用心棒



 ちょっと間が空いて久しぶりに黒澤映画の見てないやつ。
 例によって、特に難しい事を考えるでもなく、物語の導くままに笑って、ハラハラして、楽しんで見終えました。


 以前、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』を見て、後のハリウッド映画でスタンダードになっていった表現の原型みたいなものを感じたという事を書いたわけですけど、この『用心棒』には後の時代劇のスタンダードの原型を感じた気がします。状況や暴力によって抑圧されている一般民と、それを救うためにほぼ無償で剣を振るうヒーロー像。
 本当、当人の損得勘定をまったく考慮していない、市井の人たちに対するほぼ無償の善意という時代劇ヒーローの人物像ってあるわけですけど、『用心棒』でそれに改めて突き当たって、これ何だろう、と改めて思った事でした。
 近年、時代劇で比較的最近まで現役だったのは『暴れん坊将軍』とか『水戸黄門』とかで、まぁ彼らは為政者側だから、市井の問題にある程度責任があるという見方が出来るのでまだしも最近まで通用してた気がしますけど、昔はそんな筋合いの全くない浪人とかが、やっぱり損得度外視の善意で悪を懲らしてたんだよなぁと改めて考えてみると、なんだか異様な気もしてきます。彼らには、アメリカのヒーローみたいに、「自由」といった明文化された義すらパッと見で見当たらないのですよ。


 そういうところを考え始めると、まるで出口が見えないわけですけれど、まぁ映画としては普通に痛快に見られる内容でした。拳銃持った相手に、侍がどう戦うか、とか。さりげない伏線も含めてその映像捌きは流石という感じ。
 まぁ、やっぱ今日的な目で見ると不満を感じる部分もあるんですけどね。単純だけど暴れると手が付けられない亥之吉とか、でっかい木槌を武器にする巨漢の人とか、せっかくキャラが立ってるんだから最後の決着シーンをもっと印象的に描いてほしかった、的なところもあったりはします。ほとんど一瞬で全員斬ってしまうんで。
 あと、ウィキを見る限り殺陣のシーンで斬撃音が入ってるそうですけど、ほとんど分からなくて、むしろ物足りない感じがあったり。もう現代の時代劇に完全に慣らされてるので、盛大にズバっとかザクッとか音がなってくれないと、物足りないと感じる体にされてしまっております(笑)。


 まぁそんな感じで、基本的には娯楽映画として気楽に見たわけですけど。
 最後に決着がついてから、それまでほぼ屋敷にこもりきりだった名主の人が思わぬ行動をとって、そのシーンだけやたら鬼気迫る感じでした。そこだけ、本当に息を呑む映像美でした。
 『七人の侍』の時も、盗賊たちに囚われてた女の横顔が、ものすごい凄味で映ってるシーンがあって、そこだけ息を呑まされたりしたんですけど。もう、その一瞬だけで、あぁこれは名画なんだって強制的に納得させられてしまう感じ。正直、不思議です。ただ人間を映してるだけなのに、なんであんな圧倒的なシーンに結実するのか。
 やっぱりそういうところで、こりゃかなわんなぁと思わされるわけでした。