第一回 国分寺界隈


 ……なんでいきなり、初回が国分寺なんて微妙なところなのかといいますと。


 今回の企画開始で色々歩き回る決心をした時に、ついでだから前々からやろうと思っていた、「母校に顔を出す」という用事もこなしてしまえと考えたからでした。


 そんなわけで4月21日午前10時すぎ、JR国分寺駅着。
 まずは歩いて5分ほどの、早稲田実業学校へ向かいます。
 どうでも良いけど、中学高校へ向かう道に、ゲーセンがきらきらしく営業してるのはいただけないよなぁと、以前も思った感慨を新たにしつつ。



途中にあった、センスあふれる呪いのイコンPTAのポスター


 母校とはいえ、私は同校がまだ早稲田にあった頃の卒業生なので、この移転後の新校舎には親しみが薄いです。ていうか、学校というのは味もそっけもない灰色の建物であると学生時代に刷り込まれているので、今でも新校舎には違和感があります。オサレ。


 で、まあ、小生は図書委員でしたので、久しぶりに図書館の司書さんと雑談したり、教員室に顔を出したりしました。まあでも、このブログに書いても詮無い話なのでこの辺は略。


 1時ごろ、辞去して敷地を出ました。
 いったん国分寺駅まで舞い戻り、まずはこの辺りの名所であるらしい殿ケ谷戸庭園へ向かいます。


 庭園といっても、私は花や木の名前をそう豊富に知っているわけでもなく、あまりそうした場所を楽しめる素養を持っているとは言い難い人間でありまして。そんなに期待せずに、入園料150円を支払って中へ入ったのですが、これが存外に楽しめたのでした。


 天候はあいにくの曇天で、時に小雨がぱらつくような感じ。けど、それぐらいの湿っぽい天気の方が、かえって瑞々しい感じがして良かった気がしました。花の色の鮮やかさって、曇り空にも映えるもんですねぇ。ちょうど緑も青々としてて。



 この庭園というのが、まあほとんど斜面に貼りついてるようなところで。急斜面を階段で登ったり降りたりするという所。
 国分寺崖線(こくぶんじがいせん)というそうですが、この辺り一帯の地形が、大きな段差みたいになってるんですね。そして、その下の段に、地層によって濾過された湧き水が出てくると。この庭園も湧き水を一つのメインにした所でした。



なんか竹林があったよ。


 ちなみにこの後、この国分寺崖線を上に行ったり下に行ったりする羽目になります(笑)。



 庭園を一周して、外へ出ました。時刻はお昼。もとより、さ迷い歩くには体力は必須、必然的に腹ごしらえが大切になってきます。
 で、道なりに歩いていたら、見つけたのが「すた丼」とかいうお店。
http://www.antoworks.com/index2.html
 一目見て決めました。情緒もへちまもないこのごっつい丼ものでお昼ごはん。
 基本的に豚丼ですが、にんにくベースのタレに漬け込んであるらしく、濃厚な味でありました。ていうか店内にもうにんにくのにおいが充満してましたが(笑)。
 満足。



 一路、「武蔵国国分寺跡」へ向けて歩き出しました。再び「国分寺崖線」の急坂を下りつつ。



国分寺崖線の落差。空はどんより。


 とはいえ、手元に地図はありません。道端に時々ある、心もとない矢印表示を頼りに進んでいきますが……途中で何の表示もなくなり。
 近くの時計屋さんに入って道を聞いたところ、案の定行き過ぎてました。初回からしっかり「彷徨」しております(笑)。


 で、教わった通りの道に入って歩くものの、周辺にそれらしい表示もなく、辺りは一面の住宅地。
 基本的に、住宅地ってのはどこへ行っても同じ感触しかありません。北へ行こうが南へ行こうが、特に違いを感じないわけで。
 その上、言われたとおりの道を行けば良いのに、何となく当たりをつけて細道へ細道へと入りたがる悪癖があるもので、毎度の事ながら迷宮へ入り込んだような具合。好き勝手にくねくね曲がる道や、行きどまりに出くわしながら、小雨の中をウロウロ。


 そんな感じで歩いていたら、家と家の屋根の合間に、「桃の湯」と大きく書かれた煙突を発見しました。



「おお、銭湯があるのか!」とちょっとだけ感動し、目指す武蔵国国分寺とは逆方向なのにその煙突へと方向転換する無軌道男。
 まあ、ここまで小雨に濡れながら歩いてきておりますし、ちょっと風呂に入るというのも乙かも知れんなどとうっかり考えたりして。タオル持ってないけど売ってるかなぁとか思いつつ、ぐねぐね曲がる道をどうにかたどって煙突の根元へ。


 ……行ってみたら、ただの民家でした(ぇ
 どうも、その煙突が珍しいものだから残してあったんですかね。ちっくしょー、謝れ! 5分前の私に謝れ!(何



 その後、また少し歩いて、ちょっとした水路の脇を歩く、それらしい道にようやく到達。「お鷹の道」とか言うそうですが、日本百名水にも選ばれた、蛍の住む水なんだとか。
 水芭蕉っぽい花も咲いていたりして、ちょっと雰囲気のあるところでした。



これ、水芭蕉的な何かだよね?


 まあ観光地というにはあまりにもささやかですが、アンニュイな雨の日に辿るのには丁度いい寂れ方でした(ぇ


 やがて、「真姿の池湧水群」へ到達。また唐突に、目の前に鬱蒼と茂る緑に覆われた上り階段が現れます。湧き水が静かに流れ、弁財天を祀る社の鳥居が見え、神域の趣を思わせる情景。
 いや本当に、そこだけ切り取ったら、「都心から電車で2時間の深山幽谷にある神社」といっても通りそうなくらい、張りつめた空気のある風景なのですよ。
 で。
 この急な階段を上り終えたところに、さらに大きな本殿があるかのような奥ゆかしい雰囲気があって、緊張して登ったら……目の前に鎮座ましましていたのは、緑色の芝生と、その先にある高級そうなマンションでした。



ここを登ると……



ここに出る






エエエェェェェェェェェェェ(゚Д゚;)ェェェェェェェェェェエエエエ
             ↑まさにこんな顔で戸惑う私


 意味わかんねぇよ(笑)。どういう場所なんだ。


 首をひねりつつその先へ行くと、「武蔵国国分寺公園」という、広い芝生の公園でした。
 晴れた日なら、飲み物でも買ってきてこの芝生の上でしばし休憩も出来たんでしょうが、あいにくの雨なので断念。考えた末、もう一度国分寺崖線の下の段へ。
 元のお鷹の道へ戻ってさらに進むと、そこにようやく、“史跡”武蔵国国分寺がありました。


 案内板などを一通り読んだり、参道にある江戸時代の門を眺めたり。
 この武蔵国国分寺は周知の通り、歴史の教科書で出てくる、聖武天皇が全国に造らせたという“あの”国分寺です。その中でも特に規模の大きいものだったそうで。
 場所的に、おそらく先の「真姿の池湧水群」のそばに寺域を確保する事で、水の便宜を図ったのだろうとの事でした。
 ついでに、万葉集に出てくる当時の植物をできるだけ集めたという「万葉植物園」も軽く眺めたり。植物の実物と、和名、古名、さらにその植物を読んだ和歌を書いた立て札がそれぞれついていて、なかなかの労作でした。


 そこから少し離れたところに、“史跡”旧武蔵国国分寺跡がありました。
 ……けど、こっちは微妙。史跡とはいっても基本的にただの草っぱらですし、かつての国分寺を偲んだりできるような状態も整っていなくて。なんか立て看板に、いずれ門とかを再現する予定だとかいう事が書いてありましたが、いつになるやら(笑)。一応、最近の考古学的調査結果とかが少し書かれていましたが。
 なんか、ちょうど地元の小学校の下校時間だったようで、小学生やら近所のおっちゃんやらが普通にわらわらと通って行ってて、そういう意味でも観光地っぽくないですね。そんな地元住民の前で、平日の雨の中案内板読んでたり写真撮ってたりしたら私の方がバカみたいに見えるんじゃないかという(笑)。そんな空気。


 近くに資料館もあるとの事でしたが、なんか中学校の中に併設されてるような事が書いてありまして、何となく気分が萎えて行きませんでした。
 踵を返して、現国分寺の薬師堂などへ参拝に行きましたが、こちらも手水の水が空っぽだったりして、なんかさびれた感じでした。一応平安から鎌倉末期の頃の薬師像がおわしますはずなんですが。
 そんな感じで、武蔵国国分寺の周辺は若干がっかり風味。


 あ、でも、帰りがけに「発掘現場」があって、それにはちょっと興奮w





 結局そのまま離脱して、JR西国分寺駅に4時過ぎくらいに到着。この日の散策はこれにて終了となりました。
 歩いた距離に比して、収穫はそんなに多くない散策でしたが(笑)、雰囲気が楽しめたという意味では楽しい一日でした。雨の日の散歩は大変ではありますが、雨の日にしかない情感があるものですねぇ。特に、季節柄もあって、あちこちで目にした雨露をまとった花の色の鮮やかさが印象に残りました。


 靴の中はぐしょ濡れの惨憺たる状態で、帰宅してから閉口しましたが(また書かなくてもいい事を



「東京」という括りで言えば、国分寺のこの辺りは郊外なわけですが、こういう所は今やどこへ行っても、のっぺりとした住宅街。変わり映えのしない家に、ところどころにパチンコ屋が並んでたりして、かつて「武蔵野」と呼ばれた地も、他の住宅地と印象としてそう変わる所はないでしょう。
 ……いや、私、国木田独歩の『武蔵野』が好きだったもんで。あそこで描写される風景には憧れるのですが、この日歩き回った中に、独歩で読んだ情景はとうとうありませんでした。
 しかし一方で、細い道をぐるぐるたどっていると、やたら古そうな土蔵が建ってるお屋敷がちらっと視界に入ったりもして、完全に“画一化された住宅地”にもなりきれてなかったりもしつつ。
 結局この日、私が歩いた中で感じた「国分寺らしさ」は、国分寺崖線に特徴づけられた地形そのものでした。ご苦労なことにこの急坂を何度も登ったり降りたりした事で、地形の存在感だけはくっきりと感じていた気がします。
 それは多分、現地を歩き回ってみなければ感じられなかった実感だったのだろうと思うので、結局はこの事がこの日一番の収穫だったのかな。


 そんな感じでした。
 次回はもう少し都心に近い辺りをうろついてみようと思います。



※ちなみにこの日、知りあいから借りたデジカメで若干写真を撮ったりもしました。現在ちょっとPCに取り込むのに手間取っているので、後日準備が出来次第、写真をつけたしておく予定です。
 ……とはいっても、ロクな写真じゃないので期待しないように。資料的価値も芸術的価値も皆無な、微妙な写真ばかりです(笑)。


   ↑5月7日、ようやく写真を挿入しました。微妙な写真ばっかりでしょ?(笑)