海上の道


海上の道 (岩波文庫 青 138-6)

海上の道 (岩波文庫 青 138-6)


 柳田國男の最晩年の仕事ですね。岩波文庫のものをちまちま読んでいました。


 まあ、正直なところ、私の素養では個々の話題を吟味したり感じ入ったりする事はあっても、柳田の全体の業績の中での、あるいは後世に与えた影響というものまで含めたこの本の意義、みたいな事には全然手が届かないわけなんですが。
 上で紹介した、松岡正剛氏の千夜千冊で取り上げられているのを読んで、ようやく「おー、そういう流れだったのか」と思ったりするくらいのもの。
 そんな感じで、非常に心もとない読み方をしていますが。でも楽しめました。


 まあ、南方、沖縄の文化というのにもまた私は疎いので、その点でも深く読めているとは言えない。
 それでも、今回はそれなりに最後まで読みとおせた事が、けっこう嬉しかったりしました。


 そもそも、この『海上の道』にトライするのは二度目なのです。
 高校三年に上がった4月。推薦も決まり、ようやく自由な時間も出来たところで、向学心に燃えた私は一念発起、『定本柳田國男集』に挑戦したわけです。
 ところが、その第一巻の最初の三分の一、この「海上の道」として収録されている部分を読むだけで丸一か月かかりまして。当時は運動部に所属していた関係もあって、読み始めてもすぐ居眠ってしまい、なかなか進まなかったんですね。内容も全然頭に入らず、あえなくギブアップしたのでした。
 そういう記憶があったもので。今回、素養がないなりに最後まで読めたのが、ちょっと嬉しかったりしたのですよ。


 松岡氏の受け売りをするなら、この『海上の道』で一貫して問われているのは「日本人はどこから来て、どこへ行くのか」であると。
 しかし、この漠然とした問いを完全に視野に入れるには、現在の私はまだまだ未熟であるようで。むしろ私が面白いと思って反応したのは、「鼠の浄土」などで論じられた、ネズミが島から島へ群れをなして泳いで渡った事例などについての言及だったりしました。
 基本的には、そういう個々のトピックを拾っていく形で、そこにピントを合わせて読んでいました。
 今後、柳田國男全集を読んでいく場合も、基本的にはそうなるでしょう。
 それを積み重ねていって、たとえば全集をもし完走しきる事が出来たとしたら、その上でこの『海上の道』に戻ってきたら、松岡氏が言うような大きな視野の部分にも手が届くでしょうか。
 そんな事を思ったりもしつつ。


 まあでも、柳田の仕事って基本的に、きっちりとした学問ではないんですね。ズズダマの話とか、論の根拠が柳田個人の子供時代の記憶だったりするし(笑)。
 言い伝えの引用とかで、出典の明確でないものも少なくないわけですし。言ってみれば穴だらけなんですが、その穴を柳田の「語り」が埋めていっているようなイメージ。論証は厳密でないのに、なんか納得してしまう(笑)。
 その辺のスタイルの不思議さもあるんですが、いずれ柳田國男の残した仕事が偉大である事は違いなく。本格的に取り組もうとするなら、その辺の事にきちんとスタンスを決めて取り組まないといけない感じ。
 私はまだちょっと、戸惑い気味です。


 まあでも、高校時代のリベンジは無事果たす事ができました。後は、当時出来なかった事を、今の自分に出来る限りやってみるだけ。
 さて、どうなることやら、というわけで[柳田全集]タグに続くのであった。