神話が考える


神話が考える ネットワーク社会の文化論

神話が考える ネットワーク社会の文化論


 この本の書評によって、天下の読売新聞の紙面に「東方プロジェクト」の名前が載る事になったという、そんな偉大な功績を為した書籍です(笑)。
 無論そういう事はおいておいても、東方を評論やってる人がまともに取り上げたとなれば、まぁ読まないわけにはいかない。



 内容は、二次創作などによって作品世界が広がっていくなど、昨今の同人などを見据えて周辺状況を現代思想や批評の言葉で跡付けていくという感じで、非常に面白く読みました。
 建築分野まで含めた、多様な分野から言葉を引いてきて昨今の創作環境を理論的に説明しようという筆致には、確かに野心的なものがあります。


 また、日本文学について、

 日本では文学が社会とどう関わるかということは、ほとんど実質的なコミュニケーションとして成立していない。「文学がリベラルな社会でいかなる役割を果たすか」などということは、まず問いとして存在しない。


 という問題提起は確かに鋭いものを持っていると感じます。その辺が「文学」に欠けているからこそ、エロゲーやアニメ評論、終いには同人シューティングを論じる評論が現代思想トップランナーに立ってしまったりするわけです。規制問題などのせいもあり、今やエロゲーやアニメの方が社会との関わりについてずっと差し迫って考えている、そのせいで評論に値する作品が結果としてこの分野から出てきてしまうという皮肉が生じているわけでした。
 もちろん、宮崎駿富野由悠季押井守などの偏屈者たちが、妙な存在感を放ち続けているせいでもありますが(笑)。



 その他、いろいろと示唆を受けて、非常に楽しみながら読み終えました
 東方関連の記事も面白く。特に著者が『地霊殿』のストーリー構造を中心に論じていたのは腑に落ちました。地霊殿の構成は、あれは天才の所業だと思っているので(笑)。地の底に潜り続けた結果、太陽と戦う羽目になったというヒネクレた構成は、まさに博麗神主の面目躍如だと私も以前ブログ中で絶賛いたしました。
 その辺を論じる筆致はユニークで面白く感じました。まぁ、この説明で原作知らない人が分かるのかな、という危惧も多少抱きましたが。



 そんなわけで基本的に楽しんで読んだのですけれども。
 ただ少し首を捻る部分もありました。東浩紀氏や、宇野常寛氏の本を読んだ時には感じなかった印象が読後感として残ってしまいました。つまり――「自分の好きなものを批評の言葉で理論武装させたい」という、好きなもの贔屓な感じ。
 つまり、本を通じての一貫したテーマというのが相対的に印象が薄くて、とにかく自分の好きなものを論じる事が目的で、本全体のテーマというのは後からつなぎ合わせて作りました、という感じがあったんですね。
 もちろん、サブカルチャーを愛好する者として、そうしたい気持ちはすごく良く分かるのだけれど、しかし評論としてはいささか邪道な気がするわけです。
 そのせいなのかどうなのか、個々の作品を論じた部分が短くて、十分に論を尽くしているように読めないというか。そんな印象がありました。



 もちろん、これだけ世に出回っている東方やアニメ作品などを、まったく無いものとして世間を観察しても、時代を掬いきれるとは思えませんし、こうした作品を論じた評論というのは今後もあって良いと思います。
 しかしやっぱりそれは、「批評するに値する問題系があるから」であるべきで、「自分の好きな作品に箔をつけたいから」であってはならないでしょう。
 その辺をもっと突き詰めて、今後も著者には旺盛に活動して頂ければと願っています。


 ともあれ、楽しみました。批評に興味のある方はもちろん、クリエイターも読んでみて損はない本だと思います。