ゼロ年代の想像力
- 作者: 宇野常寛
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/07/25
- メディア: ハードカバー
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正月に熱中して読んでいたのがこれ。
惑星開発委員会の「善良な市民」さんとして一部で有名な方が、SFマガジン誌上で連載していた批評ですね。
参照・第二次惑星開発委員会
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/
私はこのサイト、第一次の頃からこっそり色々読みに行ってました。最初に知ったのは多分「富野小説黒歴史」だったと思います(笑)。そこからクロスレビューなんかをちらちら眺めたりしてました。
で、上記活動を通じて、「善良な市民」さんは小気味良い切れ味で流行のエンタメ作品をバッサバッサと斬っていっていまして、それなりに愉快に読んでもいたのですが……同時に多少の反感も持っていました。
そもそも私は、批判しか書かない人をあまり信用しません。思い切りよく批判をするのを見るにつけ、「そこまで言うお前は、では何を良いと評価するのか」という思いを強くするのが常です。
自分の好きなもの、自分が良いと思うものを隠したまま批判するのは簡単です。一方、それらを表に出した場合、それは批判者にとってリスクになります。「散々他の作品けなしておいて、お前が良いっていう作品だって大したことないじゃんか」というやり返しの危険が生じるからです。
ネット上でネガティブに作品をけなし続けている人の5〜6割は、こうしたリスク回避のため、自分が好きな、自分が良いと思う作品の話を避けているらしいなぁと、そんな私の経験則もあり。
そうであればこそ、彼、「善良な市民」さんの切れ味鋭い批判記事を見るたびに、「ならあなたは何をもって良しとするのか」、それを語ってくれる機会をずっと待っていましたし、ある意味で期待していました。
この『ゼロ年代の想像力』で、私の期待は満たされました。
ともかくも、現在のエンタメ、そして時代を考える上での、必須図書の一つには違いないんだろうなと、読んでつくづく思った次第。
著者自身が膨大な数の作品を読み、それら多様な作品を論拠・例に示される論には説得力があり、また私自身が日ごろ感じているまわりの状況の変化とも合致していると感じました。
特に、セカイ系的な想像力から、決断主義とその克服へ……という図式は、ここ数年のエンタメ界の動きを自分なりに振り返っても、納得できる話でした。ガンダムエース創刊とその前後のガンダムブームとかも、この流れ――決断主義への移行とその中でのサヴァイブ感――という状況を考えるとしっくり来ますし。
とにかく、最初から最後まで、その迫力に押されて一気に読んでしまったというのが正直なところ。とにかく冒頭からアクセル全開でした。現在の批評界が90年代作品への批評で止まってしまっているんだとか、躊躇なくバッサリ切ってしまう辺りは「善良な市民」だったころから変わらない切れ味で苦笑したり(笑)。
私は作者言うところの「レイプ・ファンタジー」系作品をわりと消費している人間ですんで、その私含むこれら作品の支持者を「弱い肉食動物が、ぼくは草食動物だよと言って死んだ少女たちの腐肉をあさっているのだ」とか書かれてて「コノヤロウ」と思ったりもしましたが(笑)。もうちょっと何か言いようがねーのかと。まあその辺の容赦ない言いぶりも、ある意味彼らしいんでしょうけれども。
ともあれ、彼の切っ先が私自身に向いてきても、それを甘んじて受けようと思う程度には彼の示す分析と図式は魅力的で明晰だと感じましたし、また私自身が模索していた方向性とも合致していました。
もちろん、「決断主義の台頭とその克服」という(ほぼ)単一の構図を元に各作品を取り上げているため、個々の作品についての著者の評価で納得のいかなかったものは、それはあります。たとえば注釈で言及されていた『クロスボーンガンダム』についてとか。
しかし、そうした些事(あえてこう言いますが)を理由に、彼の提示する全体の論旨を退けてしまうわけにはいきません。そう感じさせるだけの迫力があるし、またこの著作は多分、今後、今の時代を語る上で欠かせない仕事になるでしょうし。
とにかく、読んでいてかなり自分のものの見方が変わったなと思わせてくれる、良い批評だったと思います。「あの作品はそういう事だったのか」「あれがなんとなく違和感感じてたのはそこだったのか」「あれはああいう意味か」というような発見も多く。私の音速の遅い頭も、この本1冊のおかげで4〜5年は見る目が進んだんじゃないかな? 多分ですけどw
それに何より、氏が現代を肯定的に語ってくれたのが嬉しかったですね。確かに、社会は僕らに生きる意味や楽しみを教えてくれなくなった、けれど自分たちでそれを探すことさえ出来れば、可能性は無限にあるのだから、と。
彼が問題として掲げる、「決断主義の克服」について、著作中で具体的な作品を分析しながら3つ、処方箋を出しています。クドカンのドラマと、木皿泉のドラマと、よしながふみのマンガと。
その3つの方向性について、私は一応納得はしつつ、しかしちょっとピンと来ない部分もありました。
いわばこの3つの作品こそ、上で言った宇野氏の、「善良な市民」氏の「良いと思う作品」であり、従って彼のこの部分、この書籍のこの3章を批判すれば我々は「善良な市民」氏に対する「やり返し」も可能になるわけです。
けれど――それだけで終わるのは、ちょっともったいない気もします。
彼はとりあえず3つの処方箋を出しましたが、「決断主義」に抗するやり方はこの3つ《しかない》、というわけではありません。
この著作によって、ゼロ年代の現代が示している「決断主義」の症状はかなりわかりやすく分析され提示されました。その仕組みさえ把握できたなら、処方箋は宇野氏が示したものの他にも立てられるはず。
彼の処方箋がピンと来なかったなら、自分で別な処方箋を自分なりに模索して示したって良いのです。
それこそが、来るべき「10年代の想像力」になっていくのでしょうから。
そんなわけで、新年最初の読書は、非常に収穫ありでした。これをゼロ年代のうちに読んでおいて正解。
以下、この本を読んで私なりに納得したことを列挙します。