イソップ寓話集


イソップ寓話集 (岩波文庫)

イソップ寓話集 (岩波文庫)


 基本的に、複数の本を同時並行で読み進めています。具体的には、お勤めの際、行きの電車と帰りの電車で読む本は別です。帰りの電車で難しい内容の本を読むと寝てしまうため(笑)。
 で、行きの電車の方はまだ古代ギリシャ読書から抜け出せなさそうですが、帰り電車で読む本はそろそろ古代ギリシャからの脱出を考えています。具体的には、せっかくなので岩波文庫に入ってる童話集を読んでいこうかと。
 その前段階、というか橋渡しに挟んだのがこのイソップ寓話集でした。


 寓話は作為的に作られた話であって、昔話や童話の類いとは少し扱いが違うという事ですが。基本的にはごくごく短い、大抵は数行の小話に教訓がついて一話、という感じでした。
 それにしても、大半の話が絶望的に救いが無い、というのが面白いというか、何というか(笑)。これが昔話や童話なら、一応それなりにハッピーエンドやグッドエンドが普通だと思いますが、寓話集ってとりあえずせいぜいノーマルエンドから、バッドエンドになった上で、そのようなエンドになった原因を教訓として突きつけるという、まるで某タイガー道場みたいなコンセプトなんですな(笑)。そういえば、大昔にたまたま気まぐれで読んだペローの童話も、末尾に教訓が付されているという構成でしたが、赤ずきんがオオカミに食べられたまま助けられずに終わるというバッドエンドでしたっけ。
 また、たとえば神様への誓いをちょろまかそうとする人物とかも出てくるんですが、それを見透かした人物が「神様の目はごまかしきれないぞ」的な忠告はするものの、現にそういうちょろまかしをやった本人が、話の中で具体的にひどい目にあったりする話はあまりありません。なんかこう、悪行を懲らしめるって展開が基本的に無いんですね。この辺りも、日本の説話集(特に仏教説話集)で神仏を軽んじた者がどれほどひどい目にあうかを繰り返し叩き込まれていた身としては、なんか何とも言えない落ち着かなさがあります(笑)。『日本霊異記』あたりで、神仏や僧を敬わなかった者がどれほど悲惨な目にあうことか……w


 その辺りのコンセプトの違いというのも色々面白かったのですが、一方でイソップ寓話といえば、動物です。アリとキリギリスにせよ、酸っぱいブドウにせよ、動物の擬人化に大きな特色を感じます。
 ひとつには、数行で収まるようなごく短い長さで話を完結させるために、いわば最も素朴な「キャラクター」として動物を扱うという事をしているわけでした。同じ話を人間同士の話として作る事もできるのですが、おそらく数倍の長さに膨れ上がります。その人間の性格や身分を説明しなければならないからです。そこを、動物のイメージで代用してるんですね。ライオンなら王様、狐なら悪賢い性格、ロバなら労働に従事している者、といった具合に、その動物が持っているイメージがあるから、いちいち登場人物の性格や立ち位置を説明する事を省くことができるわけでした。ネコとネズミが登場すれば、何の説明をしなくてもネコの側が捕食者だと分かる。そういう「キャラクター」性を意識的に扱うという意味で最古級の仕事だったのではないか、と思います。


 また、動物がしゃべり出す、というのは強烈な相対化でもあるんですよね。人間は牛や羊を屠殺したりハエを潰したりしますが、そういう牛や羊やハエが口をきいて人間に何か言ってきたら、いろいろと大変な事になる(笑)。一種、そういう思考実験というか、意地悪なアイロニーを含んでいるのだろうとも思います。
 実際人間同士にしたって、ある日突然、強盗の類いや権力者によってあっけなく潰されてしまう事もある。この寓話集は、そういうのを潰されるハエやこき使われるロバを描いて、その教訓を示す事によって、人間とハエやロバをさりげなく類比関係においているのでした。
 何ともはや、意地の悪い(笑)。


 そんな感じで、ある意味非常に斜に構えたスタイルではあるかと思いますが、そういうスタイルでずけずけと本質に触れてくる感じが、ある意味刺激的で楽しくもある、という読後感でした。第二部以降、あからさまにクオリティが下がるのはちょっとアレでしたが、まぁテキストの性格上仕方ないですかね。少なくとも、一部と二部以降は制作者が別だろうな、という気はしますが……。


 まぁ、そんな感じで。