どうにか敵を撤退させる事に成功したのだった。



      ▼見どころ


    ▽29話解説の補足


 この回で描かれた場面に沿って、前回の解説記事で語った事の追記を少しだけ、先におこないます。


 まず、「戦争とゲーム」の話。現代においては、戦争の方がきわめてゲームに似通って来ているため、「戦争はゲームではない」というメッセージがかなり危うくなっているという話をしました。
 しかしこの第30話で、キオにこの言葉を告げる人物が出てきます。



 新生アビス隊の女性パイロット、シャナルアです。
 彼女はこう言います。「命を粗末にしないでね。これはゲームじゃないの」
 ここで、ニュアンスの違いを明確にしておきたいと思います。一般に、「戦争はゲームではない」と告げる時、敵兵が生きた人間であるという事を示唆する場合が多いように思います。
 しかしここでシャナルアが言っているのはそういう事ではありません。彼女はむしろ、戦闘中にリスクの高い行為をしたキオをとがめるためにこの言葉を使っています。つまり、「ゲームとは違って、プレイヤーも戦闘の当事者である」という自覚を促そうとしているという事でした。


 前回の記事の文脈で言うならば、「敵兵もまた人間である」という事を戦争に携わっている当事者が説教する、というのは説得力を持ちづらい。そうなりつつある。
 一方で、「ニンテンドーのゲームのように」一方的に攻撃できる戦争では、自分自身が戦争に参加しているために被るかもしれないリスクに気付きにくいという指摘のように思います。
 もちろん、シャナルアがこのように言うのは、そんな理屈っぽい理由よりも、彼女自身のスタンスに起因しており、この後の展開に関わってくるわけですが……この辺は、次回のシャナルアの発言なども織り交ぜて、引き続きニュアンスの差を考えてみたいと思います。



 そしてもう一つ。
 この回、ヴェイガン側の動向にも奇妙な面が見られます。
 AGE-3との戦闘に時間をとられたゼハートは、指揮下の戦艦に攻撃命令を出します。出すのですが。
「ここで終わらせてやる! ファ・ゼオス!」
 という呼びかけに対して、戦艦ファ・ゼオスが行ったのは、



 市街地へのビーム攻撃でした。
 ガンダムとの戦闘を打開したいのであれば、ターゲットはAGE-3になるはずです。なぜ、市街地への攻撃が「終わらせる」ことにつながるのでしょうか。
 この点が不可解だったからと思われますが、小説版では市街地への攻撃はゼハート到着前に、錯乱・高揚した一般ヴェイガン兵が起こした事になっています。しかしアニメ版では明確すぎるくらい明確に、ゼハートが一般市民の虐殺を命じています。ゼハートの「ここで終わらせてやる」という発言の真意は何でしょうか?
 恐らく、考えられる結論はひとつです。オリバーノーツにおけるヴェイガンの作戦目的は、連邦基地攻略でも、ましてその占領でもありません。
 市民虐殺自体が、ゼハートに与えられたミッションだったと考えるしかありません。



 そもそも、こうした傾向は、ヴェイガンがUEと呼ばれていた頃からありました。アセム編でこそあまり描写されませんでしたが、ここにきて再び描かれ始めています。ヴェイガンMSはオリバーノーツの市街地を真っ先に襲っており、連邦軍基地の方はナトーラが艦長を拝命して着替えを済ませ、ディーヴァに乗艦してもなお本格的な攻撃にさらされていません。
 テロリズム
 歴代ガンダムで言えば、ネオジオンがダブリンにコロニー落としをしたのが近いでしょうか。地球上のどこかを占領し、そこを拠点にするという正攻法の作戦を断念するのと引き換えに、破壊に特化した行動をとることが出来る。アニメ版AGEにおけるヴェイガンの行動は、小説版のそれとは明らかに違うということです。


 そして皮肉にも、こうした態度は、初代ガンダムよりも以前の子供向けアニメーションで描かれた、破滅的な「悪の組織」と近しい存在になってしまいます。
 ヴェイガンの無差別攻撃に戸惑ったキオに、フリットは言います。



「ヴェイガンは人間じゃない、人の命を簡単に奪う!」


 さらに戦闘終了後、イゼルカントについてキオに問われたフリットは、



「ヤツは邪悪な存在、人類を滅ぼそうとする魔王だ。絶対に倒さねばならん」
 と答えているのです。
 ここで、「魔王」という言葉を使っているフリットに注意しましょう。これはもちろん、聞き手であるキオを意識して言葉を選んでいるのです。イゼルカントという存在を、キオが(そしてキオと同じゲーム世代が)RPGでよく見知っている(であろう)ラスボス、疑問の余地なく打倒すべき悪の「魔王」であると言い聞かせているのでした。


 フリットという人物は、ヴェイガンに対する強硬で頑固な姿勢ばかりが強調される人物ですが、このように相手によって語る言葉を変えられる人物である事は押さえておく必要があります。


 そして同時に、ヴェイガンのとっているテロリズム的な戦略が、地球側のキオの視点からは古典的な「悪」と重なってしまっている事にも留意する必要があります。ガンダムAGEの一見子供向けな演出は、実は大抵このような二重映し、ダブルミーニングを孕んでいるのでした。
 後にキオの視点を通して見えてくるように、実際にはこのようなテロリズムの方法というのは「弱者の戦術」です。相手と正面から決戦を挑んでも勝てる見込みがなく、国家間で対等な交渉をできる国力もなく、あらゆる意味で対等に相手と渡り合えないゆえの選択肢でもあります。もちろん、だからといって肯定される行為ではありませんが。


 フリットによって語られた「イゼルカント=魔王」というイメージが、その後キオの中でどのように変わっていくか。これが、キオ編を通しての大きなテーマになっていくのでした。



      ▽連邦軍の内情


 この回、特に重点を置いて語られるのは、連邦軍の様子です。
 短時間のうちに、連邦軍の地方と中央、末端の兵士から総司令までを手短に描写する事で、視聴者にこの時代の連邦軍の実情を要領よく伝える脚本・演出になっています。
 しかしそこで描かれた連邦軍の様子は、また複雑な捻りを加えられたものでした。



 そもそも第28話で、フリット・アスノは半ば以上クーデターのような方法でオルフェノア政権を崩壊させ、激しい粛清の風を吹かせた事が語られていました。ところがそれからおよそ20年経ったキオ時代、フリットは退役軍人として民間人と同等に扱われ、一地方基地の長官にも侮られ疎んじられています。
 フリットがかつて連邦軍総司令として辣腕を振るい、ガンダム史上類を見ない「組織力で勝負できる軍」を組織していたビッグリングは、ほとんど抵抗の余地もないままヴェイガンの大型要塞により壊滅。
 そして新たなディーヴァのクルーたちは、問題児ばかり集められたとはいえ、およそ軍としての規律が保たれているとは思えない状態でした。


 地球連邦の政権を事実上奪取してからのフリットが何をしていたのか、なぜ一介の退役軍人に身を落としているのか、そういった説明はまったく作中でなされません。小説版では、アセム行方不明を契機に身を引いた事が言及されていますが、アニメ版にはそういったわずかな情報すら提示されませんでした。
 あるいは、強権を発動させすぎたフリットが何らかの事情で失脚したのではないか、といった想像すら起こりますが、真相は不明です。


 ヴェイガンの地球侵攻が開始されたキオ編冒頭で、連邦軍の総指揮をとっているのは



 フレデリック・アルグレアス。
 アセム編においてフリットの腹心の部下として働いていた人物です。彼の命令のおかげで、フリットのディーヴァ発進要請が許可されました。アルグレアスが軍の実権を握っているという事は、完全にフリットの影響力が連邦から一掃されたわけではないようですが、しかしオリバーノーツ基地側の反応を見る限り、やはりフリット・アスノの威光は過去のもののようです。
 また、アルグレアスがたまたまロストロウランに来ていたため、ビッグリング壊滅に巻き込まれなかったことについて、こんな短い会話が交わされています。

「ここにいらして幸いでしたな、アレグレアス提督」
「幸いだと? この状況のどこが!?」


 小説版では、オリバーノーツ基地司令のアルグレアスに対する皮肉として使われたセリフですが、アニメ版では単純に本音がポロリと出たセリフでしょう。そして逆に叱責されている。フリットがトップにいた頃には考えられなかっただろう気の緩みが描かれているのです。



 そして、オリバーノーツ基地司令のこの人。
 表面的な印象ほどには、彼の判断は不当ではありません。フリットが退役軍人である以上、その命令を聞かねばならない道理はありませんし、ディーヴァが老朽艦である事も確かです。
 後にフリットも言っている通り、フォトンブラスターキャノンは大気圏内の街中では危険すぎて使えず、またAGEビルダーにしても、あれは基本的にはガンダムの支援ツールです。肝心のガンダムフリットが所有しているようですから、使えないものと判断されても仕方ありません。
 AGE世界での戦艦の運用がどのようになっているかは判断がつきませんが、一般的に言って百人単位のクルーが必要なはずです。ヴェイガン襲撃の最中、距離的には基地から直接出撃できるロケーションで、わざわざ人員を大量に割いて戦艦を発進させる必要性は高くないという事でしょう。これら、基地司令の判断は理にかなっています。
 しかし、ディーヴァの艦長に、「親の七光り」に対するあてつけとしてナトーラ・エイナスを指名した事については、弁護の余地がありません。上記のような事情があったとはいえ、ディーヴァを出す以上、本来なら少しでも事態の打開に役立つ人選をすべきだったでしょうから。



 そして、ディーヴァのブリッジクルー。



 ナトーラ・エイナスは経験なしの艦長です。
 とはいえ、この人物のキャラクター造形も、ここまでのAGEの流れを考えると面白いと思います。第19話の解説でも書いたようにガンダムの歴史を見ると、主人公の乗艦の艦長が女性というパターンがほぼセオリーになったのは『ガンダムSEED』以降、つまりゼロ年代、キオの世代以降という事です。ナトーラという女性艦長はガンダム史の流れに沿っています。
 しかも、ゼロ年代ガンダムの女性艦長には、現場指揮官としての頼りなさを描いてきた側面がありました。初期のアークエンジェル艦長マリュー・ラミアスが、副館長ナタル・バジルールに比べて判断に迷ったり、頼りなく描写されたりしていましたし。『ガンダム00』のプトレマイオス艦長スメラギ・李・ノリエガも作戦中に泣き出したり意識失ったりしていました(ついでに言えば、セカンドシーズン冒頭では酒浸りのスーパーダメ人間生活を披露していましたw)。こうして見てくると、アセム編のミレースと比べてもナトーラのキャラクターづけはゼロ年代ガンダムの特徴をしっかり押さえていると言えます。


 ディーヴァクルーの他の面子を見ると、



 ブリッジ内に飲食物持ち込みをはじめ、勤務中にお昼寝などなど、明らかにルーズで人間関係のギクシャクしそうな人物が揃っています。
 もちろん「問題児ばかり」集められたからなのですが、キオがこのような艦で物語を始めなければならないというのは、やはりゼロ年代の空気の反映のように見えます。
 前回も書いた通り、バブル崩壊以降の「失われた20年」によって、社会的な低迷が日本を覆っていたわけです。2007年の世界金融危機、2008年のリーマンショック以降しばらくは世界的にもそうでした。
 日本国内では、小泉内閣規制緩和を契機に非正規雇用が増加。この記事を社会人の方がどれくらい読まれているかは分かりませんが、そういう方は実感していると思います、職場から正社員が減り、アルバイトやパート身分で働く人たちが増え、結果として現場で働く人たちの仕事の練度も否応なく低下していったのでした。


 たとえば、ナトーラの抜擢などは、どちらかといえばコンビニやファーストフードチェーンで問題になっている「名ばかり店長」のイメージがしっくりきます(笑)。


 先ほどから、ロボットアニメを見る視点としてはいささか不釣合いな、雇用とか組織の話を続けている事に不審を感じられるかも知れません。しかし、AGEはここからラストへ向けて、連邦とヴェイガン、フリットとイゼルカントという対照を見せながら、その組織論と後継者問題を中心テーマとして進んでいきます。
 今のうちから、こうした組織描写に眼を配っておくと、終盤の楽しみが増えるかもしれないので、これから三世代編を見る人がいたら、是非あらかじめ意識しておくと良いように思います。



 その他、セリック・アビス指揮下のアビス隊にオブライトさんが、



 また何故かメカニックとしてロディ・マッドーナが乗り込んでいます。
 この辺りはアセム編を引き継いだ面子ですが、当のアセムが不在のため、今のところドラマとして本筋にはあまりかかわっていません。しかし、今後その存在感を大きくしていきます。


 さて、もう一つ。



      ▽継承されるあれこれ


 AGEの世代を超えたドラマも第三世代に突入しましたが、よく見てみるといくつか、アセム編以前から引き継がれた影響を見ることが出来ます。せっかくなので、細かい点ですが見ていきましょう。


 まずは、アルグレアス。
 かつてフリットの下で働いていた彼も、今は連邦軍の総司令といった立場にあるようですが。そんな彼のスタイル。



 かつて、連邦軍司令だった頃のフリットと、



 同じチョビ髭です。
 この辺り、なんだかんだで影響受けた人にスタイルが似てしまったりするもので。微笑ましいかぎりです。


 一方、この第30話の冒頭での、AGE-3とギラーガとの戦闘ですが。ここでキオがとっさに



 父アセムが得意だった二刀流を見せる辺りは、地味な泣かせ所です。
 といっても、これはゼハート側が誘ったようにも見えます。というのも、先に



 ギラーガの方が武器を二つに分割して、二刀流になっているからです。
 この直後、ゼハートはガンダムコクピットに「フリットともう一人」誰かが乗っている事を感じています。アセムの行方不明は知っていたかも知れませんが、ガンダムが再び現れたのを見て、試す気になったのかも知れません。


 ともあれ、事実上父アセムとの直接の思い出がほとんどないはずのキオが、意識的にか無意識的にかアセムと同じ戦い方をとっさに選ぶ辺りに、演出の面白さを見る事もできるでしょう。



 ついでに言えば、これも細かい事ですが。



 ディーヴァブリッジでピザを食べると言う、言語道断の情景を見せた彼らですが。
 実はこれにも、先例があります。ほら、戦闘配備中の軍艦のブリッジに堂々と食べ物を持ち込んでいた人がいましたよね。



 こいつだ!(笑)
 恐らくフリット編の頃から、連邦軍内にこういう事を黙認する風潮があったものと思われます。
 こういう細かい所でも、前世代とのつながりをあちこちに散らしてあったりもするので、探してみるのも楽しいかも知れません。


 こんな風に、変わる所、変わらない所、受け継がれること、受け継がれないことが様々に入り乱れている様は、世代を超えたドラマを目指したAGEという作品ならではだと思います。
 引き続き、そうした演出や脚本の工夫にも、目を配っていければと思います。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次