第9回 中野散歩

 私事が立て込んだり、その他もろもろで3年ちかく実施できなかった、当ブログの行き当たりばったり散歩企画「東京彷徨」ですが。ようやく、再開する事にしました。
 行きたいところは未だに何か所もありますので、また気長に出かけられたらと思います。


 今回は中野をスタート地点に選びました。
 また、職場の友人M氏に声かけをして、一緒に参加してもらっています。この企画に友人が同道するのはこれが3回目ですが、はてさて。



 とりあえず、お昼に集合して、ランチをとってから出発としました。天気はあいにくの曇り空。東京彷徨やる時はなぜか必ず曇る、というジンクスは3年経っても変わらなかった。一体どういう因縁なのか(笑)。



 というわけで、JR中野駅
 北口を出まして、商店街の方へ。途中に会った沖縄料理の店で沖縄そばを食べました。七味唐辛子を入れようと思ったら卓上になくて、代わりに辛子を漬け込んだ液体が。
 七味と違って加減が分からず難儀しましたが、まぁ美味しくいただきました。


 店を出てさらに北へ。目的地を定めないのがこの散歩のキモですが、今回は最初に立ち寄る場所だけは決めていました。中野の哲学堂公園です。前から一度行ってみたかったので、中野スタートというのもこの目的地のために決めた次第。
 ともあれ、まずは北へ北へ歩きます。



 途中、中野ブロードウェイの中を通過。
 この建物内も非常に見所の多いところなのですが……古い怪獣のソフビ人形とか眺めてるだけで時間を忘れる勢いです。しかしそうすると、中野ブロードウェイから出ないままこの日の散歩が終了してしまうため、今回はスルー。
 建物を出まして、そのまま道なりに進みます。地図も確認したし、万事OKのはずだったのですが。


 途中、新井天神の前を通りかかったので参拝します。



 手水場の屋根がちょっと面白かったので一枚。あまり見ない形な気がします。
 さほど広くない境内ながら、ほどほどに見所があって面白い景色です。せっかくなので



 もう一枚。相変わらず写真の腕はからっきしなので、こんな程度の写真撮るにも2回くらい撮りなおしてます。



 その隣にある、牛の像。自分の良くなってほしい場所に相当する像の部分を撫でるのだそうです。同じ像を、以前身内で出かけた時に、調布の神社でも見かけましたが……。
 なんで牛なのかなぁという疑問はあるのですけれども。何となく思い出すのは牛痘。天然痘の予防のために、牛に起こる同種の感染症牛痘のカサブタを接種させてワクチンにする方法です。日本に入ってきたのは19世紀に入ってからのようなのですが……なんとなく効用が実感されてて、民間療法的に「牛に触る」事が特別視されてたりしないかなぁと。まぁ、単なる連想ですけどね。なんか他に由来があるのかも知れませんが。
 説得力のある、確実性の高い仮説を組もうと思うと大変ですけど、素人が連想働かせてあれこれ想像するのは、これはこれで楽しかったりするもんです。そんなカジュアルな民俗学もたまには(笑)。



 そんなわけで、新井天神でした。



 さらに道なりに進んで、西武線沼袋駅を通りかかったり。
 ……まぁこの時点でおかしいなと気づくべきではあったのですが。本来の予定ルート通りなら、こちらの駅に差し掛かるはずがなかったので。


 さて、駅近くに、百観音明治寺というところがあったので、寄り道。
 広めの庭園みたいなところに、大小さまざまな観音像を並べた場所で、なかなか壮観だったのですが、あいにく写真撮影不可という事だったので、眺めるだけにしました。
 で、その近くに公園的なスペースがありまして、小ぶりな遊具がいくつかある中の、



 すべり台……。
 ……いや、明らかにこれ、当初はすべり台じゃない何かだったろ、という。あまりの武骨さにM氏と二人で眺めまわしてしまいました。



 登り口。きわめて堅牢な石造りが光ります。
 子供がのぼってる姿より、ヘルメット姿の作業員が登ってる方がはるかに似合ってる感。
 大体、こういう変な物を見つけた時に、この散歩企画の醍醐味を感じるわけです(それもどうか



 さて。この後、さらに道端の案内板なども見つつ、住宅街や商店街を突っ切ってどんどん進んでいったのですが……なぜか、全然目的地に着かない事にそろそろ不安になってきました。出発前に地図で見たかぎりでは、中野駅から2km無いくらいで辿りつくはずだったのに、なんかもう体感で3km以上は歩いている気がする。さすがにおかしいぞと思って、途中にあった寝具屋さんで道を聞いてみたら……なんと、思い切り目的地から遠ざかって、もう練馬区に入っていたのでした。
 えー、はい。大体目的地を決めて向かうと、こういう体たらくなわけで。「東京彷徨」が目的地を決めないスタイルなのは、こういう事態を出来るだけ避けるためだったりします(笑)。要するに方向音痴なんだってことですが。


 とかく、仕方がないのでルートを軌道修正。目白通りを西へ移動します。


 そのまま戻るだけでは、本当にただの無駄足になってしまいますので。途中で通りかかった小規模な神社なんかにも立ち寄ってみたりしました。
 国道沿いにある、市杵島神社というところをちょっと覗きこんでみる。社殿も平成になってから建てられたらしく、敷地も元々もっと広かったのが狭められたような印象でしたが……それはそれで、不思議な雰囲気でして。



 敷地内にあった不動明王像。これは古いもののようです。素朴な造りなのが逆に惹かれます。
 それにしても、周辺に海がないように見える、こんなところになんで宗像三女神の市杵島姫が祀られているんですかね?



 途中で、江古田の森かな、という公園から、川沿いに進むルートへ入ります。妙正寺川という名前のようですが、細い支流沿いに。この川を辿れば目的地に着くはずです。さすがに川を辿る分には道を間違ったりはしないはずなので(笑)。



 江古田の森公園の裏道。こういうルートを通るのが楽しい。
 そして、ようやく目的の哲学同公園に近づいてきたかなという辺りで、思わぬ史跡にぶつかりました。



 古戦場だったそうです。
 太田道灌と豊島泰経が激戦を繰り広げた場所とのこと。思わぬところで、太田道灌にゆかりの場所にぶつかるとは。
 以前、太田道灌については本を二冊くらい読んでいたのですが、ここに立つまで縁の場所だと全然気づきませんでした。江戸城の前身を作った人物という事で、東京散歩マニア的には要チェックの人物ですね(キリッ
 まぁでも、こうやって意図していなかったものと唐突に接続されてしまうのが、散歩の楽しみだったりもします。こういう発見は嬉しい。
 そしていよいよ、目的地にたどり着きました。



 哲学堂公園は、東洋大学創始者井上円了が作った、「精神修養」のための公園。
 いわば哲学が体験できる公園、といったところでしょうか。特定のテーマを持った公園(パーク)だから、ある意味テーマパークかなw
 円了先生といえば、我々の界隈では妖怪学に取り組んだ人として有名でありまして(笑)、当時民間に言われていた怪異談妖怪談を科学的に解明して啓蒙していた人、といったイメージです。ただし、基本的に妖怪の存在を否定するべく筆を振るっていたのですが、円了先生ご自身の妖怪分類の最後に、現代の科学では分からない「真怪」という項目を設けてあるところがミソで、その精力的すぎる取り組み具合なども合わせて、妖怪好きの間では「円了先生、実は妖怪好きだったんだろう」という認識が広く共有されています(笑)。


 さて、そんな円了先生が作ったという、この哲学堂公園には前から興味がありまして。是非行ってみたいと思っていたのですが、ついにその思惑が適った形です。
 とりあえず、まずは外側から見ていきます。川を越えた向かい側に、銅像がいくつも並んだ開けた場所があったので、そちらを。



 ……なんともコメントし難い空間ですが、怪しい場所ではありません(笑)。
 左下で平伏してるのはブラハムだそうです。その他、右側から反時計回りに老子、釈迦、キリストだったかな。左側の頭大きい人は、なんか聞いたことない人でした。
 哲学者っていうか、宗教の開祖とかが多いのですけれども。



 こちらは聖徳太子さん。頭に乗ってるものの大きさも面白いですが、ひそかに足元の布が肌に密着しててセクシーなところも注目(何の話だ



 こちらは達磨大師(M氏は一目見て「誰ですかこのオビ・ワン・ケノービみたいなの」とコメント)


 ……人物のチョイスがどう見ても哲学方面じゃないのですが、どうも現地の説明板を読むに、海外の彫刻家の方が作ったものが、のちに寄贈された、という事らしいですね。
 なお、同行のM氏は、哲学の庭と言いながらソクラテスがいないといって大変憤慨しておりました(笑)。



 さて、そうこう言いつつ、いよいよ公園の中へ。
 当初の私のイメージでは、園内に世界の哲学者の像とか事績とかを紹介するスペースがいろいろあって、哲学の歴史が体感できるような場所なのかなと思っていたのですが……実際に園内を回ってみると、どうも様子が違うようで。むしろ、哲学の概念を寓意した庭園を巡って、哲学そのものを体感するという意図の様です。
 それは良いのですが……。



 こちらは、自然科学の世界を象徴する理化潭。



 唯物論的寓意をあらわす唯物園。


 ……えーと?



 こちらは、唯物園にある狸の像。



 その説明書き。
 うむ。なるほど、わからん(ぇ



 なんか、独特のネーミングがついた「哲学的名勝」がいろいろあるのですが、説明書きを見てもよく分からない(笑)。こ、これは、想像以上に上級者向けのテーマパークな模様……!



 庭園として面白い情景はいろいろあります。花の赤があざやか。



 これで哲学を体験できているのかどうかは定かではありませんが(笑)、独創的という意味では非常に面白く。適度にツッコミを入れながら、M氏と公園の内部へさらに進んでいきます。
 公園中央は小高い丘のようになっており、「経験坂」という名前の坂を登っていきますと、



 三祖苑、というそうです。黄帝、インドの足目、それにギリシャタレスだとか。
 そうそう、こういうのがたくさんあると思ってたんです(笑)。


 ここから上に登ると、公園の事務所などがありまして。そこにテニスコートなども併設されており、老若男女様々な人たちが哲学的テニスに興じていました(ぇ
 そして、この丘の上あたりに、哲学同公園でも特に見所である建築物群があります。



 こちらは哲理門。別名を妖怪門というそうで、門の中には天狗像と幽霊像が据えられています。天狗は物理的な、幽霊は心理的な不思議の象徴だそうですが……うん、やっぱり円了先生、妖怪好きなんじゃん(笑)。
 そしてこの哲理門の



 独創的な瓦。哲哲哲哲



 その他にも、歴史を感じさせる建物が園内にはあちこちにあります。
 しかし個人的に面白かったのは、円了先生の哲学に基づいた、建物のネーミングです。一番秀逸なのはやはり、園内にある図書館の名前、




 その名も「絶対城」。
 絶対の真理に到達するには読書によらねばならない、という意図だそうですが、いやそれにしてもこのネーミングセンスはすごい。私の中二病精神にビンビン響きます(笑)。なかなかこんな名前、ひねり出せませんよ、絶対城。
 なんか、90年代後半の新本格ミステリのタイトルにありそうだよね、『絶対城殺人事件』みたいなw



 他にも、四角い日本家屋の、辺ではなく頂点部分に入口が設けてある宇宙館、というのもあります。
 私は建築には明るくないので、これがどれくらい珍しい設計なのか分かりませんが。しかし見た目になかなか面白いです。



 この後、管理所で自宅と職場へのお土産に哲学堂せんべいを買い、来た時とは逆側へ丘を降りて行きますと、



 唯心園、という庭園がありました。
 先に上で見た、唯物園と対になるそうです。こちらは大きな池を配した場所。
 これも、どこがどう唯心論のイメージなのかあんまり呑み込めはしませんでしたが、小学生くらいの子供たちが哲学的名勝の中で、唯心論的虫取りなどして遊んでいるのはなかなか風情がありました(笑)。



 そんなわけで、この公園ならではのものに存分に触れて、満足したところで再び街へ出ます。ようやく、目的地を決めなくて良いいつもの東京彷徨に。


 しばらく町中を西へ移動、やがて案内板でお寺の密集地があるらしいことを知って、そちらへ足を向けました。



 途中、工事現場の中に電車の車両が一両だけ置かれているのを発見。
 実は、都内の住宅地をふらふら歩いていると、電車の車両がぽつねんと置かれている情景はけっこう見かけたりするんですよね。中にはカラオケに改造されたりしてるのもあったりしますが。中野近辺でも見つける事になりました。誰かの意図なのか、不可抗力なのか、気になる所です。



 やがて、案内板が示す場所に辿りついてみましたところ、保育園と同じ敷地にある立派なお寺に到着。



 萬昌院功運寺。
 まったく予備知識なしだったのですが、このお寺、実は忠臣蔵の敵役で有名な吉良上野介のお墓があるところなのでした。赤穂浪士の墓がある泉岳寺は有名なのですがね。


 せっかくなのでお墓の前まで(なお、チキンな私は、変なものが写ると嫌なので墓地などでは写真を撮りません、ご了承くださいw)。
 吉良家の墓の墓誌には、赤穂浪士討ち入りの時に命を落とした忠臣たちの名前が彫られていました。「吉良家側から見れば、赤穂浪士に討たれた方が忠臣なんですねぇ」などと、M氏と二人でしみじみしてみたり。
 ちなみに墓誌に載ってた「忠臣」は40名弱だったかな? しかし中には茶坊主とか、料理人なんかも居たようなので、実質戦力に換算できるのはもう少し少ないでしょう。討ち入り側の方が人数多かったのね。
 忠臣蔵は祖母が年末になると必ず見てるので私も時々見るのですが、赤穂浪士って討ち入りの時に一人も欠けてないですよね? 吉良家側も討ち入りに備えてはいたように劇中では描かれるようですが、結果的に赤穂浪士側に完封負けされた、という事なのでしょうかね。
 ともあれ、墓地の真ん中でそんなような話をしつつ、墓地内にあった他の見どころ(今川家の墓というのもありました。桶狭間の戦いで散った今川義元の今川家だったのかな?)適当なところで撤収しました。現地は歴史上の人物のお墓だけでなく、一般の家のお墓もあるわけで、こういう墓地にミーハーな理由で観光に来る事には一応、ほんのちょっぴり申し訳ない気持ちがないわけでもないのですが。しかし、こうしてまた思わぬ出会いに遭遇するのは嬉しくもあり。


 この辺りで、そろそろタイムアップ。本当は中野駅に引き返そうかという流れだったのですが、またしても道を間違えて離れた所に出てしまったので、そのまま西武線下落合駅まで歩きました。これで、この日は中野区、練馬区、新宿区の三区をまたにかけたことに。
 都内の国道というのは、どうしても単調になりがちで散歩のときにはあまり歩かない道です。道端に変な物があったり、っていう発見や遭遇が相対的に少ないからですね。
 しかしそれでも、目白通りに比べて、新宿へ近づいていく国道は、周囲の建物の背が高くなっていったりしていて、良く見ると変化が感じられるのかなというのが、この日の発見の一つでした。
 その割に、時々猛烈に古い、廃墟じみたアパートみたいなのが目に入るのも新宿区近くの国道の特徴な気がします(笑)。



 途中で見つけた、謎の巨大建造物。
 遠目に見た時はタワーパーキングかと思ったのですが(国道脇にある、こういうのっぺりした建物は大体それ)、良く見ると中央分離帯に建っているようで。一体なんだったんだろう、よくわからないままでした。
 そんな事もあります。


 このまま、下落合駅に到着。あとは新宿で夕ご飯食べてお開き、で終了になりました。



今回歩いたルートはこちら


 久しぶりの東京彷徨ですが、西東京側は相対的に、東東京に比べて、漫然と歩いた時に遭遇できるものは少ないですね。そこは仕方ないかな。
 それでも、明治の井上円了先生に、太田道灌吉良上野介と、この日もバラエティ豊かにいろんなものに出会えました。なんだかんだで、毎回いろいろな時代のいろいろな物にぶつかるというのは、東京という町も複層的に多様な歴史を内包しているのだなと。
 そして特に、やはり哲学堂公園が楽しかったのでした。公園という、誰もが利用できる場所と、円了先生のかなりマニアックなコンセプトが合わさって、他にはない独創的なスポットになってるのかなと(笑)。今回紹介したのはほんの一部で、哲学に由来する名前のつけられた地形や建物が全部で77もあるそうなので、是非ご興味のある方は実際に行って確認していただければw
 こういう、コンセプトのとんがった公園とか公共施設っていうのも、もっとあっても面白いと思うのですけどね。


 そんなところで。
 今年は、もう何回か東京彷徨をやりたいと思っています。更新ペースは相変わらずですが、どうか気長にお付き合いいただければ。