アニメが(結果的に)背負ってるモノ


 先日のエントリーで、うちのブログにしては異例なくらい様々な人からのリアクションを一度にいただきましたが。
 その中で、囚人022さんのコメントを拝読して、前々から思っていた事と重なっていたのでちょっとついでに書いてみる。
 とりあえず、そのコメントというのは以下。

それから、世の中に柔弱なバラエティ番組みたいなのがあふれている中で、あえて骨のあるアニメを見たいって人は、それだけでもちょっと変わっているのかもしれません。
まあ、ほとんどバラエティみたいなアニメも少なくないし、一概には言えませんが。あと、逆にアニメばかり見ている人は、世の中との付き合い方が不器用だっていう批判もあり得るでしょうね。


 さて、アニメというのはテレビで放映されている数多い番組の中の一つなわけですけれども。
 そしてそれは通常、若年層を主なターゲットとする娯楽番組として作られているわけです。バラエティ番組やドラマなど、エンタテインメントを主目的とするいくつかある番組形式の一つであると。まあここまでは良いとして。
 私の個人的な感覚として思うのは、日本のアニメは、他の国なら実写のドラマなどがになっている視聴者のニーズを、結果的にかなり請け負う羽目になっているのかなという事です。


 ドラマに視聴者が求めるジャンルは、大体大まかに分けて、恋愛もの、ファミリーもの、子供むけのもの、活劇もの、サスペンスもの、などなどありましょうが。
 ここ十数年から二十年くらい、もしかしたらもっと前からかも知れませんが、日本のドラマってこうしたもののうち、活劇的な内容のものがあまり作られていません。恋愛ものとファミリーものが大半という状況であります。
 アメリカなら、『24』とか『プリズンブレイク』とか、ちょっと古いのだと私の好きな『Xファイル』とか、そういうアクション・サスペンス性の高い実写ドラマが継続的に作られています。
 こうした作品に対する需要は日本人にもあるハズで、実際上記のアメリカドラマはレンタルビデオなどで大々的に貸し出しがされて話題になったりするわけです。
 ところが、日本の実写ドラマでこうした需要に応えるような作品が作られるのを、あまり見かけません。私がとっさに思い出せるのは安達祐美の『青龍伝説』くらい?(それもどうか


 この、アクション・サスペンス的な要素、重要というのは単にドンパチやっているというだけではなくて、たとえばある程度ワールドワイドな関心だったり、非日常的な状況に対する興味であったり、あるいは「善悪ってなんだろう?」といった倫理的なところにちょっと触れたいといった部分も含んでいます。
 たとえば、9.11テロが発生したりする事で、この平和な日本に住む一般庶民我々でもそういったテロリズムに対する関心というのが高まって来るわけです。そうした関心に上手くスイッチできるような創作作品というものにも、従って需要が生まれてくるわけですよ。
 ところが、日本の実写ドラマ(特に連続ドラマ)で、そういった関心に応えるような作品ってびっくりするくらい作られてこなかった。もちろん、全く無かったわけではないでしょうけどね。私はもう最近テレビ見てないから、見逃した作品はたくさんあると思う。
 まあでも、少なくとも私の耳に入るような作品はここ数年ほとんどありませんでした。『24』は私でも知ってたのに。


 もう私が何を言おうとしてるか大半の方はお気づきでしょうが、この辺の需要をほぼ一手に引き受けているのが、日本においてはアニメ作品なんじゃないかと。


 なんで私がそう思うかと言うと、好きな歌手とかに絡んでるんですよ。
 私、まあ本人が常時恋愛日照りなこともあって(笑)、ラヴソング中心の歌手よりも、それよりもうちょっと広く時代とか、生き方とかをテーマにした歌を歌う歌手やグループをよく聞くんですけどね。
 ところが、アニソンに起用される歌手の基準もほぼまったく同じなのです。恋愛関係の歌を中心に歌う歌手はドラマの主題歌を歌って、それ以外の、時代や生き方など少し難しいテーマを歌う歌手はアニメ主題歌のオファーがかかる。
 結果、私の好きになる歌手は遅かれ早かれアニメの主題歌を歌う羽目になる(笑)。
 サンボマスターなんか、歌唱スタイルが若干テレビ番組の主題歌向きじゃない気がするんですが、それでもアニソンやってますし。


 そうすると。視聴するテレビ番組にしてからが、同様の傾向が起こってたりします。テレビドラマなんて真剣に見たのは『古畑任三郎』が最後という次第で。まあここ数年はテレビ自体ほとんど見てないんですが。


 結局、たとえば「イラク戦争」の報道であれやこれや考えて、そうした人が関心を満たしてくれる番組を選ぼうとした時に、そこに応えてくれるテレビドラマってあんまりなくて、結局ガンダムを見はじめる羽目になったというのが私なんです(笑)。「戦争」についても「エコ」についても、フィクションとして真正面から向き合ってるのは結局アニメの方が多かったりするんですね。
 で、新聞やニュースでその辺に関心を持っている人が、気づいたらアニオタになっているなんて変な状況が散見されたり。


 ……ちょっと持ち上げすぎかなw
 まあでも、基本的に平和な時代ほどフィクション作品では過激な内容が好まれたりするものですし。またたとえばミリタリーオタクというのはいつの時代もいるわけですが、現状の日本ではそういう層が楽しめる番組というのもアニメしかないのが実情です。
 私やその上の世代の男性にとって「ガンダムが共通言語」なんて言われるのも、一面ではそういう部分があるんでしょう。アメリカ人にとっての『コンバット』みたいなものなんでしょうし。
 ……昔はドラマでも、『西部警察』みたいなのやってたんですけどね(笑)。


 まあそういうわけで、理屈屋の気質の人ほど、自分の関心に合うのはアニメだったりするわけで、その感想も批評っぽくなるのかな、という話でした。
 だって、オタクの内向的なところがダメだといって、開き直ってる非モテを攻撃して「お前らさっさと現実の恋人作りなさい」と言わんばかりの、かの「善良な市民」、宇野常寛先生にしてからが、富野御大はリスペクトしてらっしゃるわけですし(笑)。


 もちろん、そこに安住してたら駄目ですけどね。「だからガンダムだけで良いんだ」という狭量な姿勢は良くないとは思う。それこそ富野御大に怒られてしまうw
 そういう嗜好の人も、たとえば『ハチミツとクローバー』とかの別な感性の作品に関心圏を広げていくのは大事な事です。そういう意味では宇野氏の姿勢は正しいと思うんだな。
 まあしかし、傾向としてはこういうところもあるのかな、と。そういうお話でした。