オイディプス王・アンティゴネ


オイディプス王・アンティゴネ (新潮文庫)

オイディプス王・アンティゴネ (新潮文庫)


 正直、古代ギリシャにばかり足止めされていて、これから先が長いのに大丈夫かな感はありまして、ギリシャ悲劇とかを読もうかどうかはかなり迷っていたのですが……結局読んでしまいました。あとあと、アリストテレス詩学』を読むのにも役立つでしょうし。
 もうね、生涯で、こんな気合の入った時期が二度と訪れるかどうかも定かでありませんから、手加減なしで行ったろう、という感じ。


 で、名高いオイディプス王
 まぁ有名な話であり、「エディプス・コンプレクス」なんて言葉もあるわけで、大まかな筋は知っていたわけなのですが。なので序盤は、オイディプス王の発言がことごとく自分の秘された過去に跳ね返ってくるような皮肉な内容である事に苦笑するくらいの気分で読んでいたのですが……読み進むうちに、そんな余裕がなくなってしまって、ひたすら「うわぁ」と落ち込むような感じに。
 いや、とにもかくにも、想像していた以上にエグい話でした。


 何がって、オイディプス王は基本的に国民思いの理性的な人物に描かれていて、こんなひどい目にあうほどの落ち度って特に無かったはずなのでした。もちろん、父親とは知らずに路上で相手を殺しちゃった事はあったわけですが、時代背景も含め、こんなエグい目にあうほどの重大な過失ではなかったのでしょうし。
 むしろ、テバイを襲ったスフィンクスの脅威を除いた人物でもあるという事で、本来なら英雄扱いの人物なのですね。それが、あまりにもおぞましい運命の悪戯に翻弄されるという……。


 しかし、多分それが勘所でもあるのかもなぁ、と思いながら読んでいました。
 先日シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』の感想で、アントニーをめぐる悲劇は「運命」じゃなく、本人の自業自得だからこそ感じ入るものがある、といった事を書きましたが、逆を言えばギリシャ悲劇の「悲劇」って、自業自得・因果応報の域に収まらない「運命」に翻弄されるからこそ、という面もあるのかも知れないなぁと、これを読みながら思ったりしたのでした。
 いずれにせよ、日本語では「悲劇」と訳されているトラジディは、少なくとも「ただの悲しい劇」じゃねぇな、という事は強く感じました。昨今の、CMで「思わず泣いちゃいましたー」とか観客が言ってる映画みたいな、ああいうものとは根本的に違って、何かもっとこう、おぞましい何かなのだな、という(笑)。直視する事もためらわれるような、目を覆いたくなるような、救いようのない悲しさ、という印象です。


 「アンティゴネ」の方は、こちらも大概ひどい話ではありますが(笑)、それでもまだ教訓話的な因果応報の骨格みたいなものが多少見受けられただけ、「オイディプス王」よりは平静に読めた感じはあります。とはいえこちらも、結末に至って登場人物の悲嘆のセリフが怒涛の如く五月雨撃ちにされていて、読んでいて思わず酩酊しそうな勢い。


 結果的に、読んでみて大きな感興を得たわけで、これは読んでよかったなと思えた次第です。なかなか鮮烈な読書体験でした。いやはや、古代ギリシャ、豊穣だなぁ。