もののけ、ぞろり


もののけ、ぞろり (新潮文庫)

もののけ、ぞろり (新潮文庫)


 たまたま書店の店頭で手に取った、伝奇っぽい時代小説。
 あらすじを読んで、たまにはこういうのも良いか、と思って買ってみたのですが……ええとね、うん、実に久しぶりに……読んでて腹が立つくらい、出来の悪い作品でした(ぇ
 以下、率直な感想を述べますが、全力でネタバレしますので未読の方は注意。あと、多分ほとんど好意的な事を書かないので、既読の方も注意です(笑)。
 では。



 話の大筋としては、大坂夏の陣前後を時代背景に、徳川家康真田幸村宮本武蔵など同時代の人物が入り乱れる伝奇時代小説、といった感じなのですが。
 そういう、大本の構想自体は嫌いじゃなくて、私もそういう、同時代の様々な人物が交差する時代小説みたいなのはいずれ書いてみたいと思ってて、そういう意味で興味深くはあったのですが。
 しかしね……全体的なクオリティの面で、うーん。



 主人公兄弟は、母親を生き返そうとした「外法」の影響によって、弟が狐になってしまい、兄がそれを元に戻すため奔走する、という設定。私みたいな漫画あまり読まない人でさえ、「あれ、なんか鋼の錬金術師っぽくね?」と思ったわけですが、これはもう、巻末の解説で名前が出て来ていました(笑)。
 別にそれくらいなら良いのですよ。仮に設定を借用していたとしても、日本を舞台に新しい物語を紡いで、それがオリジナルに花開くなら、私は批判しません。
 模倣は創作の第一歩。ただね、プロが金とってるからには、相応の地力はなくちゃいけません。ところがこの作品、文章力とか、作品構成とか、セリフ回しとか、どれも酷いんだ。私が引っかかったのはそういうところです。



 たとえば。すごい強そうな敵役に、猪突猛進型の味方(チョイ役)が突っかかって行って噛ませ犬になって死ぬっていう、まぁよくある展開があるのですが(既に身も蓋もない)。
 場所は大阪城天守閣。味方が制止を振り切って大きく前に出てしまったという事で、下記のような一文が入ります。

 伊織にも《鬼火》にも、この距離から血気に逸る宗介を助けることはできない。


 この宗介というのが味方の名前です。
 上記のように本文に記述されているのですが……実際に宗介が敵に殺されるまでに、4ページ。敵と宗介との間に、3往復以上のセリフの往来があります。
 主人公(伊織)と宗介の間にどれくらい距離があるのかは明言されてませんが、双方がセリフのやり取りが出来る程度の距離ですから大して離れているはずもなく。
 描写やセリフを見るに、どう考えても上記引用文から、宗介が手遅れになるまでに1分以上は経過しています。……そんだけ時間があれば、普通に宗介さんのところに行って助けられると思うんですけれども。


 要するに、この作者さんの頭の中で、状況のシミュレートが全然なされていないのだと思うのです。
 この傾向は、後に行くとさらにエスカレートしていて、

 作兵衛は信長の脳天を目がけて刀を振り下ろす。


 という描写があるのに、その後作兵衛、信長、それに途中で間に割って入った森蘭丸との間に、やはり三往復以上の会話のやり取りが起こったりしています(笑)。振り下ろされた刀がどうなったのかは、どこにも書かれていないため、まるで刀が振り下ろされてから目標に落着するまでの刹那の間に、超早口でやり取りしているみたいな事に。
 蘭丸が刀を防いだなら、せめてそう書かなきゃ分からんと思うのですが。


 上記のように、人物の動作の描写とセリフの量や挿入場所がまるで噛み合っていないため、本作は活劇ものであるにも関わらず戦闘描写のテンポが非常に悪く、全然臨場感を出すに至っていません。先日、たまたま読んだライトノベル作品について、その戦闘描写の臨場感についてくだくだと文句をつけましたが、本作の描写力はそのような批判をする以前の問題です。人物がどこをどう動いたのか、という最低限の情報すら提供できていないのでは論外ですよ。
殺陣の組み立てにしたって、力でゴリ押ししようとして、相手の実力に抑え込まれて負ける、というワンパターン続きで、戦いの駆け引きも何もありませんし。
 あるいはライトノベル的な描写を目指さないにしても、ならば池波正太郎とか藤沢周平とかのように、短い中で剣戟の緊迫感を伝えるような、濃密な描写になっていればそれでも良いのですが……基本的に、「斬りかかった」「避けた」くらいしか書かれていないのでねぇ。



 セリフ回しも非常に単調で。上記、作兵衛と森蘭丸との間に

「化け物めッ」
「あなたは、化け物、化け物と言い過ぎです」

 というやり取りがありますが、そこからわずか5ページ後、今度は蘭丸とユキという女性キャラクターとの間で、

「化け物かッ」
「女の子に向かって、失礼な人ですね」

 ……というやり取りがあります。会話内容がほとんど同じです。かといって、あえて同じやり取りを繰り返すリフレインの効果を狙っているにしては、後者のセリフが前者と違い過ぎています。
 私の見た所では。これ、単に作者のセリフ回しの引き出しが少ないだけです。
 リフレインを狙うなら、後者のセリフの応酬に「あなたも人を化け物呼ばわりしているじゃないですか」とか、関連する言い回しにすべきですし。そうした意図がないなら、「化け物」を何か別の表現に変えたりしてバリエーションを出すべきですし。


 巻末の方に、おまけとして真田幸村とその部下で忍びの猿飛佐助の一コマが挿入されています。幸村が、佐助がお供するというのも聞かずに一人で出かけてしまう、と記述した後で。

 お天道様が沈み始める夕暮れ時になっても、幸村は帰って来なかった。探しに行こうにも、どこに行ったのか分からぬのだから、いくら佐助が手練れの忍びであろうと探しようがない。


 ……これ、編集者の人が見て、何も言わなかったんですかね。
 どこに行ったか分からないから「探す」んだろ、っていう語義のツッコミは揚げ足取り気味かも知れませんが。それにしたって、忍びはあの時代の諜報員でもあるのに、こんな太平楽な書き方で説得力が出るんでしょうか。


 正直、突っ込み始めたらキリがないところもありまして。家康の側近の柳生宗矩が、敵が常軌を逸した化け物だからといって、「私がいても戦力になりませんから」とか言って主の家康をその場に置いて天守閣の外に(部外者が入らないように)見張りに行ってしまうとかな(笑)。



 なんというかですねぇ。キャラクターの言動というのは、作中で明示されない背景まで含めた重さが担保されていて、はじめて魅力的になるのですけれども。上記のような登場人物の言動は、そこが上手く機能していない証拠のように思えます。
 この作品の著者さんは、『徳川実紀』を引用したりする程度には下調べはされているようですが。しかし、調べた事がキャラクターの行動や発言の重みとなってこなければ、ただの知識のひけらかしになってしまうわけで……。



 その他、プロット段階で「もうちょっとどうにかならないかよ」的なところ。



      ・宮本武蔵が登場するが、一度も見せ場のないままヘタレで終わる
 日本全国の宮本武蔵ファンは怒っていいw


      ・終盤まで見せ場も強さアピールもない主人公が、復活した織田信長豊臣秀吉を瞬殺。
 圧巻のメアリ・スーっぷり。秀吉に勝利してから信長を倒すまで、文庫の文字数でわずか10ページ弱(後述の九尾の狐の説明を除けば、ほとんど4〜5ページ)。
 結局、主人公がとある妖刀を持ってたという事で逆転するんですけども。しかし「すぱん」という気の抜けたオノマトペ以外に、その妖刀の凄さを特に描いていなかった。
 小説なんだから、説明するだけじゃなく描写してください。


      ・《鬼火》が実は九尾の狐だと明かされるが、どうしてそうなったのか説明はなかった
 投げっぱなしジャーマン。


      ・ヒロイン(?)の母親が瀕死の重傷を負うが、その後どうなったのか最後までまったく触れない
 けっこう重要人物のはずなのですが、最終的にその生死すら読者に伝えない投げっぱなしジャーマン。おまけとかいって猿飛佐助のエピソード書いてる場合じゃないから。


 正直、ネット上の小説SNSで、アマチュアが書いてる作品でも、もうちょっと考えて作られてるもんですが……。



 ……などと長々いろいろ書きましたけれども。
 もしこの作品が、ライトノベルレーベルのどこかで出たというのだったら、私はわざわざ長文を書いてまでこき下ろしたりはしません。何のコメントもせずに終わったでしょう。
 個人的に許容できないのは、これが新潮文庫に収録されてるって事なのです。


 もしかしたら、私の「文庫」のイメージはもう古いのかも知れませんが。
 大手出版社の文庫というのは、長く読み継がれるに値する作品を、広く提供するために廉価で提供しているのだと思っています。新潮文庫には無いようですが、各社文庫の巻末に「発刊に寄せて」といった文章が載っているわけで、そういうものだと思っていたわけでした。
 だからこそ、納得いかないのですよ。こんな作品が、司馬遼太郎とか藤沢周平とかと同じ棚に並ぶのかよ? っていう。


 なんか、なんとも、落ち着きの悪いことでした。こういう事が続くと、既に世評の高い作品や過去の名作など、安全パイ以外の作品を気まぐれに手に取るって事がなくなってしまいそうだなぁ。


 そんな感じで。