設問;アニメ感想はなぜ批評に近くなるのか


 ちょっと前の話になりますが、psd1981さんの


ガンダム語りの貧しさ」について
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20090418/1240054839


 こちらの記事にちょっとコメントをしたり、また囚人022さんの


こういう楽しみ方もありますねー(『聖戦士ダンバイン』リビルド)
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1441.html


 こちらを拝読したりしてたんですけれども。
 何となく、これらの記事に共通して潜んでいる、妙なバイアスみたいなのを感じて、一体それが何なのかなぁとぼんやり考えたりしていました。


 要するに、「なんでアニメだけ、感想書いているはずが批評っぽくなってしまうんだろう?」というような、漠然とした疑問なのです。


 というのも、私は時々、読んだライトノベルの感想をネット上で検索して読んだりしているわけなんですけれども、感想と言うと大体、2〜3行から5行程度、良くて10行程度の印象を綴るくらいのものが普通だと思うのですよ。
 内容も端的に、自分にとって面白かった、あまり楽しめなかった、といった感じのものが多いと思うわけです。
 映画の感想だって、大半はそんなものでしょう。


 ところが、アニメ作品の感想の場合、往々にして、その作品の分析や作者のメッセージ性にまで踏み込んで、自然と批評めいた長文になってしまう傾向がなぜか強いような気がするんですよね。少なくとも書籍や、実写映画の感想よりは。


 私のアンテナがアニメ方面に傾いているだけだと言われればそうなのかも知れませんが、なんとなくそういう印象が拭えなくて。
 これって一体何なんだろう、と思ったりするわけです。


 たとえば上記に紹介した記事で、囚人022さんは

 私は「批評」とかがやりたいわけではないので

それが“批評もどき”に見えてしまって、真面目に批評ということをやろうとしている人の邪魔になるかもと言われれば、申し訳ないかな、とは思うんですが。


 ……と書かれてるんですが。私はむしろ、別に「批評」をするつもりはないのに、アニメについての感想を語っていると「批評」っぽくなってしまうという、その辺りの事情に興味があったりします。



 たとえば、実写作品を見てもそんな過剰反応をしない人が、どうして『崖の上のポニョ』を見た時だけ「作品冒頭で海の底にゴミやヘドロが映ってた、宮崎監督のエコ語りはもうたくさんだ」なんて言ってしまうのだろうかと(笑)。


 まぁ、宮崎駿富野由悠季などなど、社会的メッセージの部分でも一家言ある人たちがリードしている分野だから、というのもあるのかも知れませんが。それだけなのかどうか。


 どうも、その辺の事が少し気になる今日この頃なのです。