江戸の想像力



 東京丸の内丸善内、松丸本舗で購入。
 この本はとにかくやたら面白かったです。1ページごとに今まで知らなかった知見が飛び出して来て、感心しっぱなしでした。すごい本。


 まず冒頭で、16世紀のポルトガルが日本人奴隷の売買を禁止する禁止令を出していた事が紹介されます。つまり、当時日本人は奴隷として売買されていたわけです。そんな事は初耳だったのでいきなり驚かされるわけですが、もちろんそんなのは序の口で。
 とかく、当時「鎖国」をしていた日本は、教科書程度の知識だとまるで世界から完全に切れていたかのように思えるわけですけど、実は全然そんな事はなかった。そういう事を、様々な角度から、様々な話題を通して炙り出していく手法が見事でありました。
 たとえば、平賀源内が改良して売り出した、印篭や巾着袋などに金箔による装飾を施す「金唐革(きんからかわ)」。この金唐革を追っていくと、ジャワの影絵芝居から、ルネサンスの画家ボッティチェリ、さらにバイオリンの名器ストラディバリウスにまで行きついてしまうといいます。この、関係ないと思っていたものが瞬く間に結びついて行く第一章の記述は、読んでいるだけでとにかく興奮できる部分でありまして。


 また第二章では、江戸時代日本全国に張り巡らされていた、俳諧を作り応募し、またそれを募集して評価して時に出版する「連」のシステムについて綴られています。ここでも、近代以降の文学観では、作品というのは作者の自我、創意に還元されるところ、江戸時代の文芸というのはそんなものではなく、座に集まって興じる、その「座」と切り離せないものであって、そこから一個人だけを抜き出しても意味がない、そういう文芸の形式があったのだという事を再発見していくのでした。
 たとえば連歌(まぁ、あれだ、リレーポエムみたいなもの)の座に松尾芭蕉も参加したりしているけれど、そこでは芭蕉も前の人の発句を元にフレーズを作っているし、さらに芭蕉の後にさらに続けた人が芭蕉の出したフレーズの意味を後付けて変えてしまったりもするんで、芭蕉の出した部分だけ抜き出して見ても意味がない。作品性を個人に還元しようとしても出来ないというのですね。


 まぁ何というか、何よりも思うのは、日本人って本当に遊び上手だなという事で。この「連」のシステムだって、いわば単なる遊びのためのシステムなわけですよ。単なる遊びのために、日本中を網羅できるような通信網を作っちゃうんですよね(笑)。そこに集う人たちも、上は武士から下は町人までが身分の貴賎なく集まって、酒の上の不埒、とかふざけきったペンネームで遊んでた。いやまったく、こういう馬鹿な遊びさせたら日本人の右に出る者いないよね、と思って何故か嬉しくなるワタシw


 さらに第三章では、中国の白話小説が日本に入って来て、上田秋成の『雨月物語』になる過程で何が起こったのかを考察したり、第四章では江戸時代の庶民の世界認識を当時流布していた世界地図から探ったり。とにかく今までの江戸認識がいろいろと覆るような、非常に刺激的な本でした。
 特に著者の田中優子氏の目が、物事の表層ではなく、その仕組みに深く視線を通して語っているのが、この本での考察を非常に深いものにしています。



 そして、この本の前半の主人公とも言うべき位置にいるのが、我らが平賀源内先生(笑)。もう本当に、東北での鉱山採掘の逸話とか、どこの本で何度読んでもまったくしょうもない話なんですけれども。
 本人が活動してもすぐ見栄張って誇大広告して破綻するんですが、しかしやっぱりこの人、目筋は良いんだよなぁ、と。そこは再認識しました。


 上で書いた金唐革も、当初革製で高級品だったものを、紙を下地に作れるよう工夫したことで価格を下げて庶民に普及させる事に成功してるし(明治時代まで使われていた)。
 また彼が秋田から連れて来た絵師は、杉田玄白たちに引き合わされ、江戸に来てからたったの数か月で、『ターヘル・アナトミア』の挿絵を模写、それが『解体新書』の挿絵となるのでした。仕込みは源内。たとえば、水墨画だの狩野派の絵だのといった芸術のための絵と、博物学図鑑や医学書に載せるための絵とは方法論が違います。源内はそれを知っていて、秋田で見つけた絵師小田野直武に教えたのでした。


 この本では触れられていませんが、エレキテルを三年以上いじってついに直した事も、彼のエレキテルに対する直感、その重要性を見抜く目筋の良さなんだろうなと思うわけです。やっぱこの人、目の付けどころはすごかったんだよ。
 ただ、何となく重要性は直感していたけれど、源内本人がエレキテルの原理を理解してたわけじゃないし、せっかく直しても殿様に対しての見世物にするくらいしか用途を思いつかない辺りが、源内先生クオリティ(笑)。せっかく目筋は良いのに、肝心なところを外すから結局自分の名声にはつながらないのでした。
 まぁ、そういうところが大好きなんだけどな!w



 そんなわけで。
 とにかく、普段あまり話題に上らない近世について、汲めども尽きぬ泉のごとく刺激的な事をたくさん教えてくれる、非常に素晴らしい本でした。
 そしてそれらは同時に、明治の近代化とともに、我々日本人が「なかったこと」にしている方法論や価値観などを、掘り起こして再発見していくことでもある。


 さらに個人的に思うのは、こうした江戸時代の文化のあり方こそ、インターネット普及以降の表現のあり方なんかを考える上で、ものすごく参考になるんじゃないかなということでもあります。
 俳諧連歌、連といったものたちは、びっくりするくらい現代のネットを通じて席巻している作品たち、ニコニコ動画などを通じて生まれる作品たちのあり方に似ているしマッチしていると思うんですよね。
 そこから学ばれる事は、もっとあっても良いと思うんだけどなぁ。