リチャード三世


リチャード三世 (新潮文庫)

リチャード三世 (新潮文庫)


 シェイクスピア作品も、新潮文庫で出ているものを読み進めて、残りわずか。一気に進めております。こちらは比較的初期の作品。


 いやぁ、まぁとにかく、呪詛呪詛呪詛、マシンガンのように登場人物の口から放たれる呪詛の言葉の奔流で、読んでいてクラクラするほどでした(笑)。
 要するにグロスター公リチャードという人物の奸計によって、登場人物が次々に殺されていく、という話。後年の『マクベス』や『リア王』辺りで見られた暗殺や奸計の原型のようなもので、それ自体非常に濃厚だったのですけれども。それで子や夫を殺された女性たちが、代わる代わるグロスター公に呪詛の言葉を投げかけ、その量とバリエーションの豊富なこと(笑)。胃にもたれるくらいの勢い。


 と同時に、シェイクスピア作品の「悪」というのを、ずっと考えていたのでした。これはもう、最初に『マクベス』読んだ時からずっと気になっていたのですけれども。シェイクスピア作品で奸計を巡らしたり陰謀を進めたりする人物は、自分が反倫理・反道徳的な行いをしている事に極めて自覚的で、決然と悪を為すのですよね。開き直りはしても、自己正当化したりはしていない、というか。
 そういうところが、演劇として、つまりエンタテインメントとしてのシェイクスピア劇を分かりやすい構図にしていて、観客が入り込みやすくしているというのもあるでしょうし、しかしこの『リチャード三世』にしても、『マクベス』にしても『オセロー』のイアーゴーにしても、そういう悪役こそが最も活発にアクションしていて、そういう悪を最後に誅する役の人は添え物に過ぎないわけで、退屈な勧善懲悪ものにもなっていない、というような独特の作劇のように思えます。
 いわばこの『リチャード三世』は、そういうシェイクスピア作品の特徴を最も濃厚に煮詰めた感じで、面白いけどちょっと胃にもたれる感じでした(笑)。
 あと、登場人物がべらぼうに多くて、正直かなり大変だった。史劇となると、やはり史実に見合うようにある程度登場人物を多くせざるを得なくなるんですかね。そういう部分も含めて、シェイクスピア作品の入門としてはあまり勧められないけど、より濃口のシェイクスピアを味わうには良いのかも、というような感想でした(笑)。


 さて、残り3冊。ガンガンいきますよ、っと。