滋賀旅行2日目

 朝7時少し前に起床。ホテルで朝食を食べ、天気の良さに感謝しながら電車に乗り込みました。
 行先は長浜。ここから竹生島行きの遊覧船が出ており。既に予約もしておいたのです。本当、私の旅にしては事前準備が整っているな、今回(他人事のように



 ところが、寝坊の可能性も考えて11時半からの便を予約したところが、実際には長浜駅に着いたのは9時少し前。これはどうやら周辺観光をするしかない模様でした。
 さてどうしようかと思いつつ駅の改札を出たら、またも目に飛び込んできたのはレンタサイクルの文字。正直、前日のサイクリングで足が痛くなってたんでどうしようか迷ったのですが、とりあえず見に行くと……こちらは何と、電動アシスト自転車を貸し出してくれるとのことで。
 さらに、長浜港での返却も可能という事で、ならばとGOサインを出しました。さらに周辺地図もゲット。



 で。
 電動自転車って乗ったの生まれて初めてだったわけですが。
 もうね、なんていうかね……ペダルが軽すぎて気持ち悪い(笑)。
 楽なのは、猛烈に楽なのですが、やはり体感を裏切る楽さっていうのは違和感も強いですねぇ。まぁ、慣れればどうってことないのでしょうけれど。
 などと言いつつ、足に負担をかけずに移動できるのは有難い。とりあえず地図を眺めながら、琵琶湖とは反対側へちょっとだけ移動しまして、



 豊国神社へ。
 豊臣秀吉を祀った神社ですね。
 秀吉が神社に祭られるようになった経緯というのもなかなか面白いのですが、吉田神道については私もまだよく分かっていないのでこの場では割愛。ただ、江戸時代になり秀吉の神格化が禁止されても、地元の人々によってひっそりと伝えられ続けてたそうです。
 いずれにせよ、この長浜の地に長浜城を置いた羽柴秀吉と、安土の信長と、この日の翌日に行った坂本の明智光秀とで、ほぼ琵琶湖全体を掌中に収めたというのが晩年の織田信長だったという事のようで。そういう意味では、長浜に立ち寄ったのも非常に今回の旅のコンセプトに合ってたなと思います。
 琵琶湖を掌握するという事は水運を掌握するということ。水運を掌握するという事は経済を掌握するということですからね。たとえば、中世に坂本の商人たちが、米の値をつり上げるために京都へ米が入るのを停めたところ、凶作の年でもないのに京都で飢饉が起こったという逸話もあるほど、影響力はあったようです。信長が特にやり手の部下二人と、自分自身も琵琶湖沿岸に居どころを配していた事からも、よほど重視していたのでしょう。
 ……というような背景も含めて、ちょっと寄り道して秀吉公にご挨拶してみたのも悪くないかなと。


 で、引き返しまして、その長浜城跡と、その地にある歴史博物館へ行きました。
 まあ場所柄、戦国時代関係の展示が多いのかなと思ったらそうでもなく。もちろんそれもありましたが……むしろ私が訪れた時は、西浜千軒遺跡などの琵琶湖水中考古学関連の展示が充実してました。これは、おそらくは当時の大地震によって琵琶湖底に沈んでしまった集落の遺跡です。
 琵琶湖はなにげに、水中考古学も非常にホットで、本も何冊か出ています。まぁ私は『宗像教授異考録』で読んだだけですが(笑)。漫画で読んだだけだった遺跡の出土品の、実物が見れたりもしてそれなりに楽しく。
 そして、常設展示で国友一貫斎という人物の事を知って、思わぬ発見にちょっと興奮してしまったりしたのでした。
 江戸時代の鉄砲鍛冶の人だったそうなのですが、江戸に出たのをきっかけに様々な発明や科学的探究をしたとかで、グレゴリー型反射望遠鏡を制作し、さらに日本人として初めて太陽黒点の連続観測を行ったのだそうです。すっげー。
 江戸時代の科学知識って実はかなり高いレベルまで西洋のものが入ってきていたそうで、18世紀後半にはコペルニクスの地動説を紹介する本(司馬江漢和蘭天説』)が刊行されていたとか、他にもニュートンライプニッツなどなどの名前も知られていたとか何とか。さらに西洋の機械製品なんかは、日本の技術者がそれを模倣して作ったのはもちろんのこと、さらに独自の改良を重ねたりもしていたそうです。
 明らかに、明治維新後の日本が急激に西洋化して、列強に並ぶほどの文明開化が可能だったのは、江戸時代のうちにそうした知識や技術を摂取・消化できていた事が下準備になっていたのだろうと思います。
 ものの本によれば、西洋の製鉄用の反射炉なんかも、日本の鍛冶師たちは設計図を見ただけで、欧米人の助言もないまま再現して作ってしまったとかいう話もありますし。ぱっと入ってきたものをぱっと取り入れたってだけじゃないんですよね、やっぱり。準備期間がちゃんとあった。
 ……で、私はその辺の事を調べるのも結構好きで(笑)。なので、国友一貫斎という人の事績の情報は垂涎モノ。思わぬ拾い物でした。
 幸い、後で博物館の物販スペースを見たら、この人物のさらに詳しい評伝が売っていたので、迷わず購入しました。こういう意図せぬ発見があるから、旅行は楽しい。


 で、展示を見た後は、展望台に上って琵琶湖を眺めました。



 これは気持ちいい。
 すぐそばに修学旅行生的な学生さんたちがいたので、遠慮がちにこれだけ撮って退散しましたが。いやしかし、こうして写真を見返しても、旅行したなーって思える良い写真です。
 ……ていうか、日ごろの散歩でも旅行でも、私が写真撮る時って大抵曇天なので……こんな解放感ある写真って五指に入るほどしか撮ってないのではなかろうか(笑)。天気に恵まれるって素敵です。
(追記。気になって写真フォルダ全部見返してみたんだけど、きちんと青空が撮れてる写真って本当に10枚くらいしかないじゃないか(笑)。全体の10%未満くらい。どんだけ雨男なのかと)



 で。
 私、水辺が大好きなのですよ。東京散歩でも、延々川べり歩いたりとかが好みで。
 琵琶湖がこれだけ近いとなれば、是非とも近くに行きたくなるというもの。というわけで、博物館を辞すと同時に自転車を駆って岸まで飛ばします。



 幸い、すぐに目の前が開けました。
 琵琶湖、広すぎてまるで海。小規模ながら波も打ち寄せて来ているので、まるで海岸のようでした。
 ちょっと途中で降りて、防潮堤の突端みたいなところまで行ってしばらく座ってみたり。
 かと思えば、湖畔の道を自転車で飛ばして喜んでみたり(笑)。



 こんな感じで、右手に湖を見ながらサイクリングできます。
 たーのーしーいー。
 ちょっと走ったらすぐに遊覧船乗り場までついてしまったので、折り返して3往復ぐらいしました。いい大人がはしゃぎすぎでありますw
 まあ、時間もあるし。


 ようやくのこと、船着き場について予約していたチケットを受け取って、しかしまだ船が来るまで1時間弱余っております。
 近くの神社に行っても良かったのですけど、なにせ琵琶湖の水辺が気持ち良すぎたもので。ちょっと足を延ばした先に、釣り人が数人釣りをしているような大きめの防潮堤があったので……ころあいの良い波消しブロックみたいなのにちょいと横になって、波音を聞きながらリラックスしてました。
 うん。なんかもう、予約キャンセルして3時間くらい横になってようかなと思ったくらい、のんびりした良い時間でした。時々強い波が来て、水しぶきかぶったりするんだけど(笑)、それもまたよし。風も心地よく、湖の水平線と青空の境界も曖昧なくらい、遠くまで見渡せて。たまには、こういう何もしない、何も考えない時間も良いですねぇ。多分今回の旅で、最も琵琶湖を堪能した時間だったと思います。実に幸せな時間でした。
 ……まぁ、背中がコンクリートに当たってたんで、立ち上がってみたら全身痛かったですけど(笑)。



 さて、名残を惜しみつつ、船着き場まで戻り。間もなく乗船しました。琵琶湖クルーズで一路竹生島へ。
 酔うかな、というほんの些細な心配は杞憂。むしろさっきまではしゃぎ過ぎていたお蔭で、勿体ないことにちょっとうとうとしたり(笑)。



 30分ほどで竹生島へ着。


 この日は竹生島で祭礼なんかやっていたようで、県の偉い方も来ていたそうです。私が着いた時には入れ替わりでほぼ終わってしまっていたようですが。なので普通にお参り。


 例によって、明治の神仏分離のせいで都久夫須麻神社と宝厳寺とに分かれていますが、かつては両方合わせて竹生島弁天だったとのこと。
 まずは神社の方から。



 こちらは神社から寺への渡り廊下。これも懸造でいいのかな? 
 この格子状の木組みは2009年の京都旅行、清水寺でも見ました。これで建物支えてるってすごいよねぇ。



 で、こちらが都久夫須麻神社。



 こちらが宝厳寺本堂。
 神社の方は非常に古い建物だそうで、本殿は国宝。一方、寺の本堂の方は意外に新しい建物だそうです。ぱっと見た感じだとけっこう古そうなんですけどね。



 この本堂の向かい側の階段から、宝物殿に入ることができました。
 縁の品物が色々とありましたが、個人的に一番見入ったのは、弁財天の仏像。色白で、恰幅の良い女性を思わせる姿もなかなか面白いですが……重要なのは、その頭にとぐろを巻いた白い蛇の胴と、老爺の顔を持った異形の神が乗っている事でした。
 宇賀神と言います。写真撮影は出来なかったのが残念ですが。


 宇賀神、または宇賀弁財天については、私も高校時代に山本ひろ子『異神』で読んだきりなので、上手く説明することはできません。ただ、古代のプリミティブな神とも、また江戸時代以降の系統だった神とも違う、中世の混沌とした神仏の空気が伝わってくる存在で、ずっと頭の片隅で気になっている存在でした。今回、ついに拝謁する事ができたのはなかなか感慨深く。
 私的「一度拝んでみたかった神仏ベスト50」の一つがクリアできたかな、という感じです。



 そんなこんなで。
 大体お昼すぎ頃には一通り見終えたようで、1時半過ぎくらいの船で、今津港へ向かいました。琵琶湖の東岸から、竹生島を経由して西岸に降り立った格好です。



 去り際に一枚。



 この帰りのクルーズではそれなりに船旅を満喫しました。テラスに出て潮風(?)に当たってみたりね。



 今津駅に着きまして、周辺に特に目ぼしいものが見当たらなかったので移動する事にしたのですが……時刻は3時少し前。微妙な時間です。
 というのも、この日はちょっと豪華版な宿に泊まる事にしていまして。夕飯にちょっとした会席料理が出るかわりに、遅くとも6時にはチェックインしなければならなかったのでした。場所は明日の目的地坂本の隣駅、唐崎駅の近く。
 途中、寄り道をしようかと色々考えたのですが……結局、湖西線比叡山坂本で一旦降りて翌日の下見をし、そのまま唐崎駅に移動して、宿に入りました。
 近くに古墳群みたいなのもあったようだし、上手くすればもう一か所くらい何か見られたのかも知れませんが……まぁ、無理はしない方がよかろうと。素泊まりでチェックインの融通が利くならどうとでもするんですがね。



 で、まだ外の明るい午後4時ごろに悠々と温泉三昧し、さらに宿のテラスに陣取って夕食時間まで読書としゃれ込み……と、これはこれで贅沢至極な時間の使い方をしまして。



 そして。夕食の近江牛会席。


 うん、なんていうかね。普段の食事と段違いでした。
 あまりにもいつも食べてるものと次元の違う美味っぷりに、自分の味覚が混乱しまくってるのが分かって楽しいという(笑)。
 多分、あの晩の私なら、『ミスター味っ子』の味皇様ばりに口からビームを吐くことができたでしょう(ぇ


 普段、職場の飲み会などを除いて、基本的に自分ひとりの時にはアルコールは入れない事にしているのですが、この日だけはちょっとビールとかも頼んでしまった。贅沢するときは贅沢三昧に。



 いやー。やっぱり、旅先で美味しいもの食べたいなら、ちゃんとした宿で料理つきのコースをとるべきなんですな。宿をケチるのは旅の楽しみの半分くらいをケチるようなものだね。ちょっと学習した。
 実に堪能。もう、一年くらいは何の贅沢もせんでよい、と思えるくらいに愉しみました。孔子先生が「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言った気持ちが少しわかりましたよ(分かってねーよ



 そんな感じで。
 夕食後は、余韻に浸りながら部屋に戻り、ベッドの中で本など読みつつ、静かに寝入りました。
 次の日も、朝から山登りの予定ですので、体力を温存しつつ……次回に続く。