京都


京都 (岩波新書)

京都 (岩波新書)


 6月22日から大阪京都奈良あたりを観光してくる計画なので、ちょっと予習しようと思って手にとってみました。
 岩波新書の青版で、1刷はなんと1962年。2007年に54刷で内容の改訂はなしで、ようするに中身は1962年の時間軸で全部書かれているわけだ。


 それだけに、京都ガイド的に読もうにもかなり割り引いて読まなければならないという。面倒なことですが、私の性格上あからさまな「旅行ガイド」を読む気がさらさらないのだから仕方ない。
 ただ、逆にその古い内容である事の面白さも多少あって。この時期、羅城門復元しようとか言ってる人がいたんですね。それは実現できてたら面白そうだったのになぁ。何といっても、一度ならず鬼の出没した羅城門ですし。
 まあ、シンポジウムで話題に出た程度で、結局実現しなかったようですが。



 で、この本の内容はといえば、京都の歴史を概観しつつ、それに関わる京都の名所に言及していくという構成。
 著者の方の京都への愛着も伝わってきて、もちろん内容も豊富でなかなか楽しめました。多分この本で紹介された建物のうち、いくつかは残ってないかもだけど(笑)。
 特に私の中で抜け落ちてた近世以降の京都の情報をかなり拾えたのが大きいです。角倉了以の息子で角倉素庵という人が、江戸幕府、朝廷とは別に「嵯峨本」と呼ばれる書籍の印刷発行をやっていたとか、おぉすげぇ、みたいな。幕府や朝廷はやはり自分たちの政治的立場から出版をやったわけですが、嵯峨本はそうではなく、ある程度そういう立場から離れて文人たちの基礎教養になるような本を発行していたと。いわく『史記』、いわく『伊勢物語』、いわく『方丈記』といった具合。
 本阿弥光悦もここに関わっていたそうですが、こういう人たちの活動ってやっぱり大きかったんでしょうね、日本の文化史にとっても。
 先日原宿で浮世絵を見た時、その描かれた画題の幅広さから、作者はもちろんそれらを購入する町民たちの基礎教養の高さが想像されて驚いたわけですが、こういう人たちの活動が支えてたのかなぁと。


 で、平安時代に貴族たちの学校もあり、空海の作った綜芸種智院もあり、そういった文化人たちの活動もあって、やがて近代以降も京都大学に代表される学問の一大中心地にもなっていくと。
 なるほどなぁ、という感じです。


 そんなわけで、旅行の下準備にとどまらず、非常に勉強になりました。
 地味といえば地味な本ですが(笑)、こういうのが刷を重ねて読まれ続けているというのは良い話ですね。