蜘蛛巣城


蜘蛛巣城 [DVD]

蜘蛛巣城 [DVD]


 ぼちぼち見ている黒澤映画。この作品はシェイクスピアマクベス』を戦国日本を舞台に移した翻案作品という事で。
 とりあえず去年シェイクスピアを読んでおいてよかった、というところ


 率直な感想を言いますとですね、めっちゃ怖い映画でした(笑)。
 『マクベス』の魔女にあたる妖婆とかも怖いんだけど、それ以上に主人公鷲津の妻が徹頭徹尾怖い。見た目はまぁ、お歯黒はじめこの時代の考証からいって当然なのかも知れませんが、発言も立ち居振る舞いも断然怖い(笑)。なんですかこれ和製ホラーですかって感じ。
 なんかこう、『マクベス』の魔女って不穏な存在ではあっても、基本的に本人たちは陽気な感じに描かれてたと思うんですが、日本を舞台にすると途端に陰鬱度が増すところ含め、いろいろと興味深かったです。物語の筋や展開自体は本家『マクベス』をほぼ忠実になぞっているだけに、余計細部の違いが面白かったり。


 自分が殺した者の血が洗っても洗ってもとれない、みたいなのも今日わりとよく見る表現ですが、大抵は言ってる本人が「血がとれない」事を罪悪感による幻覚だと自覚して恐怖してる表現になってしまう気がするのですけど、この作品だとそういう自覚なしに「いやな血だねぇ……」ってただ厭わしそうに洗い続けてる場面になってるのが、シンプルだけどメチャクチャ怖かったりして。その方が狂気の描写としてより迫ってくるんですねえ。こういうところ、やっぱりすごい。


 一方、むしろ日本を舞台に翻案したからこそ、逆に釈然としないところもありまして。
 『マクベス』において、魔女の予言に翻弄された末に破滅するマクベスの悲劇っていうのは、これはギリシャ悲劇以来の、「神意=運命から絶対に逃れられない人間の悲哀」っていうテーマ性を継承した上での表現なのだろうと思います。以前『オイディプス王』を読んだ時に、ギリシャ悲劇というのは人間の自業自得の範囲に収まらない、決定された運命によって翻弄されるところに勘所があるのだろうと思ったわけですが、シェイクスピアの悲劇も多分その文脈で読むべきなので、「森が攻めてこない限り負けない」をはじめとする意地の悪い予言にマクベスが翻弄されるのもそうした文脈を引き継いでいるのだろうと思います。
 この『蜘蛛巣城』でも、そういう段取りは引き継いでいるのですが……しかしなんか、最終的には『平家物語』的な無常観に回収されてしまうという風になっていて。
 『マクベス』では、マクベスが討ち果たされた後に王の座につく人物にもスポットがあたって、もう一度国を立て直そうみたいなエンドになるのですけど、『蜘蛛巣城』だと鷲津が死んだと同時に、いきなり時間がカッ飛んで蜘蛛巣城そのものが城跡に変わり、「妄執の行く末はいつの時代も同じ」みたいな歌が入って終わるという。一足とびに盛者必衰の理みたいなオチになるんですね。そうまとめられてしまうと、一体あの妖婆は何だったのかという話に……(笑)。


 この辺は、むしろここから逆照射して『マクベス』論が書けるところかも知れません。
 いずれにせよ、有名作品を日本を舞台に翻案するっていうのも、いろいろと別な視点が開けて面白いという感じでした。
 もちろん映像単体でも、目を見張るような迫力や演出があちこちに見られて、非常に楽しい視聴でした。
 そんな感じ。