イリアス(上・下)


イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈下〉 (岩波文庫)

イリアス〈下〉 (岩波文庫)


 先日からの古典名作を読もうキャンペーンにくわえ、それ以前から古代ギリシャ関連書をちょくちょく読んでいた流れで、思い切って読んでみました。
 どちらかというと、妖怪とか伝奇とか、そういう私の関心に近いのは『オデュッセイア』の方なんですが、まぁせっかくの機会なのでこちらから行こうかと。自分の関心に近いとか遠いとかで選んでると、いつまでたっても、いわゆる「基礎教養」ってヤツに寄りつくこともできないので。


 そんな感じで半ばヤケクソに手に取ったのですが、これが滅法面白くて嬉しい誤算でした。どうも今調べてみると、元は韻文なのを現代人が読みやすいようにあえて散文で訳したようで、お蔭で難解さや退屈さとは無縁の、楽しい読書でございました。まさか岩波文庫でこんなにエンタメ的に盛り上がって読めるとは思ってませんでしたからねぇ。


 ギリシャ神話の神々については、以前ブルフィンチの『ギリシアローマ神話』を読んでみた事があったのですが、その時はさっぱり頭に入らなかったんですよね。それが、この『イリアス』では強烈に印象付けられることに(笑)。とにもかくにも、オリュンポスの神々がやりたい放題に人間の戦争に介入しまくるので、面白いやら呆れるやら、といった感じでした。本当、神様って勝手だな!w
 アプロディテが、戦士同士の一騎打ちの真っ最中に片方をいきなり連れ去って自宅に移動させたあげく、気持ちをなだめるために神様自ら椅子を抱えて運んできて座らせるとか(笑)。他の神々の誰も逆らう事ができない圧倒的な力を持つゼウスが、奥さんのヘラの色仕掛けには瞬殺されたりとか(笑)。私の中のギリシャ神話の神々イメージが音を立てて崩れ去りましたw
 そしてまた、この界隈といえば中二病設定の故郷でもあるわけですよ。実際そのせいで、まるでライトノベルを読んでいるかのような興奮もあったり。武装を整え、ヘラの操る馬車で戦場へ降り立つアテナと、軍神アレスとの戦いとか正に最高の中二病展開。
 特に最終決戦、一時神々の戦況への介入を禁じていたゼウスがアキレウスの出陣を機に介入を解禁、そこでオリュンポスの神々が続々と戦場に降り立つという描写に私のワクワク感も最高潮に達したりしました。いやぁさすがに盛り上げ所を心得てます。楽しませてくれますよ。
 あ、あと、『Fate/stay night』でアーチャーが使う宝具「ローアイアス」の元ネタも確認。あの辺の作品の元ネタ巡りとしても悪くないです。まぁ大アイアスの使ってた盾は、あんなとんでもない代物じゃない、普通の盾でしたが。


 メインのトロイア戦争ですが、当然、有名な「トロイの木馬」も出て来るのかと思ったら、『イリアス』には出てこないんですね、あれ。原典を読んでないとこんなレベルの勘違いも平気で起こるから困る……。
 むしろこの『イリアス』自体は、特に人物描写などにものすごい写実性を感じて、そこに感嘆したりしておりました。説話集とかみたいにただ段取りを踏んでる感じじゃなくて、細かな情緒の変化を活き活きと拾ってるんですよ。ヘクトルが出陣前に妻と幼い子供と会うんですが、子供が兜をかぶってる見慣れない父親の姿を見て泣き出してしまって、それで不安を感じてた妻も思わず笑ってしまって、笑顔で見送る形になる、とか。ごく自然に情景が浮かぶわけで、とても紀元前に成立した作品とは思えないくらい。
 あと、アカイア勢の参謀役にあたる老兵ネストルが、老齢な人によくあるように自分の過去の武勇伝語らせると超長いとか(笑)。そうそうあるある、っていう人間の素朴な情緒がすごく写実的に描かれていて、とても鮮烈に印象に残りました。


 その他、そもそもの話の始まりがアカイア軍の首領であるアガメムノンアキレウスとの不和で、そのせいか冒頭でのアガメムノンのイメージが悪くて、きっと後方でふんぞりかえってる腹黒いヤツなのかと思って読んでたら、最前線でガンガン戦ってる上に、一時は戦線を押し返すくらい大奮闘してて「アガメムノン強ぇ!?」って良い意味で裏切られたり。こういうところも、現代の小説で培われた文法で先を予測してもけっこう外れるので、逆に新鮮に面白いというのもあります。


 そして戦場の描き方も、これは現代戦とは全然違う、戦争と言いながらすごく大らかな描写がされていて、そこも面白く、また嬉しく読みました。互いに一触即発な中でも、声の大きい勇士が呼びかけると全軍が一時止まって、そこから一騎打ちで戦争全体のケリをつけようって話が出来たり。また互いに戦場で名乗り合い、素性を語った所で親の世代で交流があった事が判明して、その相手と戦うのを一時中断して武具の交換をしたりとか。
 何より物語の最後、親友を討たれて荒れ狂っていたアキレウスと、敵軍トロイアの王プリアモスが、互いの感情を打ち明けて交流しヘクトルの遺体を引き渡す、という穏やかなシーンに、何とも言えない感慨を持ちました。互いに憎み合ってる敵同士ながら、互いを気遣うほどに情が流れるという。
 そもそも作中で多くの勇士が、敵に呼びかける場合でも「その容姿神のごとき○○よ」みたいに、相手を褒めるというか尊重する文言がけっこう入るんですよね。
 なんというか、フィクションだとはいえ、「戦いにまだ礼節があった時代」というのがこういう形であったのかなと想像すると、ため息が出るような心地になります。



 その他にも、書ききれないくらいたくさんの発見や感慨をもたらしてくれた、有意義な読書でした。
 引き続き、のんびり『オデュッセイア』も読んでいきたいと思います。