コロノスのオイディプス


ソポクレス コロノスのオイディプス (岩波文庫)

ソポクレス コロノスのオイディプス (岩波文庫)


 なんだかんだで引き続きギリシャ悲劇。『オイディプス王』と同じソポクレスによる、ある意味後日談のような内容。


 これはなんか、『オイディプス王』と合わせて読むと、何とも言えない感動のある話でした。
 『オイディプス王』において、オイディプスには、あんなひどい目にあうほどの落ち度はなかったよね、という印象を前回に書いたわけですけれども。そして、因果応報ではないが故に、それがいかんともしがたい「運命」であるんだろう、という。
 そのように、運命に最悪な形で酷い目にあわされたオイディプスが、この『コロノスのオイディプス』では盲目のまま流浪の旅をしているという悲惨な状況におかれながら、けれどかえって強さを感じさせる脚本になっていて。自身を王としての立場から追放したテバイという街と、不実な自分の子たちの「運命」にむしろ積極的に関わって、自分の意志を強固に通していくのでした。あれだけ運命に祟られたのに、なおも運命と関わっていく、というプロットが鮮烈で、強く印象に残った、という感じ。


 運命論って、既に自分の人生がいろいろ決まっているとか言われるとなかなかに息苦しい感じがして。そこから抜け出すために、昨今のエンタメでは「運命は変えられるんだ」なんて主張をする主人公が出たりするわけですが、少なくとも古代ギリシャの人たちにとって、運命を変えるなんてとんでもない話なはずなんですよね。なぜなら、運命というのは多くオリュンポスの神々の意志であって、アポロンの神託をはじめ、神々の口から直接聞くものだったりするからです。そういう運命を変えようって、実質神々に逆らうようなものなので、不敬も甚だしい話になってしまう。
 実際、私がここまで読んできた古代ギリシャ叙事詩や劇を見る限り、そうした神託、運命は百発百中でありました。外れたのを見た事が無い。
 で、そのような、覆すのが事実上不可能な「運命」に対して、人間ってどうやっても主体的に関われないのかな……という点について、そうではないというところをこの『コロノスのオイディプス』で見せられた気がしたのでした。
 いや本当、これは小粒だけど豊穣な作品だと思う。なかなか楽しみました。


 というわけで、引き続きギリシャ悲劇などを読んでいくと思います。古代ギリシャ、さすがに豊穣でいろいろ読んでいても飽きないのですが、お蔭でいつまでたっても紀元前から先に進めない……w