図解雑学 ロボット


ロボット (図解雑学)

ロボット (図解雑学)


 やんごとない事情により、ちょっとロボット関係の調べ物をする事になりまして。それでとりあえず読んでみたのがこの本。
 まあ、お手軽な入門書として普及してるシリーズですね。


 最初に苦言を呈しておくと、本当にお手軽、それは悪い意味でもそうで、誤字脱字というか、十分な校正のされていない事が明白な内容でした。“したあgって”、みたいな単純なタイプミスがそのまま残ってたり(笑)。
 内容も本当に表面を撫ぜただけ、といった感じなので、それこそ私みたいな通り一遍の事を知りたいだけという、創作のネタとして仕入れるくらいがせいぜいで、それ以上、ロボット工学に本気で取り組みたい人向きではなく。
 ……まあでも、内容のそういう部分については、別にけなしてるわけじゃなくて、そういう方針で作られた読み物なので、これでOKなんですけどね。そういう手軽さを提供するシリーズですし、事実私は助かったわけですし。


 面白かったのは、ロボットの本を読んでいるのに、前半の方は半ば生物学の内容みたいになってたことでした。つまり、4足歩行のロボットを考えるためには4足歩行している動物についてまず勉強しなきゃいけない。カメラの設計を考えるためには生き物の目を、触覚センサーも生き物の触覚を、といった具合に、とにかくまず生き物の運動の仕組みや五感の勉強から入るんですね。そして、それらをそっくり真似てロボットを作る。
 しかし考えてみれば、せっかく一から作るんですから、別に生き物の仕組みをそっくり真似なくても良いんじゃないかとも思うんですよ。たとえば、頭部が360度回転して周囲が見渡せる仕組みにしたって良いし、腕関節が逆側にも自由に曲がるとか、5本足とか、3本腕とか、まあとにかく生き物の仕組みに縛られなくたって良いような気もします。
 いやもちろん、現状の生物の形が進化論的に洗練された機能的なものだっていうのは当然のこととしてもね。


 結局、ロボットというのは「人間ではできないような作業をこなす労働者」としてもともとあるわけですが(ロボットという語源からして、労働者という意味の言葉から作られた)、一方でまた、科学技術によって生き物を再現するという営みでもあるんですね。特に日本で盛んなのが、そういう研究なんだなーと、そこが面白かったり。


 なんというか、日本人って未だに、一番奥底の部分で、科学技術というのを信用しきれてない気がするんですよね。


 私の実家はケーブルテレビ見られたので、小学校時代とか、古いアメリカのドラマをいろいろ見られたんですけど。そこで、『600万ドルの男』とか『バイオミックジェミー』とか、まあ事故にあった主人公が全身を機械じかけにして、それで常人離れした力を身につけて活躍するという話をいろいろ見てたんですが。
 それらアメリカドラマの主人公たちは、自身の体が機械だらけになってても、別に悲観しないし、普通に陽気に振る舞ってたりします。……いや、まあ全話を見たわけじゃないんで、印象としてですが。
 一方日本の、『仮面ライダー』とかだと、同じように全身を機械のサイボーグにされるんですが、(まあ悪の組織に勝手に改造されちゃったというのもあるけど)、「本郷猛は心に深い傷を負った」ってアナウンスされるんですね。
 普通の人じゃ得られないような高い能力を得たのに、それを悲観している。


 たとえば『鉄腕アトム』にしても、逆に「ロボットが善意を体現できるのか」っていう事に異常なくらい関心を払ってる話のようにも感じられたりして。
 古い話ばっかりですが、『鉄人28号』で提示されてる、ロボットは使う人次第で良い存在にも悪い存在にもなる、という話も、たとえばアメコミとかだったら「当たり前じゃん」くらいで流されてた話のようにも思えます。敵も味方も同じ能力を持ってて、善の能力者が悪の能力者を蹴散らすのが普通なんでしょうし。
 そういう意味でも、どこかで日本人は未だに、「科学技術が信用に足るのかどうか」試してるような部分があるような気がします。それは、科学技術を心底からは信用しきれてない事の裏返しでもあるのかなと。


 これもまたかなり昔ですが、高校時代の修学旅行の帰りのバスで、ゴジラ流れてたんです。平成ゴジラの作品のひとつで、タイトルが定かじゃないんですが……平成ゴジラのどれかだったと思うんですけど……そのラストシーンがすごく印象に残ってるんですよ。
 敵役の怪獣を倒した後、ゴジラが東京の街をがんがん壊し始めるんです。で、万策尽きた人間たちがそれをボーっと眺めてるんですよ。最後の〆のセリフが、
「これは……ぼくらが科学技術を発展させすぎた罰なんだ……」
 みたいな内容なんです。


 一瞬、耳を目を疑いました(笑)。なんというオチw
 アメリカ人はこんな結末の話は多分作れないでしょう。ゴジラをすら単なる大きなトカゲにしてしまった彼らには。
 しかし一面でこのセリフに共感してしまう回路も日本人の中にあるみたいで、昨今のエコロジー関連の動きにしてもそうなんですが……どうも我々にとって、科学技術を発展させた事は何か、やましい事なんですね(笑)。うしろめたいんですよ。


 だいぶロボットから脱線しましたけど。
 しかし日本がロボット研究に熱心なのは、一面としてこういう屈折のせいもあるんだろうなぁと、改めてそんな事を思ったりしたわけなのでした。
 やっぱり今でも、ロボット研究の第一線にいる人たちは、アトムに憧れてこの道に入ってきた人らしいです。


 さて。やがてロボット技術が進んで、完全に自律的なロボットが介護の場などで活躍するようになって、本当に「われわれの隣人」になった時に……我々はロボット、ひいては科学技術の事を信用できるようになるんでしょうかね。