今頃ガンダム00視聴 ファーストシーズン11、12話


第11話「アレルヤ


 初っ端から飛ばすティエリアさん。前の話で泣いて悔いていたのが、またしても糾弾男に逆戻りなのであった。これは感じ悪い。
 しかしそこで、ロックオン兄貴がしっかりフォローして見せる辺りがもう、さすが兄貴だぜ、としか。


 そしてアレルヤさん、葛藤の末に人革連のニュータイプ研究所(違)の攻撃を立案。
 なんか、時々名前の出てくるヴェーダって、もう計画が隅々まで決まってて融通の利かないようなものを何となく想像してたのですが、新しい情報を取り入れて、立案された計画を推奨したりと、意外にフレキシブルなんですね。名前も大仰だし、エヴァ死海文書みたいなのを最初想像していた私でした(笑)。



 そして、自分と同じ超兵たちを手にかけるアレルヤ。何とも言えないシーン。


 ここで、ハレルヤ・バプティズムが「引き金くらい感情で引け、己のエゴで引け!」というのは、シビアだけど正しい。
 たとえば何かの使命のために引き金を引く、家族のため国のためなどなど、そうした理由で人を殺す。それは一見、自分のエゴでは人を殺していないように見えますが、実は「その使命は(たとえ誰かの命を奪っても遂行されなければならないほど)正しいのか」という命題を、”他でもないあなた自身がどう思うのか”という、そこを引き受けるかどうかという段階が最後にある。で、「国のために人を殺すか」という判断を最後に決めるのは、結局は自分、ハレルヤ風に言えば「自分のエゴ」なのでした。
 ハレルヤが告発しているのはそこで、だから抗弁するアレルヤを「立場で人を殺すのか!?」と糾弾するのです。


 それが悪いと言うのではなく、けれどどんな使命や理由があれ、それらを勘案して最後に「引き金を引く」という決断を下すのは自分なのだから、そこをキッチリと引き受けろと、ハレルヤは実はそう言ってるのですよ。立ち場や使命のせいにせず、その決断の重みくらいはしっかりと背負え、と。


 ……大体以上のように解釈しましたので、なかなか記憶に残るシーンになりました。私的ガンダムの名セリフの一員に加わっても良いかなと思うくらいに。
 ガンダムWガンダムSEEDの「不殺」、そしてその裏返しとして0083アナベル・ガトーの「大義」と、この辺りのガンダム作品が抱えていた「ヌルさ」に対して、きっちりとアンサーを返そうとしている意図を感じて、結構好感なのでした。それに、宇野常寛の言う“決断主義”に対する一つの問い直しにもなるわけだし。


 まぁ、そこにロボットアニメものとしてのアクションが備わってくれば、言うこと無しなんですけどねー。



第12話「教義の果てに」


 なんか中東の扱い悪いですね。中東マネーに恨みでもあるのかというくらいに(笑)。


 で、ようやく本筋に関わってきたらしいマリナ・イスマイールさん。しかし相変わらず特に状況を動かしたりはしない。
 一方、街中に潜入する刹那に、今回も的確な声をかけるロックオン兄貴。まぁそんな一言くらいで行動が変わるとは思えない刹那君ではありますが、やっぱ気遣い兄貴が素敵過ぎるぜ。私のハートも狙い撃ちですよ(最悪だ


 結局ユニオン介入も災いしてクーデターになり。


 とりあえずニコニコとかで事前に聞いていて、いつ来るかと思っていたのですが……それでも不意打ちに「ところがギッチョン」言われて噴いたw お前本当に中東の人かよ。



 そして、注目の対戦カード、グラハムvsロックオン兄貴。
 無茶な機動性で兄貴の狙撃を回避しまくるグラハムさんはさすがとしか。やってくれるぜ。しかしそれは良いのだが……。

「身持ちが固いな、ガンダム!」


 グラハムさん、ボキャブラリーおかしいw


 結局戦況の変化で途中で去らざるを得なくなったグラハムさん、相変わらずガンダム運があるんだかないんだかって感じですが、やっぱエースパイロットはこうでなくちゃね、という活躍ぶりではありました。



 一方の刹那君。かつての自分を想起させるような戦場に昂ぶるも、少年兵たちを救うことはできず。「俺はガンダムになれない」の一言で、ようやく「俺がガンダムだ」の意味がわかった私でありました。
 この挫折から、刹那君が少しはパイロットとして成長するのかなーと。確かに、国連大使さんの言うような「機体の性能に頼り過ぎ」なやり方では、「ガンダムになれない」。だからせっちゃん頑張れ。それなりに(ぇ



 感想としてはそんなところで。
 なんだかんだで楽しんで見ています。続きに期待。