2011年

 毎年恒例の一年間振り返り記事。
 今年はまあ、世事一般の事を思い返すとどうしても暗くなるわけでして。私も3月11日はいわゆる帰宅困難者状態で、二時間くらい歩いて自宅へどうにか帰り着いたりしたわけです。
 年末特番で震災を振り返る映像が流れたりすると、普段めったに涙腺緩まない私がちょっと、なんとも言いようのない感じで緩みそうになったりもするわけで。


 とはいえ、この記事ではあくまで、私のウェブ上の活動を振り返るだけの能天気な内容に終始します。幸い、今年も様々な有意義な知見に触れたりする機会がありました。そういう事をつらつら書いていきます。
 幸いにも笑顔でいられる余裕のある者は、暗い顔をすべきじゃない、というのも今回の災害の大事な教訓なわけですし。世の中だの経済だのいろいろ回していかにゃあ。
 悲しみの夜なんて、無かったかのように歌いだそうぜ!



   ・執筆
 2008年に書き始めた長編小説、まさかの未だ書きあがらず。もう何というか。
 一応、最後の一息というところまで漕ぎ着けはしたのですが。相変わらず時間の使い方の下手な事です。
 その一方で今年から、コミPo!を使った創作を開始してみたり。
 まだ本格的に自分の活動、と言えるほど作品が出来てはいないのですが、界隈の人たちとも交流させて頂いたりして、なんだかんだで楽しんでおります。
 せっかく始めたことですし、今後も発展性は感じるソフトなので、とりあえず自分なりに今の関心と結びつけた作品を、作れるだけ作っていければなと思ったり。来年中にどれだけできるかですね。
 あ、もちろん、長編小説もいい加減仕上げるよ! よ!



   ・読書(小説)
 今年、小説ほとんど読んでないんじゃね?(ぇ
 うん、思い返しても、たぶん今年は1冊(!)しか読んでない。
 ちょうど秋口あたりに、長らく小説読んでなかったし、質のいい小説作品を一か月くらい読みふけろうかと思って、『天地明察』読んだらこれがもう、私好みでやたらと良い作品で、一冊読んだだけで満足できてしまった。そしてまた資料本に戻ったのでした。


 いやしかし、新刊でも何でもないけど、『天地明察』は本当に良い作品です。映画化もされるというので、けっこう楽しみだったり。
 算術とか天文学とか囲碁とか、小難しい話題が出てくる話なのに、感性がすごく瑞々しくて、読んでて苦にならない辺りとか、実にうまい作品でした。あれが多くの人に読まれたというのは本当に良いことだと思った。


 ライトノベルは最近はもう、情報収集もあまりしなくなってしまいました。うーん、やっぱり、ジュブナイルというか、少年向け作品の感性がだんだん自分の中から抜け落ち始めてる感じもなくはない。やばいね(笑)。
 もう少し少年もの的な活劇書いていたかった感じもあるんですが、もたもたしているうちに、まず自分自身がそういうの読まなくなってきたという。
 それで渋い大人の世界みたいなのが醸成されて来るなら良いんですが、中二病は抜けそうにないし(笑)。どうなることやら、です。
 まあとりあえず、これからも小説は少ないながら、刺激的で面白いものを時々拾っていければなと思います。



   ・読書(その他)
 とりあえず歴史ものを中心にいろいろ読んでいました。冊数を増やして、また自分用Wikiに反映する労力を確保するために、十年近く続けていた読書感想をやめるという、私自身にとってけっこう転機になった年な気がします。
 で、読書感想記事をあげていないから、今年読んだ本の全体像がつかめていない(笑)。何読んだっけ、という感じ。
 白山信仰関連の本から、中世比叡山関連に触れて、織田信長に行って、竹取物語調べて、古代ギリシャの考古学の本をちょっと見て、あと前方後円墳についての本とか。てんでバラバラですが、その辺はいつもの事なので。
 OBとして大学図書館に入れるように手続きもしまして(5000円も取られたけどな!)、休日に時々出向いては気になった文献を漁ったりもするようになりました。
 やはり、Wikiを自分用に借りて来て、そこに自分の気になった情報だけ流し込むという、自分に合った勉強方法を見つけられたのは幸運でした。移り気な私がけっこう続けられてますし。正直、歯抜けだらけでデータベースとしては使い物にならないような無様な代物ですが、あれを埋めていく感覚があるから、けっこう重たい歴史書にも取り組めています。
 これは来年以降もガンガン行く予定。


 そのほか、今年は平家物語を読み始めた年でもあったり。職場の休憩時間にちょっとずつ進めています。講談社学術文庫版で、現代語訳と解説付きで、全12冊という長い代物。今年の4月頃に始めて、まだ8巻までしか行ってませんが。これもやっぱり、原典に当たってみると結構、発見が多かったりします。軍記物とか言いながら、本格的な戦闘シーンって4巻だか5巻くらいまでいかないと出てこなかったり(笑)。前半は武士よりも僧兵、坊さんの活躍シーンの方が圧倒的に多かったりして。高校までの文学史で見聞きした雰囲気とは全然違うものだなぁ、と。
 やっぱりオリジナルに触れるのは大切という事で、これもちょっとずつ。平家物語終わったら、太平記読もうかなと思ってたりします。


 あと、忘れてはいけない。文化批評というかそっち方面でも面白い本がありました。
 宇野常寛氏の『リトル・ピープルの時代』と、最近読んだ與那覇潤氏の『中国化する日本』がことさら刺激的で面白かったりしました。方や論述の題材が偏ってたり(ウルトラマン仮面ライダーw)、方や個々の歴史事件の把握がすげー乱暴だったりするのですが、しかし大局、時代を見る視点としてはとにかく面白い。
 現代批評系の本を買う事は稀なのですが、手を出した本は高確率で当たりだったりするのが有難いところ。まあ私好みって事なんですが。こういう、良い本を見つける嗅覚は大事にしていきたいです。



   ・漫画
ハチワンダイバー』、ようやく最新刊に追いつく。最近の私の将棋への関心は大体これのせい。
 あと、なぜか職場の上司に借りて読んでいる『ワンピース』が、今50巻くらいまで。なんだかんだで楽しんで読んでいます。中二病にならない、ちょっとふざけた技名とかキャラクターと、真剣なドラマとを両立させるバランス感覚はやっぱり、当代のエンタメ創作のトップランナーとして普通にすごいと思う。ニコ・ロビンの発言とか見てるとわかるけど、実は作者は結構博識もしくは勉強家で、けれどそれを感じさせない節度も素晴らしいです。勉強家ってやっぱり知識をひけらかしたくなるから(笑)、その欲望に流されてないのは実はけっこうすごいなぁと。
 なんか、職場の同僚から、100巻くらいで完結する予定らしいという噂を聞かされたわけですが……ワンピース終わったら、集英社大丈夫か? ていうかむしろ出版業界大丈夫か?とかわりと真剣に心配になる(笑)。それくらい、あれの売り上げって偉大だったりします、業界的に。やっぱり、それだけの存在感発揮するだけの事はあると思ったりしたのでした。



   ・ゲーム
 Gジェネの新しいのやりたいけどハードがなくて、悶々としてたりして、紆余曲折の末、マインクラフトを始めてみたりしたのでありました。
 やっぱりね、人によるんだろうと思うんですが、私としては全然縛りがない、何をしても良いゲームって伸び伸びできて楽しいのです。ドラクエ8で、宝箱を求めてひたすらフィールドをさ迷い歩くのが楽しかったという人種にとっては、天国のようなゲーム(笑)。
 で、プレイ日記なんかもつけはじめてみたのですが、これって建物建てたりするのにセンスがあからさまに出て、デザインセンスがない私あたりはこう、思い通りにいかないのが段々気になってきたりしまして。プレイ動画とか、ブログで進行状況記録してる人とか、やっぱりセンス良いからねぇ。それで最近、ちょっと挫折気味だったりします。
 まあ、時間を潤沢に投じた方が面白いゲームでもあるけど、私の場合他に抱えてることが気になったりしますから、その辺もネック。どうせやるなら何もかも忘れて没頭すれば良いのにね、それも出来ない辺りは因果な性分です。


 『東方神霊廟』は買ったんだけど、プレイ中常に左入力が入りっぱなしになるバグが発生して、遊べてません。まあ、神主は個人サークルだし忙しいし、サポートを望むのは酷というもので、しかしせっかく買ったのに遊べないのはちょっと残念な感じ。道教ネタで面白そうなんですけどねー。ま、しょうがない。



   ・アニメ
 現在、そもそも録画機器すらない環境にいるので久しくアニメをリアルタイムで追いかけたりしなくなったのですが、ニコニコ動画でアニメ配信があるお蔭で時々見ることができるようになってます。『まどか☆マギカ』と『Fate/zero』だけはどうにか追いかけてた感じ。あと、栄えある2011年惑星開発大賞に選ばれた(笑)『gdgd妖精s』の最後の方ちょこっとだけ。
 まどか☆マギカは全体を見終えた感想はブログ記事に書きませんでしたが、ツイッターではぼそぼそ呟いてました。
 まあ、私の最近のアニメ見るときの定点はどうしても宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』がベースになってしまうんですが、ゼロ年代の仮想敵の象徴が『デスノート』の夜神月だとすれば、10年代の仮想敵はキュウベェになるんじゃないかな、という漠然とした予感を感じさせるような、そういう意味ではよく練られた話だった気がします。
 要するにキュウベェって、あの取り込まれたら出られない、ワーキングプアのような(笑)「魔法少女」の仕組み、そのシステムの擬人化的な存在だったわけなんですけれども。そういう、システムとどう向き合って(時には立ち向かって)いくかという視点が今後の世情的に必要になっていくと思うし、そういう「想像力」の端緒として意味のある作品だったのかな、という認識でいます。
 ただ、まどマギそのものは、最後に「奇跡」で事を解決してしまったのですが、それは「10年代の想像力」としては徹底できなかった部分なのかなという気もします。目の前の問題に対して、「奇跡を起こせばいい」っていうのは答えにならない。ブラック企業で働かされてる人に「奇跡も魔法もあるんだよ」なんて言っても意味がない(笑)。
 そこをどう詰めていくのか、というのがこれから、あと8年の間に様々な創作家が考えていくべきテーマなのかな、と漠然と思ったりしました。
 『Fate/zero』も、「聖杯」っていうものすごい力を持ったモノがあって、その力をベースに聖杯戦争というゲームシステムが組まれていて、けれど(ネタバレになりますが)聖杯自体が実は邪悪なというか、怨嗟に満ちたものになっていて、切嗣をはじめ諸々の人物たちの願望を託す事が出来ないモノになっていたりする。
 現在の仕組みを切り回している、そのシステム自体に瑕疵があった場合に、じゃあどうすれば良いのか、というのは、現実の世の中を見回してもかなり喫緊の問題意識です。そこに応えていく作品が、今後も支持されていくのかなという気がしています。



 そんなところ。



 ともあれ、これが今年最後の更新となります。
 もともと開店休業状態のブログですが、こんな場末のブログにお越しいただいている皆様にはお世話になっております。来年もどうぞよろしくお願いします。


 それでは皆様、良いお年を。