蘭学事始
- 作者: 杉田玄白,片桐一男
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/01/07
- メディア: 文庫
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今年の始めの方で、中国史や韓国史を読んで、やはり西洋文明の受容の遅れが近代以降の歴史において致命的な出遅れになったのだなぁと思ったりして、ひるがえって日本はなんで明治期に西洋文明を柔軟に受け入れられたのか、といった事を少し考えたりしたわけです。
平賀源内の伝記なんかも読みまして、源内と杉田玄白が友人だったらしい事も知り、試しに読んでみたりした次第。
この本は、オランダの書物を学ぶ蘭学が日本で認められ始めた事情と、玄白の『解体新書』刊行までの苦労話を綴った回顧録。
さすが当事者の弁だけに、翻訳に関する試行錯誤の話などは臨場感もあるし、話が具体的で分かりやすいです。やっぱり大変だったんだなぁ、としみじみ。
『解体新書』は周知の通り医学書ですが、この翻訳に参加した人たちは必ずしも医学だけを目標にしてた人たちだけではなかったというのが面白かったところ。玄白は医学一筋の人なんですが、この翻訳の発起人である前野良沢なんかはこの企画を元に、他の分野のオランダ書も広めようと思ってたらしいとか。
実際、『解体新書』翻訳に始まった蘭学から、後に別な人の手で地理書の翻訳なんかもあったそうで。
また、平賀源内が江戸に来ていたオランダ人と本草学でやりとりをしたエピソードもちょっとだけ出て来まして、そこも非常に面白かったです。やっぱり源内は、中国・日本の本草学と、西洋の博物学のすり合わせをやった最初期の人なんだなと。もしそうだとすれば、その立ち位置は結構重要なはずだと再認識したり。
しかし何より熱いのは、玄白の言う事がカッコいいという事(笑)。訳文の方を引用しますが。
もっともそのころは、オランダの国がらである精密さや微妙さなどのところは、はっきりわかることではなく、今のように、予想以上に開けてきた立場からみる人は、さぞかし『解体新書』は誤解ばかりであるというであろう。
しかし、はじめてものを唱えるときにあたっては、後日のそしりをおそれるようなつまらない心がけでは、とてもくわだてごとはできないものである。あくまでも、だいたいのところをもとにして、納得したところを訳したまでのことである。
カッコいい(笑)。
いやいや、やっぱり一事を成した奴だからこそ言えるセリフってありますよね。
この部分に限らず、節度としての謙遜はありつつも、やはり全体的に自信に満ちているのが読んでいて感じられるのでした。『解体新書』刊行という事業を成し遂げたという自信。
なんか圧倒されてしまいました。オイラもがんばらにゃ。
そんな感じ。
ちなみにこの本、最後は江戸幕府を開いた徳川家康への感謝の言葉で終わっています。たとえどれほど志を持った人が出ようと、世が戦乱であったら結果は実らない。ゆえに天下太平の世を作り上げた二荒山の東照大権現に感謝すると。
この時期、蘭学を修めた杉田玄白と言えばもっとも先進的な人物の一人だったでしょう。その人の筆から、まぁ世情などに配慮しただろう世辞の類いも混じっているとはいえ、こういう感謝で本が締められている事にもちょっとした興味が湧きました。当時の人たちにとって、信仰対象としての家康ってどう感じられていたのかなーと。
そんな新たな関心も持ちつつ。さて、もうちょっと平賀源内の事も調べてみようかな。