スターウォーズ エピソード4,5,6



 たまたま実家に帰る機会があり、そちらでは自分のPCもなく、さて何をしようかと考えた結果、久しぶりに見返してみるか、という気になりまして、一気に3本見てみた。
 多分小学校とかそれくらいの頃に一度見ていますが、通しで見た覚えはなく、また記憶も曖昧でした。


 改めて見てみると、実にびっくりするくらいの王道ストーリーでした。平凡な青年が実は特別な血統で特別な力を持っていて、ひょんなことから世界の命運を左右するような出来事に遭遇して旅立って、修行して、みたいな。
 とはいえ、こういう場合、王道ストーリーである事は必ずしも欠点ではありません。ストーリーが王道であればこそ、視聴者は全神経を映像やアクションの良さに集中できます。


 やっぱ、映像表現はスゴイの一言でありまして。とにかく奔放な想像力が楽しい、という感じでした。これの発表年代考えると、やっぱこの映像クオリティは大したもんだよなぁ、と。
 とりあえずR2-D2が高性能すぎて笑ってしまうのですが。R2いなかったら3回くらい全滅してたよね?w
 基本的には、深く考えずに楽しく見た、っていう感じだったりします。やっぱ何度見ても、デススター表面でドッグファイトする宇宙戦闘シーンは興奮する。スターデストロイヤーの巨大さの表現とかね。その辺の圧倒的質感には、ただただため息を漏らすばかりです。


 とにかく映像全般がすごいのだけど、ただライトセイバーによるチャンバラだけは、正直日本人の目から見るとけっこうひどいよね、という感想も無いではない(笑)。なんだかんだで、日ごろ見てる何気ない時代劇の殺陣でも、その技術的蓄積ってすごいもんだなぁと逆に思うわけで、そういうのを見慣れている身としては、オビ=ワンとダース・ベイダーのチャンバラとか、子供が棒を振り回してるような趣。
 あと、フォースの力とか、念力みたいなのを除いたら極めてニュータイプっぽいよな、という(笑)。テレパシー的に相手を感じる描写が、ガンダムオタク的にはあまりにNTっぽかったのでした。まぁもちろん、時系列で言えばガンダムの方が後発作品なんで、おそらく富野監督の方が影響を受けたんでしょう。
 それにしても、未来世界を舞台にしたスペースオペラで、スターウォーズにせよガンダムにせよ、そういう「気」みたいな東洋的スピリチュアリズムが導入されて、強力なキーとしてフィーチャーされていく(しかもそれが受け入れられる)っていうのは不思議な眺めだな、と。この辺については、たしかプロの方の批評もあったように記憶していますが、今ちょっと思い出せません。


 ガンダムで言えば、0083ではアルビオンのような艦艇ですら月の重力を振り切るために推進用レーザーを外部から照射してもわらないといけなかったのに、スターウォーズでは小型攻撃機のXウィングが普通に衛星や惑星の重力振り切ってて、えらい優秀だなおい、みたいな感想もあったりしました(笑)。デススターとかでも、宇宙空間から小型機が入ってくるのを、宇宙服とか何も着ていない生身の人間が迎えてたりしてて、減圧とかどうなってんだ、みたいな事が妙に気になったり。ガンダム界隈で、設定考察と言う名の重箱の隅つつきが身についてしまうと、スターウォーズも素直に見られないぜ、みたいな状態でありました(笑)。まぁ多分、宇宙世紀世界とは比べものにならないくらい科学力の高い世界観なんでしょう、光速移動なんかもできるみたいだし……。


 そして最終的に帝国軍がほぼ粉砕され大団円になるんですが、それであちこちの惑星がお祭りムードになっているシーンで、なんかこう、いろんな意味でアメリカ映画だなーという感じも持ってしまい。
 要するに帝国軍って旧来の強圧的な、いわゆる“帝国主義”の意味の帝国で、反乱軍(or同盟軍)はそれに対して自由を掲げているわけで、つまりアメリカ的“自由”の勝利なんだなぁと。この年で見返してみると、どうもそういうところを気にしてしまうのでした。
 しかしさ、ルークの生まれ故郷でジャバ・ザ・ハットの御膝元であるタトゥイーンでも帝国崩壊を喜んでるカットがありましたけど、正直あれくらい治安が悪くてジャバみたいなのが幅利かせてる場所では、帝国崩壊ってそんなに関係ないというか、別に総出で喜ぶような事態でもなさそうだよなぁ、と思ったりするわけでした。というか、一緒に見てた弟も言ってたけど、むしろ暗躍してたジャバ・ザ・ハット一味をルークたちが潰してしまって、いわば裏社会のトップがいなくなってしまったわけで、タトゥイーンはしばらく秩序なくなって大変な状態になってるはずだよな、と(笑)。帝国が崩壊したって言われても、そんなの相対的に些事なんじゃねぇの? という気もしたり。


 以前、宮崎駿が対談の中で冗談交じりに、「スターウォーズの帝国って、あれ一体どんな悪い事したんでしょうね?」って言ってたのがけっこう印象に残ってるんですが。もちろん劇中でも反乱軍の基地の場所聞き出すために惑星一個吹き飛ばしたりしてるんだけど。反乱軍の側で、これこれこういう理由で帝国軍は良くないから叩かなければならない、って言ってるシーンは私の覚えている限りほとんど無くて、基本的には抑圧的支配をしてるから、というだけなんですよね(その辺は『Zガンダム』のティターンズとも似ているけど、あっちは紛いなりにもクワトロ演説があったわけで)。日本でもかつて、「支配」をしようとしているというだけで、倒すべき敵としての条件が満たされてしまって特に問題ない、って時代がありましたけど。なんか、そういうのを見たのが久しぶりだったので、ちょっと遠い目になってみたり(笑)。


 まぁでも、やっぱエンタテインメントとして良く出来てて、そういう点でいつ見ても楽しめる作品、という鉄板な感想は動きません。やっぱ大したもんだよ。
 そんなところ。