ロミオとジュリエット


ロミオとジュリエット (新潮文庫)

ロミオとジュリエット (新潮文庫)


 今さら読んでいるシェイクスピア作品。
 いや、うん。正直、四大悲劇とかはまだしも「今頃読んでる」と言いつつもまだ自分の中でカッコがつくかなぁ的なところはありましたが、『ロミオとジュリエット』となると……三十面さげて読んでいるというのがどうにも、恥ずかしさの方が先立つ有様です(笑)。
 実際、有名な、バルコニー上のジュリエットと庭先のロミオが語らうシーン、相思相愛である事が判明してからのセリフの応酬が激甘、だだ甘、とにかくひたすら甘い恋愛エクスキューズの応酬なわけで、うん、オッサンには辛ぇやw
 こういうのは若い時に読んでれば、まだしものめり込んで読めたのかもなと思うわけで、そういう意味でも今さら読んでる事になかなかの罰ゲーム感がありましたとさ。実際、学生時代にちゃんと読んでおかなかった自分に対する罰ゲームなんだけど。



 まぁしかし、思ってた以上にサツバツとした話で、まぁよく人死にが出ること。反目する両家の間の悲恋と聞いてはいましたが、もっと日本の昼ドラ程度のいがみ合いを想像していたら、なんかバリバリの武力闘争だったという……。
 また劇中のセリフも、一部かなりアグレッシブに卑猥で下ネタ混じりだったりしまして、おおぅシェイクスピア先生けっこうヤルじゃないの、っていうところもあり。女におっかぶさってイチモツをどうこう、というような、かなり開けっぴろげに直接的なセリフがポンポン飛び出します。
 これはやっぱり、芸術ってそんなもんで、とことん純粋で神聖な感情や心情や場面と、とことん卑俗で卑近で醜悪な感情や心情や場面と、そういう振れ幅の大きさがあるから文芸としての深みというのが出て来るんですよね。片方があるから片方が引き立つし。
 そういうところ、やっぱり重要だよなぁと思うなど。


 四大悲劇よりも前に書かれた作品という事で、人間の描き方とかもまだしも甘めなのかな、という印象はありました。最後、結局反目していた両家が和解してしまうという辺りは、悲劇的な結末の中にも多少の慰めがあるわけですが、四大悲劇になるとそんななけなしの救いすら吹っ飛んでしまうわけなので。まぁ甘いというより、人間観察の凄味、みたいなところの差なんだろうと思いますが。


 なんだかんだでのめりこんで読んでいたわけで、甘い甘いといいながら、やっぱりさすが作品としての出来は良いのだろうなと思ったりもしつつ。これで訳が良ければなぁ、というのが正直な感想でした。いや、うん、多分訳者の人なりに、日本の読者に親しみやすいようにという工夫なんだろうと思うんですが、あまり引きつけ過ぎていて。一応ヨーロッパの話なんだから、登場人物が「南無帰命頂礼」とか言い始めたら雰囲気台無しだろ、みたいな(笑)。
 あとやはり、文庫で出ている世界の名作とかは、若い人が読んですんなり分かるようになってないと困る、というところもあって。そういう意味でもこの翻訳の表現どうなんだ、と首を傾げた感じはありました。「愛しの背の君」とか言われても普通は分からんぞ、というw


 まぁ逆に、巻末の解説なんかは、こちらの訳者さんの方が面白かったりもしたんですが。


 色々書きましたけど、それなりに思うところもあり。わりと楽しんだ読書でありました。さてまだまだシェイクスピアが続くわけですが……同じ作者の作品を続けて読むのが苦手な私にしては、よく続いてるな……。