雲


雲 (岩波文庫)

雲 (岩波文庫)


 ギリシャ悲劇は読んでも良いかなと思ってましたけど、ギリシャ喜劇を果たして読もうかどうかはけっこう迷ってました。けどまぁ、せっかくなんで読み始めてしまった次第。いろいろ気になる所はありましたし。


 この作品は、なんとあのソクラテスを登場させて、そこに入門する親子の姿を通しててんやわんやの大騒ぎを風刺的に描くと言う、なかなかに一筋縄に行かない作品で。
 やはりつい先日までプラトンの著作をちまちま読んでいた身としては、登場人物によってそこで噂されているソクラテス像、および実際に登場するソクラテス像に瞠目せざるをえません。特に彼が、プラトン著作中では徹底的な姿勢で批判している「何が正しいかよりもどうやって議論に勝つかを教える人々=ソフィスト」そのものであると評されている事は、いろいろと衝撃的ではあります。
 まぁもっとも、ちょっと間をおいて考えてみるに、いかにもありそうなことでもあるので、存外に驚いたり腹を立てたりという事は無かったのも確かでした。アテネの街の片隅で借金生活に困っている一介の市民にとって、ソフィストと、それに対話を挑んでいるソクラテスとの間にどのような違いがあるかなんて見分ける必要もないし実際見分けられないのは、考えてみれば当たり前の事であって。またこの本の注釈にもあるように、ソクラテスの方法論自体かなり誤解を受けかねない側面を多分に持ってもいましたし。そういう意味では、さもありなん、という気もする。


 とはいえやはり、そこで描かれているソクラテスとその弟子たちの姿は風刺っぽく滑稽に描かれてもいて、やはりそこに作者の悪意を読みそうになっていたのですが……。


 ここで、巻末の解説を読んで、はたと膝を打ったのでした。そこで指摘されている事が、正にこの作品の印象を大きく変えてくれた次第で。
 プラトン『饗宴』に、ソクラテスと一緒の席でアリストパネスも登場しており、さらにこの『雲』の一節を引用する一幕もあったりしているけれど、この二人の間がそんなに険悪な用には描かれていない、といった傍証が挙げられており、またよくよく読んでいくと、作中でソクラテス本人が登場しているシーンでの目に見えた揶揄や風刺は、実は巧妙に回避されていたりとか。
 特になるほどと思った指摘は、読者はソクラテスを知っているからついそこにばかり注目してしまうけれど、実のところこの話の主人公はあくまで借金に困ってその踏み倒しを目論む親とそのためにソフィストに弟子入りさせられる子であって、物語は虫のいいことを考えた親父がひどい目にあうという事が一番の主題であって、その弟子入りする先のソフィストが誰かというのは、実は物語の主眼から言ってそこまで重要じゃないかも知れない、という指摘だったのでした。
 これが妥当な指摘かどうかは人によって判断が変わるかも知れませんが、個人的にはけっこうしっくりくる説明でもあり。いや、さすが岩波文庫の解説は質の良いものが多いなと感嘆した次第です。こうして、作品の見方を大きく変えてくれるというのは、良い解説だと思う。


 何より、作中のソクラテスに気を引かれず、借金踏み倒しを望む親父の行動と失敗に関する滑稽な喜劇として考えれば、すごく構成も整ってて分かりやすくて、面白い劇だなと。オチも(最後に雲の女神が言うセリフなどが)気が利いていますし。


 またソクラテスについても、正直プラトンの著作だけでは、彼が同時代の人々にどう思われ、どれくらい影響力を持っていたのかについてはかなり分からない部分が多かったのですが、アリストパネスがからかい気味にこうして劇にしてくれている事で、ようやくその辺を実感できるようになった気がしました。こんな揶揄の対象として取り上げられるくらい、ソクラテスって同時代でも知られていた人だったのですねぇ。


 そんな感じで、戸惑うところも多かったですが、むしろソクラテスの活躍した時代の姿を別側面から見られるという意味でも、なかなか面白い読書だったと思います。
 せっかくなので、このままギリシャ喜劇ももう少し読んでみようかと。