ルナティックス 月を遊学する


ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)

ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)


 最近個人的に熱中している松岡正剛氏の本。
 月をテーマに学問分野を横断して語りつくされる知のマシンガントーク。いや、これはすごかった。


 やっぱり、何かを文化誌的に、横断的に語るならこれくらい博捜してくれなきゃな、という充実感はありました。何といっても、月の科学からはじまって日本神話に西洋神話、錬金術に月の登場する東西文学、SF小説に映画、東西の絵画、短歌に詩にと、とにかく守備範囲の広さが半端ではない。『トンデモ本の世界』で紹介されたことで有名なコンノケンイチの本とかまで読んでいるのですから恐れ入ります(笑)。
 これだけの異分野に言及して、しかもそのどれもが深いというのはね。期待して、期待以上のものが読めた事に感服するしか。


 個別的に、琴線に触れたトピックはいろいろあります。たとえば、ジュール・ヴェルヌの『月世界へ行く』が思ってた以上に面白そうだから時間があれば読んでみたいな、とか。錬金術における「月のなる樹」というイマジネーションは好きだなぁ、とか。
 しかし結局のところ、私が松岡氏の著作を読むのは、知識を得たいというよりもむしろ、人はこれだけ大量の知を操る事が出来るのだというのを見届けて、自分の励みにしたいという部分の方が大きいというのが率直なところ。
 ……いやまぁ、このブログを読めばわかるとおり、私の読書スピードは決して速くないので、セイゴオ先生のせめて足元に及ぼうとするだけでも精神と時の部屋が必要な事は間違いないのですが(笑)。


 セイゴオ先生は一貫して自らが月知派である事を言い、「だって太陽は野暮じゃないか!」と主張するわけですが(笑)。
 そこに諸手を上げて賛成するのはなんか面映ゆいのですけれども、けど気持ちは分かるんですよねぇ。明るくて生産的で活力に満ちた太陽より、夜空に浮かぶ月の知に魅力を感じる感性というのはやっぱり分かってしまう。


 何より、氏の書くこんな文章が印象的だったのでした。
 世界各地の民族が、月の模様を何に見立てたかについて言及した後、こう続けるのです。

 太陽が何に見えるかというテーマはない。月だから何かに見えるのである。そして月が何かの形に見えれば、それだけでそこには必ず物語の誕生というものがあった。