初音ミクはなぜ世界を変えたのか?


初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?


 あちこちから良い評判が聞こえてきたのと、著者による対談記事が大変面白かったので、慌てて購入。
 初音ミク登場から現在に至るまでの、受容と発展の経緯を丁寧に追ったルポルタージュです。大変面白く読みました。


 本書の基本姿勢は、初音ミクをはじめとするボーカロイドの普及や熱狂を、60年代のサマーオブラブ、80年代のセカンド・サマーオブラブに続く三度目のサマーオブラブであると見なし、音楽の長い歴史の中にボーカロイドを位置付けよう、というものです。ボカロを、インターネットが生んだ特異で孤立した文化だと見るのではなく、その背後に80年代からあったシンセサイザーやテクノ音楽などの系譜に位置付けられるはずだ、という話。
 読んでいた私の率直な感想を言えば、うん、正直「サマー・オブ・ラブ」がどういうムーブメントで、そこで何が信じられたのかという話については、ピンときませんでした。そういう事があったのか、とは思うけど、少なくとも今となっては共感とかできる話ではないなと改めて思い知らされた印象。
 とはいえ、そこに一連のボカロを巡るムーブメントを並置して示してもらった事で、ネットでゼロ年代後半に行われた熱狂もまた、孤立したミュータント的な動向だったんじゃなく、そういう過去の若者たちの熱狂と似た部分もあるんだと――要するに、そういう事は過去にもあったんだから、あの熱狂を経験した我々だけが特殊だったわけじゃないんだ、という奇妙な安心感をもたらしてもくれました。なんだ、いつの時代にもそういう熱狂って起こるんじゃん、という。


 そして、ボカロ開発から発売、その後ニコニコに発表された作品の流れ(当初はミク自身の心情をミクに歌わせるキャラクターソングだったのが、徐々に一般的な心情をミクに仮託して歌わせる流れになっていったことなど)を丁寧に追って行く仕事になっています。これは、読んでいて非常に心地よい体験でした。
 そもそも、ネット(あるいは同人)が生んだ創作物、そのムーブメントって、たとえば『アーキテクチャの生態系』のように批評の対象にされる事は近年珍しくなくなりましたが、その開発者・作家や周辺人物に丁寧にインタビューや取材を行い、受容の経緯を丁寧に跡付けたルポルタージュのような形になる事は大変少ない。ミクほど世間に浸透してもなお、本書が出るまでそうした跡付ける仕事ってあまり無かったように思います。
 本書を読みながら素朴に思ったのは、同じように、誕生と受容、ブームと一般化の経緯を綿密な取材で跡付けて欲しいジャンルはいっぱいあるよな、という事でした。私の関心がある分野でいえば東方プロジェクト、タイプムーンなどの同人発祥のコンテンツなんかがそうです。東方なんかは、ミクほどではないにせよ、ゼロ年代の文化にかなり大きなインパクトを与えたはずなのですが、その動向を総覧できる成書が無いんですよね。まともに批評した仕事すらない。
 この本が契機になって、そういう動向が後続の人たちにもちゃんと伝わるような、丁寧な仕事によって定着させられる環境が訪れる事を切に願う次第。


 ……本書の感想に戻りますと。
 表層的な流れだけではなく、具体的な作品などの名前も随時話題にあげつつ書かれているので、草創期からボカロをそれなりに観察してきた身としては読んでるだけで楽しくもありました。クリプトンの人がミク発売時の品薄状態について話す中でワンカップPの名前出したりとか(笑)。
 有名Pの名前も色々出てきます。私が思いつく中だと、ボカロ曲の物語化について語る中で悪ノPの名前が出てたら、後は大体OKな内容だったんじゃないかな、というくらい。とはいえ、「私の好きなあのPの名前が出なかった!」っていうだけで本書を批判してしまうのは、あまりにもったいない、というのも同時に思った事でした。本書はボーカロイド楽曲史ではなく、ボーカロイド受容史だからで、そこにこそ最も価値があるからです。
 本当に良い仕事をしてくれた、という感じ。今後、「ボーカロイドって何」と聞かれたら、黙ってこれを読ませればいい、という出来です。間違いなく今後ボカロを語るためには必須の本になると思います。


 そして。何よりも、最後に収録されている、クリプトン伊藤社長の話が熱すぎる(笑)。
 マジで読んでいて血圧あがって体が火照ってくるくらい、興奮しました。人類が迎えた三つの革命、農業革命・産業革命・情報革命のうち三番目の情報革命の時期に我々は差し掛かっている。その影響は現在見られている程度で終わるはずがなく、我々の生活はさらにドラスティックに変わっていく――という前提のもとに、未来のビジョンをめちゃくちゃ熱く語っているわけですよ。
 何が感動するって、今、こんなに熱く未来を語ってる大人って、もう何年も見た記憶がないのです。デフレ続きの中で定着した絶望か、軽薄な希望か、そんなのしかずっと見てなかった。かつて私が子供の頃には、「チューブの中を車が走る」みたいな科学技術の発展による明るい未来像が語られてたのです。けど、90年代の環境問題からゼロ年代の9.11、イラク戦争などを経過して、もうそんな明るい未来を熱く語る人は見えなくなってしまった。本当に、もうずいぶん長く、そういう「未来のビジョン」を聞いた記憶がない。
 そんなものに、久しぶりに出会ってしまったのでした。


 そういう熱量を置いておいても、現在のネットによる情報発信環境の普及から、「今後は田舎にこそクリエイティブな人材が必要になる」って見解はすごく慧眼だと思いますし、さらにそこから、今後はクリエイターの重要さがますます増してくるというインパクトも感じる事ができました。
 本当に、今後数十年を貫くビジョンを久々に示してもらえた気がして、何とも嬉しく。何より紛いなりにも創作をしている身として、この上なく嬉しかったですしね。よーし、頑張っちゃうぞー、とか思えたのでした。


 だから、本書はボーカロイドを巡る創作や文化を知りたい人にはもちろんですけど、広く今という時代に創作をしている人にお勧めの本だったりします。絶対、パワーをもらえるはず。


 そんな感じで。