機動戦士ガンダムUC 6巻



 前回、「バナージが主人公らしくない」という不満を書いたわけなんですが、今回の砂漠のシーンを経て、ようやくその不満も解消された感がある第6巻です。
 ここまでの5巻と比較しても、あの砂漠のシーンは良かったですね。やっとバナージが自分の力でアクションできる状態になった。相変わらず少し文章が理屈寄りでくどくどしい部分はありましたが、全体的に好きなシーンでした。
 ……のはいいんだけど、明らかにこういうのは、もっと早くやっておくべきだよね(笑)。
 もうここまでで原稿用紙換算で数千枚分の量を読まされてて、やっと主人公が能動的に動くためのイベントをやるのかよという感じはあります。こういうのをやるつもりだったんなら、もっと早くやっとけばいいのにぃ、みたいな。たとえば4巻のパラオの中ででも、とことんジンネマンと語らうイベントを設けておけば、もうちょっと何とかなったのになぁと思います。
 まあ、企画としていろいろと縛りもあるんでしょうから難しかったのかも知れませんが。


 とりあえずこの巻は、ここまでの中で一番好きですね。
 ともかくも私は、巨大MAが出てくるとそれだけで作品評価を一段階上げてしまうという馬鹿なのです(笑)。種デスを見て感想つけてた時も、ザムザザーが登場した回だけ手放しで絶賛したという男ですので(ぇ
シャンブロはその点素敵でした。ミノフスキークラフトを利用して地上をギュンギュン動き回る水中用MA、なんてあまりにもイカしてます。私好みすぎる。むしろ、この記事を書いている2008年11月30日時点で公式HPにシャンブロが載っていないのが腹立たしいというくらいです(ぉ
 ……とはいっても、作中であまりにも寝覚めの悪い大量虐殺に使われてしまってるために、あまり公然と「好きだ」と言いにくいのが、少し残念。


 ……なんでだろうなぁ。こう、素直に褒めようとすると、すんなり褒められない要素がのっそり浮かんできて、なんとも感想の書きにくい話だよなぁって思います。「大人のためのガンダム」というのが、こんな後味の悪さの事だと福井氏が思ってるとしたら、ちょっと私と意見を異にする部分なのかも。少なくとも、メカについては屈託なく好き嫌いを語れる話であってほしいなぁ。私が気にし過ぎてるのかしら。


 そう考えてみると、富野監督は、「皆殺しの富野」なんて二つ名を持ちつつ、また作中で頻繁に大量殺戮を起こす人でありながら、そういう部分では意外と抑制されていたのかもしれません。


 ……否、違うのかな。
 宮崎駿監督が『もののけ姫はこうして生まれた』の中で、自分たちの世代は大破壊というと、どうしても原爆を思い浮かべてしまう、とコメントしています。それは第二次大戦を知っている富野監督にもあるのかもしれません。
 コロニー落としにしても、コロニーレーザーにしても、形は原爆とは違えど、大きなエネルギーの塊という意味では似通ってる、とも言えるのかも。
 それに比べて、福井氏の世代はもう原爆も昔の話としてしか知らないから……というより、核兵器的な脅威が後退した分、人間が跡形もなくなってしまう大破壊よりも、人間が巨大な鉄火に潰されるという破壊の方がリアリズムを感じるのかも知れません。


 って、書いてるうちにようやく気付いた。あのシャンブロのシーンって、ほぼそのまんま9.11テロじゃないですか。実行者がムスリムであるところまで含めて。
 そういえば、ご丁寧に「貿易センタービル」を壊すシーンまでありましたっけ。なんで読んでるうちに気付かないんだ俺。あんなに露骨だったのに。


 ……そうして見てみると、ちょっと露骨過ぎて、それはそれで首をひねってしまいますが。


 そもそも、ガンダム世界で宗教の違いがこうまでクローズアップされるのも異様です。イスラム教徒が出てきたのなんて、ガンダムの歴史では他には……松浦まさふみの『アウターガンダム』だかで、ティアンム提督が「今日こそジオンにアズラエルの羽音を聞かせてやるぞ」とかって言うシーンくらいじゃなかったっけ?(細かすぎ
 ガンダムZZの砂漠編のあたりは、確かにイスラムっぽい人たちが多かったけど(青の部隊とか)、それでも宗教的な意匠・演出は意図的に避けてたと思うし。


 なんだろうなぁ。私がガンダムにのめり込めたのは、現実のたとえば右とか左とか、そういう複雑で歴史があって難解だった現代史、現代における戦争観みたいなのから一回離れて、架空の宇宙世紀っていう世界でのスペースノイドアースノイドの対立っていうところでいろいろ考える、思考実験の場としての側面があったから、というのが一面としてあって。
 近代史や現代史を読んで、その中で「戦争ってなんだろう?」なんて考えるのはすごい大変じゃないですか。実際に戦争を経験した人たちから体験を聞くにしても、一方の側の論理しか聞けないし。体験者の世代の猛烈な思い入れと、後発世代の膨大な議論とに呑まれてしまって、なかなかその全体像を自分の力で考えられなくて。
 そんな私にとって、宇宙世紀の「戦争」を考えるっていうのは、一種の訓練でもあったんですよ。多分。ガンダムによって、戦争に関するいろんな側面、いろんな視点に触れて、ようやく少しはいろいろ考えられるようになった。


 なので、その架空の戦争の場としての宇宙世紀に、既存の我々の世界の問題が入り込むのは、なんか違和感がありました。


 福井氏にしてみれば、現代を舞台にした話では、ここまで露骨な「9.11のリプレイ」は出来ないから、そういう意味で宇宙世紀が便利だったって事なんですかね。自分の生み出した主人公が9.11を止める話なんて、現代を舞台にしたら短絡すぎて書けないもんね。
 んー。それはそれで分からなくもないですが、ガンダムが「そういう事をする場」として利用されるというのは、微妙な心地ですのぅ。


 マリーダを籠絡するマーサ・カーバインさんにしても、男性に対する女性の論理とかいう理屈でプルクローンを自分の方につけようとして、まあ多分成功したっぽいんですが、論理として弱いというか浅いというか……もちろんお話なんで、そんなちょっと乱暴な女性理論を押し通す女傑が出てきたって良いんですけどねぇ。
 一般に、女性を単に「アンチ男性」として立てようとするなら、それは男性原理を結局は強化しているも同然であると、まあそうなるわけですね。二項対立の罠。詳しくは京極夏彦の『絡新婦の理』でも読んでくれ(ぇ
 なーんか、俺のプルがそんな変なのに捕まったと思うとこれも微妙な心境だっぜ(何様


 まあそんなわけで、せっかく巨大MAも出たんだし、ユニコーンデルタプラスの共闘もカッコ良かったし、褒めちぎりたいと思うのに感想書いてみるとこうなるのはなんでなんだぜ?