ベイマックス

 見てきましたよ。ツイッターのTLにて、CMから想像されるのとはかなり違った熱い展開の作品だと聞かされて、興味を持ったのでした。
 結論から言うとこれは素晴らしいエンタメ作品で、私のディズニー作品イメージを完全に覆してくれた次第でありまして……端的にべた褒めしたいくらい良かったのであります。
 というわけで、以下ネタバレ全開の感想を書きますので未視聴の方はご注意を。




 完全にアメコミじゃないですか! と思ったけど、後でパンフレット見たら原作がマジでマーベルのアメコミだった。全然イメージと違ったような気がしたけど、考えてみたら『Mr.インクレディブル』とかもディズニー配給だから、前からこういう流れはあったのか……。
 いやしかし、それでもこのストーリーラインはなかなか興味深いものでした。


 どちらかというと、まず気になったのはベイマックスと共闘する仲間たちの事で。
 作中、いかにもアメコミらしくそれぞれが特殊な技で敵と戦うわけですけど、実はそこにファンタジーな能力、異世界の特殊能力みたいなのは全然介入していないんですね。冒頭でそれぞれの能力の元になる電磁場による車輪の固定とか、化学物質による物質の変性とかが紹介されていて、そのそれぞれは現代の技術から見てもそれなりに妥当性があるというか、あり得てもおかしくないレベルに設定されていて。
 で、そうした序盤で紹介された技術が各メンバーの「ヒーロー」としての能力になっているわけです。
 つまりこれって、特殊なファンタジー能力がなくても、テクノロジーによってヒーローになれるぞ、って事なんですね。それってちょっと誇張して言えば、特殊な能力のない一般人にも、ヒーローになれる道が開かれているぞという意味だと、そう感じたのでした。
 私はアメコミには詳しくないので、同様のコンセプトの作品は他にもあるのかも知れないけど、私の視界に入ってくる限りのアメコミ作品は皆なにかしら異世界とかファンタジーな能力を使ったヒーローが中心でしたし、これは日本のエンタメに目を向けてもそんなに変わらない気がする。


 その事と関連して、主人公であるヒロの人物造形にも面白さを感じていました。
 現在、日本のエンタメ作品の主流は、『ドラゴンボール』の悟空とか『ワンピース』のルフィとか、基本的に「バカなヤツの方がシンプルで強い」というコンセプトであるように私は感じていて。「頭カラッポの方が夢詰め込める」って歌詞に象徴されている気がするのですが、そういう価値観がやはり根強くある気がします。
 が、『ベイマックス』で描かれているのは、「知識と技術を持った奴が、それを賢く使うから強い」という事です。これは単なる知識偏重じゃなくて、その知識をちゃんと「賢く」使わなければいけないという事が全体のテーマになっています。
 このような主人公像を、変な屈折や、嫌らしい衒学趣味っぽいイメージ無しに、明るく描いている事に素朴な好感を持ったというのが、私の正直な感想だったわけです。


 この作品と直接関係ないけど、「頭カラッポの方が夢詰め込める」って、どうしてそういう風になったのかっていうのは結構日本の「学び」とか「知」に関する屈折を映しているよな、とも思ったりします。普通、新しい知や技術によって、出来る事や認識できる世界が広がれば、それだけ「夢」の射程範囲も広がるはずなのだけれど、なぜか日本はそのように「知」や「技術」を捉えられないままここ数十年来てしまったわけですよね。詰め込み型教育とか、いろいろ原因もあるのかも知れませんが。
 『ベイマックス』のヒロは、そうした屈託のない、純粋な知とテクノロジーへの明るい信頼を体現してくれていて、どこか眩しいような気すらしたりして。


 とはいえ、そうした諸々の事を含めて、以上のようなコンセプトを持った作品に、日本を舞台として、キャストとしてフィーチャーしてくれたっていうのは、これは光栄な事だよなとも思ったりしたのでした。本作の舞台はサンフランソーキョー、サンフランシスコと東京が合体したような街で、日本語の看板や意匠の散りばめられた場所ですし、何より主人公とその兄は日本人名を持つ人物なのでした。
 もちろん、ロボット工学が日本の専売特許でなくなって久しいですし、それは本作がちょっと前のマーベル原作の埋もれた作品であったというだけの事かも知れませんが。しかしどうあれ、日本人をフィーチャーしたキャラクターが、アメコミ的ヒーローチームに人工知能ロボットを加えた事には違いありません。


 実のところ、この作品のメインシナリオは、ほぼアメリカ的なエンターテインメントに則しているわけで、主人公や街並み、ロケットパンチのようなギミックなど表面的な要素を除けば、見た目ほど日本的な要素が取り入れられてはいないようにも思えます。
 が……この辺も私はあまり詳しくないので勘違いや無知もあるかも知れませんが、ロボットをテーマにした作品は海外にもたくさんあるにせよ、そのロボットに「善意」や「良心」を仮託する、というのは多分に日本の作品に特徴的な事だと思うのです。それは無論、『鉄腕アトム』以来の、日本独自のロボット観で。『ベイマックス』のパンフレットでは、この製作者たちが日本のロボット工学者たちにも取材し、その多くが日本の漫画などのポップカルチャーに影響されてロボット工学を志した事を知ったとコメントされています。
 で、『ベイマックス』はこの側面をちゃんと取り入れているのでした。作中、怒りに我を忘れたヒロが道を踏み外しそうになるのを、他ならぬ「人をケアするためのロボット」ベイマックスが止めて見せるわけです。
 そう考えて見ると、ベイマックスというキャラクターは(表面的な要素だけではなく、テーマ性の面でも)この作品中における日本的想像力の代表として描かれているので。
 日本のアニメや漫画が好きな人なら、この作品のそういうところに感動しないと損だと思うのですよね。


 そうしたテーマ的な部分を除いても、周到な脚本、ラストバトルでのヒロの機転と逆転劇など、エンタメとして爽快で楽しい出来でした。ベイマックスが初めて飛んだシーンの爽快感も素晴らしかったし、ずっと興奮しながら見ていた気がします。


 ちょうど私がこれを見た1月5日ごろ、ツイッターで「日本はなぜベイマックスを作れなかったのか」みたいな話題が盛り上がっていたわけですが、個人的には、この作品を見て変に危機感を高めるというのもなんか違うと思う。確かに日本のポップカルチャーが育んできた様々な要素を巧妙に取り入れている作品ですが、それと同じかそれ以上にアメリカ的なエンタメ文法にしっかりとのっている作品でもあるし。
 むしろ、「日本アニメと『ベイマックス』が共有しているモノ」「日本アニメにあって『ベイマックス』に無いモノ」「『ベイマックス』にあって日本アニメに無いモノ」をつぶさに検討する事によって、今後の日本で何をどう作っていくのか、という事に関する豊穣なヒントが得られるという、とてもポジティブに評価できる状況が出来たのだろうと個人的には思っています。
 そういうわけで、ネタバレ感想の最後に書いてもしょうがないけど(笑)、見てない人は是非見に行くべきだと思いますよ。
 そんな感じでした。