お気に召すまま


お気に召すまま (新潮文庫)

お気に召すまま (新潮文庫)


 新潮文庫版のシェイクスピア作品コンプリートを目指してちまちま読んでいるわけですが、だいぶ進んできました。こちらは喜劇作品とのこと。
 とりあえず、表紙に描かれてる道化が、『武装錬金』のパピヨンに見えて仕方がないw


 これもまた、ここまで読んできたシェイクスピア作品のどれとも違う読み味でした。なんだろう、話の主筋が立ち消えになってしまう、というか。
 序盤で、王権の簒奪や、主人公の一人オーランドーの暗殺計画の話なんかが出てくるわけです。私がこれまで読んできた作品たちであれば、この王権簒奪や陰謀を巡る動向が話のメインになって、そこを巡って登場人物たちが動き回る展開になっていたと思うのですが、この話ではそういう権力中枢を巡る闘争がいつの間にか立ち消えになってしまうのでした。
 そして、権力闘争に負けた人たちが森の中に入って、ほとんど隠遁生活を始めてしまうという。世俗の、権力を巡る悪辣な反目や陰謀が嘘のように、平和で牧歌的な会話や場面が流れていく事になります。一応、オーランドーとロザリンドの恋の行方が主筋という事になるのでしょうが、追放された公爵たちの世捨て人ぶりとか、道化タッチストーンの長口舌とか、他作品と比べて中心不在なストーリーという感じ。


 そして、そうであるがゆえに、なんか言いようのない怖さもある作品という気がしたのでした。あまり殺伐としたシーンもなく、最後はハッピーエンドに至るという喜劇作品であるのに、なんか得体の知れない怖さがあるというか。
 だってねぇ、前公爵を追放した悪辣な現公爵も、またオーランドーを殺そうとした兄のオリヴァーも、この森に入った途端にくるりと改心して善人になってしまうわけですよ。シェイクスピア作品で、悪人がこんなにあっさりと物分かりのいい善人に転向する事なんてこれまで見た限り(喜劇時代の作品ですら)ほとんど無いはずで、明らかに異様なのです。
 他にも、この森に逃れてきたのは爵位を持つ元領主を筆頭に、基本的に貴人たちなのですけれども、この森ではそういう人たちが羊飼いたちと混じって、違和感も抵抗もなく普通に溶け込んでしまう、という。ある意味すごくアナーキーというか、無秩序な空間なので。
 超常的な事は劇中に一切起こらないけど、なんかこの舞台になってる森やべぇぞ! って思いながら本を置きました。何だろうね、これ。


 メインであるロザリンドとオーランドーとの恋も、ロザリンドが男装し、男装しながら女性ロザリンドを演じるという複雑怪奇な状況になる事で、境界条件が揺さぶられてどんどん曖昧に。そして、彼女の男装が終わりを告げると同時に、物語全体が夢から醒めたように収まるべき所へストンと収まる、という展開なのでした。
 大事な事なので二回言いますが、本当、超常的な事は劇中に一切起こらないのですけれども。しかし上記のような、境界がどんどん曖昧になっていく夢か幻のような展開の中で、権力争いの敗者たちがみるみる元気を取り戻していくという、すごく不思議な話なので。「祝祭的」と表現している人がいたけれど、なんか本当、ケに対するハレを感じるストーリーでした。
 で、そういう何とも言えない空気感が、またなんとも私のお気に入りでもあり。これもまた私の好みな作品として、脳内に記録された次第でありました。
 これと作風的に似たようなものであるなら、『夏の夜の夢』も多分私の好みな作品なんだよなぁ。だからこそ、この新潮文庫シェイクスピア地帯を抜けだす、最後の一冊を『夏の夜の夢・あらし』にしようと決めているのでした。


 というわけで、次は残ってるドロドロの悲劇作品を片づけていきますよ。