滋賀旅行1日目

 小売業というのは、なかなか休みのとれない稼業でございまして。二泊三日程度の旅行に出るのもなかなかままならないわけですが、今回珍しく時間が取れたので、行ってまいりました。
 行先は滋賀県でございます。


 大体、去年の関心の向いていた方向が、滋賀県絡みが多く。実地に見ておきたい寺社や遺跡が多かったのでした。
 3年前、京都旅行した時は、予定も立てずに宿は漫画喫茶上等というひどい旅程で臨んだものですが、さすがにそんなんじゃ体力的に厳しくなって参りました。今回は私にしては事前準備をかなり行った旅だったと思います。
 そんなわけで、1日目の朝7:40、新幹線の指定席に腰を落ち着けました。


 新幹線に乗ったのは、これがほぼ初めてだったかと思いますが。
 席に座って、一息ついて、品川駅で買ったおむすびを一つ摘まんで食べ終えるか終えないかくらいの時間で、もう横浜に着いてた。早ぇ。
 車窓の景色も速い速い。いやぁ、かなり感動というか、興奮しました(笑)。
 6月の旅行で、なおかつ雨男の私の事、どうせ曇りか雨だろうと諦めていたのですが、予想外に晴れておりまして。車窓から美麗な富士山を見る事もできました。静岡の富士宮まで出向いて一泊したのに一目も見られなかった富士山が……!
 今回の旅は、なんかツイてるかもしれない。



 そんなこんなで、



 滋賀県に入り、米原駅で下車。


 今回はもう、一番最初に職場等へのお土産を買ってしまって、日時指定で配送してしまおうと画策していたのですが……新幹線停車駅だし当然土産物屋くらいあるだろうと思っていた米原駅周辺に、ほとんど何もなくて絶句(笑)。



 ロータリーはあるけど……他には特に何も見当たらないという。
 ふむ、そんなものかと思いつつ。まあ無いものは仕方ない。予定変更して、一路目的地へと向かいます。
 最初の目的地は、安土。
 織田信長の居城があった、安土城の安土です。


 去年の中ごろでしょうかね、たまたま関心が織田信長に向きまして、何冊か関連文献を読んだりしました。今回の旅の行先を滋賀県の琵琶湖畔に定めたのも、本で読んだ内容を実見するためです。
 安土城については、発掘の様子なども読んでいましたし、自分なりに疑問もあったので、わりと楽しみにやって来た次第。
 そして、メインディッシュが旅のド頭にくるわけですが(笑)。



 早起きした甲斐あって、10時30分頃には目的の安土に到着。



 まずは駅前に立つ信長公にご挨拶。


 で、周囲を見回しますと、レンタサイクルのお店が目についたのでした。
 そうか、そういう手があるのかと思い、早速店のおじさんに一台お願いしました。今まで、旅といえば徒歩だったのですが、ちょっと新機軸かも。


 幸いにも、事前に天気予報などを見て憂慮していたのが嘘のような快晴。のどかな田園風景の中を気ままに自転車移動していたら、あっという間に浮世の憂さが消えていく心地。いや楽しい。サイクリング楽しい。
 まぁ、



 自転車のカゴについてる、この絵だけは何とかしてほしかったがw
 観光客丸出しではありますが。周辺住民の目が多少は気になるものの、こういうのは、細かいことを気にしていたら楽しめないものです。割り切るのは得意なので、気にしない方向で(笑)。


 レンタサイクルのお店でもらった観光地図片手に、目的の安土城跡へ向かいます。
 で、途中で新宮大社という神社があったので、寄り道して参拝。寺社仏閣を素通りできない男なので。



 境内にあった見事な萱葺屋根。
 祭殿なのかな? 土間形式になってるのは古い形式なのだとか案内板に書かれてました。それにしても、この屋根、見事です。



 また、途中に、信長が建てたというキリスト教の神学校、セミナリヨの跡があったそうなのですが、見つけられませんでした(ぇ
 そんなこともある。



 そして、安土山へとたどり着きました。


 かつてここに壮麗な城が建ってたとは想像できない、鬱蒼とした森です。
 休憩所みたいなところがあったので、そこに自転車を停めて、いざ頂上へ。



 近年の発掘調査で見つかった、大手道の石段を登ります。
 本で見た場所を実際に自分の足で上る、というのもなかなか感慨深くて面白いですね。伝羽柴秀吉邸跡なんかも、イメージしてたより多少狭いかなという印象。
 あと、石段の一段一段がけっこう高く、粗くて、若干上りにくい感じでした。これはわざとそうしてるのかな、と思ったりも。安土城の本丸に直通しているわけではないとはいえ、ストレートに登れる道は戦の際には攻めやすいでしょうから、その辺は色々考えてたのかも知れない。
 違うかも知れないけど(笑)。



 それにしても、私の旅行というと必ず山登りをする羽目になるのですが、今回も早速でした。標高は190メートルくらいだったかな。けっこうきつかった。まあでも、そこに寺社や遺跡がある限り登るのが、多分私のサガなのでありましょう。
 汗だくになりながら、ようやく本丸跡地まで来ました。



 ベンチとか置かれてるので分かりにくいですが、地面にところどころ見える石が、すべてかつての本丸の礎石だったそうな。
 すでに失われてしまったお城ですから建物は当然見られないわけですが、それでも石垣はかなり残っています。なので、往時をイメージするのは意外に難しくないかも。
 6月の平日だったのですが、けっこう他に来ている人もいましたね。若いカップルも一組、年配のカップルも一組。独り身の私は、お邪魔にならないようにひっそりと見回りました。
 やがてさらに上の天主跡地へ登り。そこからの眺望がなかなかのものでした。




 絶景かな。
 周辺に比べてここだけ高いのか、見晴らしが大変良く。しばらく眺めて堪能していました。
 まぁ、安土城があった当時は、南側と西側以外は琵琶湖の内湖だったらしく、上の写真のように北向きの眺望は田園ではなく一面の湖水だったのかなと思いますが。
 それにしても、この安土山の高さは、居住する場所としての利便性と、高所から見下ろす眺望との両方を満たす最適な場所だったのかな、と思ったりはしました。
 ちょうどこの旅には、講談社学術文庫の『城の日本史』という、城郭の歴史についての本を持って行って読みながらだったのですが。安土城以前にも天守(天主、殿主)という記述のある文献もないわけではないけれど、やはり為政者が居住する天守閣の、ほとんど最初の例が安土城であったらしいですね。
 それまで、たとえば天皇の住居というのは都の北寄りに、フラットな同じ高さに基本的にあったでしょうし。中世の山城は高所に建てはしましたが、主に戦時に利用するものでしたし、周囲に見せつけるような天守閣のようなものはあまり作らなかったらしく。
 だとすれば、「高所から領民を見下ろす為政者」という最初の存在が織田信長だった、っていう事はあるのかな、とぼんやり考えたり。三次元的な「高さ」を、統治者の権威の高さと結びつけて表現した最初の人だったかも知れない。
 唯一の例外は、比叡山に代表される山岳密教の寺院だったでしょう。しかし、その寺院を権威の高みから引きずりおろした張本人こそ信長だったわけで。あの苛烈な比叡山焼き討ちについても、自然に考えが及びます。面白いなー。


 さて。問題はその信長の、宗教観です。私がここ一年、信長について一番気になっていたのが、彼が神仏をどう考えていたのか、というような事だったのでした。
 で、関連して気になるのが、安土城の敷地内に信長が建てた寺、�埒見寺です。この寺は現在は大手道の脇にありますが、以前は城の西側、百々橋口から本丸に向かう途上にありました。
 石垣の内側、城の防衛上かなり重要な位置です。通常は守りを固めるべきところに、なぜか寺が建っているのでした。
 また、あれだけ密教寺院に執拗な攻撃を加えていた信長なのに、この寺の建物配置は密教寺院のそれだったという話もあり。
 ルイス・フロイスは、この寺に信長が自分を神として祀らせた、そのご神体となる石「ぼんさん」をここに安置したと書いていたりとか。
 どうもその辺の話を集めれば集めるほどよく分からなくて。とりあえず、実地に見てみるしかないやと思っていたところでした。



 本丸から西側へ坂を下って行った先に、寺の跡地があります。



 現存する数少ない建物、三重塔。
 急な高低差のせいで、地面から唐突に生えてるみたい(笑)。
 この三重塔は、近江国の別の寺から移築されたものであることが判明しています。この下にある仁王門も同様。



 そして本堂跡がこちら。
 この本堂周辺も、寺院としては変わった作りだそうで。安土城への登城の半ばにあるからでもありましょうが……通常、本堂にまっすぐ繋がっているはずの参道が、本堂の前を真横に横切るという特殊な配置になっているとのことで。



 この通り。



 こちらは西側。信長存命当時は能舞台があったとも言われている辺りです。
 西方向への見晴らしは非常に良いのですが。この伽藍配置をどう見たものか。



 三重塔を正面から。



 で、こちらが仁王門。
 この仁王門も……門をくぐってすぐ目の前が石段なので、圧迫感がすごいです。



 こんな。
 私もそんなに山寺を見て歩いてるわけではないので、これくらいの立地は実は珍しくないのかも知れませんが……先ほどの参道や、三重塔の立地も含め、ちょっとちぐはぐな印象を持ちました。まあ城の敷地内という制限もあったのでしょうが。
 考えるヒントになったというよりは、むしろますます混乱した感じ(笑)。



 この後、下山して自転車に再度乗り込み、地元の考古博物館、図書館を回って駅へ戻ったのが5時過ぎでした。
 考古博物館では、過去の企画展の図録が安かったので大目に購入。帰宅してぱらぱらと読んでみましたが、これはなかなか良い内容でした。ローカルな博物館の企画展って意外に内容がディープで良いかも知れませんね。今後、また旅に出た時には、できるだけあちこちでチェックしてみようかと思ったり。
 図書館も、地元のには大体、郷土資料を集めたコーナーがあるので、東京では集まらない情報を求めて行ってみる価値はある。ただ、今回はちょっと私の選書ミスであまり目ぼしい成果はありませんでした。良くないなぁ。どうせ短時間なので、通読なんかできないんだから、拾い読み上等で、「○○町史」みたいな分厚い武骨なヤツにトライすべきだよなぁ。ちょっと反省。



 そんなこんなで。
 自転車を返して、歩き出してみたら足が痛かったです。自転車なんか乗ったのなにげに久しぶりだったからねぇ。普段つかわない筋肉をいきなり酷使した結果です。
 まぁでも、博物館を出たあたりから崩れかかってた天気も何とか持ってくれて、総じてなかなか悪くない一日目でした。



 その日の宿は、隣駅の近江八幡で、駅前一分のホテルに素泊まり。今回の旅行では食べ物もできるだけ地元の美味しいものを食べようかと思っていましたが、観光向けの駅でもないそういうところでは余りそういうお店もなく、無難にラーメンなど食べる事に。
 入った宿もどちらかというとビジネス向け。ユニットバスで汗を流して、ゆっくり。
 こういう宿で、1000円でカード買って見られる有料放送みたいなのがありますが、良く見たら劇場版機動戦士ガンダムがラインナップに入っていて参りました(笑)。見たいけど、さすがに通しで6時間見て、睡眠時間削ったら翌日の行動に支障が出そうだったので……泣く泣く1本だけ見るだけで我慢しました(見たのかよ
 劇場版ガンダム、マジ名作。何度見てもミハルのエピソード切ないのぉ……。



 そんな感じで翌日にそなえて就寝しました。明日は竹生島へ。
 次回に続く。