機動戦士ガンダムAGE 第40話「キオの決意 ガンダムと共に」(1/2)

     ▼あらすじ


 無事地球圏に戻ったキオは、フリットやウェンディ、母ロマリーと再会。そしてアセムもまた、13年ぶりに家族との再会を果たす。
 しかしキオとフリット、アセムフリットはヴェイガンを巡って意見の対立を深める。破滅的な結末を避けるため、両軍の補給を断って戦端を膠着させるというアセムのやり方を、フリットは甘いと叫びヴェイガンの根絶やしを主張するのだった。
 そんな中、ヴェイガンに寝返ったルナベースの奪還作戦が開始される。新しく生まれたAGE-FXで出撃したキオは、その性能を最大に活かしてヴェイガン兵を殺さずに戦う道を選んでいく……。




      ▼見どころ


 いよいよ、『ガンダムAGE』のストーリーは三世代編に突入していきます。
 物語はクライマックスへ……と言いたいところなのですが、本放送時の色々な人の感想を眺めても分かるように、ここから展開される物語にはなかなかカタルシスと呼べる盛り上がりがなく、登場人物が皆、状況の中で迷走していきます
 主人公たちの気持ちの良い活躍シーンがなかなか描かれないバトルシーン、物語のテンポを損ねてまで挿入されるジラード・スプリガンのエピソード……いったいどうしてこうなったのか、という事を私なりに解説していくのがこの記事の主旨という事になります。
 先に基本的な観点だけ述べておくならば……この三世代編が上記のような脚本になっているのは、フリットに代表されるファーストガンダム世代、アセムに代表される80〜90年代ガンダム世代、そしてキオに代表されるゼロ年代ガンダム世代について、それぞれの目論見とその失敗を描くことが、一連の物語の目的になっているから、だと考えています。各ガンダム世代の大反省会になっている、という事ですね。
 話を追いながら、確認していきたいと思います。
 とりあえずこの第40話は、前半がキオとアセムの帰還を巡る家族のエピソード、そして後半がルナベース攻略戦の始まりを描いています。とりあえずこの前編では、先にルナベース戦とメカについて書いていきたいと思います。
 ……お茶でも準備してゆっくりと、休憩でも挟みつつお読みください。



      ▽AGE-FXと「不殺」


 三世代編のスタートを告げる何よりの画期は、AGEシステムが新しく生み出したガンダム、AGE-FXです。



 ご覧の通り、AGE-3とはうって変わったスマートな機体です。
 デザインのオマージュ元については、もちろんνガンダムが筆頭に挙げられます。これまでAGE-1がファースト、AGE-2がZガンダム、AGE-3がZZガンダムを意識してデザインされてきたのですから、当然の流れです。このAGE-FXもAGEシステムが生み出したガンダムとしては初の遠隔攻撃端末Cファンネルを搭載しており、νガンダムと対応しています。
(ちなみに言いますと、ここで遠隔攻撃端末の名前がいきなり「ファンネル」になっているのは、実は変です。ファンネルというのは「漏斗」の事で、宇宙世紀ではキュベレイのビットが漏斗の形であった事から「ファンネル」と呼ばれ、それが遠隔攻撃端末の通称として浸透した結果、「放熱板形のファンネル=フィンファンネル」というネーミングになったという経緯があります。AGEにはここまで漏斗型の攻撃端末は出て来ていないので、このネーミングは浮いてしまっています。
 こういうところを抜け目なくフォローしているのが小説版で、ウットビットが「何故ファンネルという名前なのか」をセリフでわざわざ補完する一幕があったりしていますw)


 そうではあるのですが、例によってAGE-FXはνガンダムだけを意識した機体デザインではありません。特にCファンネルは



 それ自体が実体剣として敵を切り裂く事も出来、



 またビームを弾くシールドとしても使用できます。
 このような機能から見れば、当然連想されるのは、



 劇場版『ガンダム00』、ダブルオークアンタのソードビットであり、ケルディムガンダムのシールドビットです。
 機体のカラーリングも青系統でダブルオークアンタに似せられていると見られます。
 ゼロ年代代表のキオに相応しい、AGE放映時点で最新のガンダムのデザインをオマージュしていると考えて良いでしょう。


 ちなみに、『逆襲のシャア』つながりで、劇中さりげなくこんなオマージュも入っています。
 ヴェイガンのMSが連邦軍の艦隊に対してコロニーデストロイヤーを発射、これを



 AGE-FXのCファンネルが撃破するシーンですが。これは




 ギュネイのヤクト・ドーガや、シャアのサザビーロンドベルの核ミサイルを撃破するシーンのオマージュかと思われます。立場は逆ですが。


 ……と、このように過去作品を多分に意識したデザインが見られる一方で、AGEのストーリー展開からも考えてみる必要があります。
 前回の解説で書いたように、AGE-3のデータとEXA-DBの技術(=ヴェイガンの技術)を合わせて作られたガンダムレギルスの前に、AGE-3は全く歯が立たない事が強調されました。代替パーツにより復活したにも関わらず、さらに負けるというのは余程念入りな事です。
 AGE-FXはこうした状況からAGEシステムが新たに生み出した機体でもあります。そしてそれ以上に、キオ自身の姿勢や願いも託される機体でもあります。
 そこで、筆者私が気にしているのは、AGE-FXの顔のデザインです。



 特に、この機体の口元の辺り。
 顔面部の下半分のこうしたデザインは、過去の機体ではあまり例がないように思います。
これまでAGEのガンダムの顔を並べてみると……





 このように、AGE-FXとは違ったデザインです。
 では。口元に波線のように入っているライン、何かに似ていないかと考えてみると……



 どことなく似ていませんか、これに。


 もしそのように見て良いのだとすれば。ガンダムレギルスがヴェイガンMSのデザインにガンダムの意匠を取り入れているように、AGE-FXもまたガンダムのデザインの中にヴェイガンMSの意匠を密かに引き入れている事になります。
 キオがAGE-FXを知ったのは完成後だったようですが、それでもこの意匠はキオが今後の戦いでガンダムに託すものを的確に表している、と言えるでしょう。 
 そして、この両陣営の意匠を合わせ持つ2機のガンダム、AGE-FXとガンダムレギルスが、その後の戦いの中でどのような道を進むのか……というのも三世代編の重要なテーマです。


 さて。一方で、そのキオ・アスノです。
 キオもまた火星圏でヴェイガンの実態を知り、フリットがヴェイガンを殲滅すると主張しているのに対して明確に反対の意志を持つようになっています。
 そして同時に、「ヴェイガンも人間」である事を知ったキオは、AGE-FXの高い性能によって、自分なりの戦い方を選択するのでした。



「敵だって人間なんだ……だから! だから、僕は僕なりのやり方で戦い抜くよ。父さん……じいちゃん……!」



「もはや正体を隠す必要のなくなったヴェイガンは自爆することもない……キオ、相手を殺さずに戦うというのか!?」


 ――不殺(ころさず)。
 敵を殺さずに戦うというこのテーマもまた、ガンダムの歴史を総まくりするなら当然欠かす事の出来ないファクターとなります。
 この、敵を殺さないという主人公のポリシーがエンタメ作品の大きな潮流として浮上してきた画期になったのは、どうやら90年代の少年ジャンプ連載作品『るろうに剣心』であったようです。下記の記事が、非常に詳しく、一読の価値があります。


http://satetsuginokikakuha.hatenablog.com/entry/20051105/p1
http://satetsuginokikakuha.hatenablog.com/entry/20051108/p1
http://satetsuginokikakuha.hatenablog.com/entry/20051114/p1
 この記事の続きが書かれなかった事は非常に残念なんですけども。今となっては貴重な90年代エンタメを巡る証言です。


 このような「不殺」をめぐる問題系は、やがてガンダムシリーズにも持ち込まれる事になりました。
 そもそもガンダムという作品は、それまでのアニメの常道に戦場のリアルを導入する事で展開されたシリーズであり、倒すべき敵のメカにも人間が乗っており、それを倒す事で主人公がおののく事もまた重要な通過儀礼となってきました。カミーユ・ビダンが「無駄な殺生をまたさせる!」と苛立ち、シーブック・アノーが「パイロットは、死んだ……!?」と愕然と呟く、それがガンダムという作品のリアリズムでした。
 しかし90年代を境に、ガンダムシリーズにもこの問題系が入り込んできます。そもそも『るろうに剣心』連載開始とほぼ同時期に放映された機動武闘伝Gガンダム』が、国家間戦争の代わりに武闘大会で覇権を競うとした設定自体、極めてこうした時代の流れを反映したものでした(余談ながら『Gガンダム』は意外にも、あの時代の問題系を鋭敏に先取りし、その上でベタな王道ストーリーを展開するために慎重に時代性を避けて通るような、計算ずくのクレバーさが随所に垣間見える作品でした。いずれ第45話の解説あたりで詳細に書く予定ですが、ガンダムシリーズが、『エヴァンゲリオン』が世間に与えたショックから直接の影響を受けずに済んだのは、Gガンダムのお蔭です)。
 そして、続く『ガンダムW』に至っていよいよこの問題が表面化。



「地獄への道連れは、 ここにある兵器と戦争だけにしようぜ」
 というように、敵パイロットを極力殺さない戦いというコンセプトが描かれる事になります。
 さらにゼロ年代に入っても、『ガンダムSEED』シリーズで主人公キラ・ヤマトがこうした戦闘を実行する形で、否応なくシリーズに「不殺」の問題系が導入される事になりました。
 また、『ガンダムUC』でも、小説版では第5巻で主人公バナージ・リンクスが極力敵兵を殺さない戦闘を実行しようと試みるシーンがあり、近年のガンダム作品にまで確実にこの「不殺」を巡る倫理の問題は後を引いていると言えます。


 もちろん、戦争描写のシビアさが元々のガンダムシリーズの原点であった以上、このような「不殺」はリアリズムを失いテーマ性を歪めるコンセプトであるとして批判されたりもしました。
 その軋轢が一番顕在化したのが、コミック版『機動戦士ガンダム戦記』の「撃つなラリー」事件です(知っている方からは「おいやめろ」という声が聞こえて来そうですがw)。
 敵兵を殺さずに戦うという信念を持った部隊の隊長マット・ヒーリィが、部下に対して「その状況で撃ったら敵兵を殺してしまう、撃つなラリー!」と命令。その結果部下の方が敵兵に殺されてしまうというストーリーで、そのあまりにも本末転倒な主人公の姿勢がガンダムファン界隈で盛大にバッシングされたのでした。


 言ってみれば、ガンダムにおける不殺というのは賛否両論巻き起こる一種の炎上案件だったわけで、避けて通る事もできました。現に、『ガンダム00』の主人公刹那・F・セイエイは終盤に至って、敵とも意思疎通をはかり分かり合う事を目指したいという意向が強く表明されるキャラクターになっていきましたが、「不殺」的な行動や発言は慎重に回避されています。


 こうした中、キオが「不殺」を信念として戦い始めるのは、やはりAGEの作品テーマ、脚本意図と密接な関連があるからだと考えます。実際、AGE作中で示された様々な思想や意見や意志がそうであったように、キオの「不殺」もまた周囲から批判され相対化されていきます。主人公の意志といえど無批判に是とされるわけではない中で、このテーマが作中どのように発展するかについては、ストーリーを辿りながら追々見て行こうと思います。
 さて。



      ▽ルナベース攻略戦


 三世代編冒頭から始まる、ルナベース攻略戦。基地司令がヴェイガンに寝返り、現在はヴェイガン側の拠点として機能している事が語られます。
 元々ロストロウランを発したディーヴァは、その時点では寝返っていなかったルナベースを目指していた事が第33話の時点で言われていました。ルナベースが寝返った経緯などは例によって尺に余裕のないAGE脚本の中では語られません。
 そうまでして作られたシチュエーションである事を念頭に置いて考えてみる事にします。AGEの脚本はここまで、さまざまな歴代ガンダムシリーズのオマージュをストーリーに埋め込んできました。この月面基地をめぐる戦闘もその一つであるとすると……一体どの作品のどの場面のオマージュなのでしょうか。
 ガンダム作品に、月面での戦闘というのは多数あります。宇宙世紀でも非宇宙世紀でも。しかし、月面の拠点を巡る攻防戦で、なおかつ「降下作戦」となると、あまり多くありません。
 映像作品で近いのは、Zガンダムフォン・ブラウン市を巡る攻防でしょうか。シロッコの指揮するドゴス・ギアフォン・ブラウン市へ降下する展開があります。
 が、個人的に、AGEのルナベース攻略戦により近い状況を描いた作品があって、そちらが気になっています。
ガンダムセンチネル』の、エアーズ市攻略戦です。
 月面都市エアーズ市がニューディサイズと共鳴して連邦政府に対して蜂起、これを鎮圧するために連邦軍が、明確に降下作戦を展開しています(その降下の途中に、ニューディサイズが連邦側MSのシステムに仕込んでいた論理爆弾ロジックボム)が発動して連邦側が苦境に立たされるという展開なので、降下作戦である事が殊更に強調されています)。攻略対象が連邦に反旗を翻し敵方に寝返った拠点である事、それに対する(ガンダムを伴う)降下作戦ですから、Zのフォン・ブラウン戦よりもこちらの方が近いと言えるでしょう。


 もし、この脚本が『ガンダムセンチネル』を意識したものだと認めて良いならば、これはAGEの射程の長さを示しているという意味で少し強調しても良い事象です。これまでの解説で見たように、AGEは『クロスボーンガンダム』のような非映像作品をもストーリーに取り入れてきましたが、さらにそのフォロー範囲は模型誌発の小説媒体の作品にまで及んでいるという事ですので。


 さて。ヴェイガン側はゼハートがルナベース基地に合流しており、その指揮を執っています。
 どうもゼハートという士官は、ザナルドのような戦闘専門の将というわけではなく、各種工作活動を専門にしていたような節が見えます。トルディアへの潜入、ロストロウランにも潜入工作のために動いていましたし、そのロストロウラン基地の発見が遅かった事についてザナルドの副官は「ゼハート隊の工作員の質も落ちましたな」と言っています。今回もまたルナベースの寝返りに関わっていたようです。
 そのゼハートは、どうやらビシディアンのキャプテン・アッシュアセム・アスノである事もつかんでいるようで、



「アセム、隠れておけばよかったものを……」
 と内心で呟いていたりします。
 この辺りも、ゼハートがアセムの生存に気づくといったドラマチックなシーンが用意できたところなのですが、そこに尺が割けないのがAGEという作品のつらい所。こうしたところも、小説版では逐一改善されているので、見比べてみると面白いと思います。
 一方、連邦側。
 フリット・アスノは、ナトーラ艦長にプラズマダイバーミサイルの準備を指示。これを巡って二人の間に不穏な会話が交わされます。



「今回の出撃で疑問に思っていたのですが……あれは使用が認められていない兵器です。なぜ搭載して発進できたのですか?」
「アルグレアス総司令の許可は得ている」



「ええっ? そんなはずは……! それに、あれは威力が大き過ぎて……まさか、基地ごと破壊するおつもりですか!?」
「わたしは規定の手順を踏んでいる。疑うというのなら調べてみてくれ」
「……」


 この短い会話の中からだけでも、興味深い点がいくつも指摘出来て、相変わらずの濃縮された脚本にめまいがしそうになります。
 まず、プラズマダイバーミサイル。非常に高威力の兵器である事が会話から察せられます。基地を丸ごと破壊出来るほどの威力となれば、これはいわゆる大量破壊兵器という事になりますが……興味深いことに、ここでAGEは「核ミサイル」というアイテムを登場させません。
 ここまで見てきたように、AGEは歴代ガンダムで取り上げられた重大なテーマは大体網羅して来ています。で、ガンダム作品において「核兵器」もまた無視しがたい重要なモチーフの一つでした。初代ガンダムではオデッサ防衛戦でマ・クベが水爆ミサイルを使用。Zガンダムではエゥーゴへの奸計としてジャブローが核爆弾で破壊され、0083では核兵器搭載のガンダムがメインモチーフでした。Vガンダムではタイヤ戦艦アドラステアの進撃を止めるためにウッソがMSの核融合炉を爆発させて核爆発を起こすシーンがあります(あれは技術的には間違いで、核融合炉ならばあのような爆発は起こらないそうですが)。
 また、∀ガンダムにおける核兵器も重要なモチーフで、核兵器がどういうものかを忘れてしまった人々がそれをぞんざいに扱った結果「夜中の夜明け」が起こり、ギャバン・グーニーが犠牲になるという展開を描き、劇場版では前半を締めくくるエピソードにもなっていました。そしてもちろん、『ガンダムSEED』においては「核は持ってりゃ嬉しいただのコレクションじゃあない」という名言と共に作中で実際に飛び交う事になりました。
 というわけで、ここで出てくる兵器が「核ミサイル」という事もあり得たかと思うのですが、直接そのような言葉を出す事は避けています。一つには、真空である宇宙空間で核爆発が起こっても大気圏中ほどの威力は発生しないため、という事ももしかしたらあるかもしれません(大気圏中では地表の空気が熱量で急膨張して爆風が生じるが、真空中では熱線と放射線の影響しか受けないのだそうで)。
 しかしそれよりも何よりも、やはり核ミサイルを発射する意図を見せたとなると、フリット・アスノの視聴者への心証が決定的に悪くなり過ぎる、という事なのでしょう。この言葉は、日本人にとってやはりその威力以上の意味を持ってしまいます。
 一方で、そんなプラズマダイバーミサイルの持ち出し許可を出したアルグレアスの判断も非常に興味深いです。
 この前のシーンで、フリットはルナベース攻略のための作戦会議らしい



 この場面に同席しています。
 まだこの段階ではフリットは「ただの退役軍人」、つまり立場上は民間人と同じなはずなので、フリットが会議に同席しているこの状況は限りなくアウト、であるように見えます。しかもルナベースの叛乱をナトーラがこの時初めて知った様子であるのに、フリットは既に把握しているらしく背後状況の説明までしていますから、明らかにアルグレアスから直接情報をもらっていると見えます。
 こうしたアルグレアスの判断をどう見るか。やはり人によって違ってくるように思いますが……私の見解を述べるのは、やはり少し後になるかと思います。


 それよりも、先の会話シーンで面白いのは、ナトーラ・エイナスでしょう。お気づきの方もおられると思いますが、ここで彼女は、フリットに対して自分の意思で疑問をぶつけています。これは言うまでもなく、キオ編冒頭での彼女からしたら、大きな成長です。
 そして……重要なのは、ナトーラにこのような判断力と自主性を持つよう導いたのは、他ならぬフリット・アスノだったという事です。度重なる指導に加え、第33話ではナトーラ自らがクルーに指示するよう仕向けてもいます。
 そのようにして成長を促されてきたナトーラだからこそ、ここでフリットのプラズマダイバーミサイル持ち込みについて疑義を呈することが出来たのでした。


 フリットという人物の奇妙な律義さが、ここから垣間見えるように思います。
 キオ編の当初から、フリットはディーヴァのブリッジでクルーに指揮をしていましたし、クルーたちもこれを特に怪しまずに従っていました。言ってしまえば、ナトーラがずっと未熟なままであったならば、事実上ディーヴァの戦力をフリットが意のままにコントロールできたはずなのです。彼が目的としているヴェイガンの殲滅も、より実現の可能性が高まったはずでした。
 しかし、ヴェイガン殲滅という強烈な意志と、かつて連邦軍司令を務め事実上のクーデターを成し遂げたほどの実行力を持ちながら、フリットはナトーラを傀儡にするような狡猾さを持ち合わせていません。キオも、ナトーラも、(そしていずれ見るようにアルグレアスも)自分の頭で考え、判断する自主性をフリットの指導の下で獲得しています。
 そして皮肉なことに、そのようにナトーラが(フリットの意思に疑いを持てるほどの判断力をもって)育ったおかげで、第36話にてキオが拉致されるという事態に直面したフリットが錯乱して誤った指示を行った際、自軍に大損害を出さずに済んだのでした。


 こうした、フリットの立場や性格の奇妙な二重性を、ナトーラ・エイナスは上手く表現しています。通常、敵の殲滅・根絶やしを主張するような過激派は短絡思考な人間に描かれてしまいがちですが、フリットは生真面目で思慮深く、人を育てて良さを引き出す機微も備えている。従ってAGEという作品を真摯に読解する上では、フリットをただの無思慮な他者として、「老害」のような言葉で退けて事足れりとするわけにはいきません。
 AGEという作品は、過激な言動を繰り返すフリット・アスノを、徹底して「身内」として描き通していくのです。


 そして……この「身内」という事の内実を、注意深く見ていく必要があるでしょう。
 ここまでで40話解説の前半を終えた事とし、次回後編として、『ガンダムAGE』という作品が描く「家族」とその問題提起、射程について書いていきたいと思います。
 例によってくどくどしい内容になるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次