マッドマックス 怒りのデス・ロード

 Twitterの私のTLで、やけに評判が良いので見てみた。
 エンジン音と爆音と発砲音が鳴り響きっぱなしのハリウッド映画です。そういえば、こういうの見るの久しぶりかも。


 まぁとりあえず何というか、作品そのものへの感想といったら一言しかないわけで。


 クレイジー


 とにかくもう、始めから終わりまでクレイジーな映画でした。核戦争後の荒野にエンジン音うならせて爆走するような映像てんこ盛りで、ウォーボーイズがモヒカン姿でないのに違和感感じるくらいの世紀末っぷりだったわけですが(笑)。そこでまた、イモータン・ジョーの軍団がV8エンジンを神と崇めてたり、原始的なんだかハイテクなんだか分からない奇想天外武器で次々アクション繰り広げたりと、何というか脳内麻薬煮詰めてガブ飲みしてるような気分にさせてくれる素敵なハイテンション映画でありました。何だこれ。
 映像もはなはだクレイジーで、登場人物たちの駆るトレーラーやバギーが砂嵐の中に突っ込むシーンあたりで私の興奮ゲージはMAXまで針が振り切れてしまって、以降計測不能でした(笑)。これは映画館で見て正解だった。休日一日まるごと吹っ飛んだけど悔いはないぜ。


 登場人物もいちいちインパクト強いわけですよ。後半出てくる婆ちゃんたちも、バイクにさっそうとまたがってガツガツ戦い始めたりしてやたらカッコいいし。
 ともかくまぁ、あらゆる方向からあらゆる角度から圧倒されて大変でした。



 ……と、まぁそれだけで感想を終わりにしても良いのですが。
 どうにもTwitter上で、この作品に関していろいろと議論があるようで、視聴前からたびたび目にしていたのでした。いわく、この作品にはストーリーらしいストーリーがなく、ひたすらアクションを詰め込んだエンタメだという意見と、いやいやこれほどしっかりストーリー組んであるだろ、って意見。あるいは、この作品はフェミニズムをはじめとしたポリティカルコレクト(政治的正しさ、配慮)を極めて意識した映画であるという意見と、こんなハチャメチャで暴力的な映画で本当にそんななの? って意見と。


 そういう議論自体に参加したいという気分は無いのですが、しかし一方で、こんな両極端な事が議論されているという、そういう議論を誘発したこの作品の構造は面白い、とも思ったのでした。
 私が見る限りでは、この映画には明確にストーリーがありますし、また政治的正しさにも最大限の配慮がなされています。配慮どころか、そうした政治的正しさに積極的に与するメッセージ性すらちゃんと内包している。
 しかし、そうであるにも関わらず、この作品はストーリー性もメッセージ性も、可能な限り隠ぺいしようとしている。そうした配慮をしていますよというサインを極力出さないように、細心の注意が払われています。だからこそ、積極的にそうしたメッセージ性を汲もうという見方をしていない人には、まるでストーリー性などほとんど無いかのように見えるという。
 個人的に、そういう作品としてのスタンスに、21世紀のエンタメのしたたかさを感じて、非常に感慨深かったのでした。


 今の時代に、作品と名の付くものを公開するにあたって、ポリティカルコレクトネスに対する配慮をまったく度外視するという事は、良くも悪くもできないでしょう。批判されたり特定視聴者が離れたりということを防止する消極的な目論見から、あるいは積極的に政治的正しさを取り入れることで表現を深める積極的な方向性まで。スタンスは様々でしょうが、まったく意識せずに作品を作るというのは、もう難しい。


 しかしですね。ではそういう「政治的正しさ」がエンタメとして面白いかというと、これはまぁ、普通は面白くないわけです。明快さが失われたり、理に落ちすぎたり、してしまう。
 そうしたジレンマに対して、この『マッドマックス 怒りのデスロード』はかなり戦略的に対処していると感じました。


 政治的正しさという尺度で見れば、イモータン・ジョーは肯定されようがない人物です。女性を性的に搾取している一点だけでも、十分すぎるくらいでしょう。そして政治的に正しくないがゆえに、イモータン・ジョーは物語の中で敗北するしかない。
 しかし同時に、では視聴者がこの物語のどこにのめり込むかって言ったら、イモータン・ジョー軍のイカレた信仰や装備なわけですよ(笑)。V8エンジンを神格化してたり、火炎放射器ついたギターかき鳴らしたりってところが、まず何よりもこの映画のぶっ飛んでる世界観の象徴なわけで。
 そういう意味で、少なくともこの作品において、政治的正しさ、それを支持するストーリーと、エンタメとしての楽しみどころとは背反している。
 ではどうするかっていうと。あらかじめ、様々な角度から徹底的に政治的正しさを確保しておいて(実際、作中での女性描写のために、フェミニズムの専門家に意見をあおいだそうな)、しかしその「正しさ」を極力隠ぺいするという、非常に屈折した事をしているわけですね。そこが、個人的にすごく興味深いところでした。


 実際、作中に、「イモータン・ジョーがいかに横暴か」「イモータン・ジョーがいかに非人道的か」という事を告発するセリフはほとんどありません。女たちが彼から逃れるという、その理由を視聴者に伝えるために最低限の情報は出てきますが、イモータン・ジョーを積極的に悪役として印象付けようとする描写やセリフは、冷静に思い返してみると驚くほど少ない。
 たとえば、スターウォーズダース・ベイダーの悪役ぶりを強調するために、彼が無意味に部下を糾弾したり殺したりするシーンがしつこいくらい入ってた事を思い返すと、イモータン・ジョーにそうした横暴を強調する場面の少ないことはお分かりになるのではないでしょうか。ウォーボーイズのニュークスは最終的にマックスたちに協力することになりますが、それとてイモータン・ジョーの横暴に反発したり愛想をつかしたりしたわけではなく、むしろ彼自身のポカが原因であって、ジョーはニュークスに失地回復の機会を与え励ましもしている、という描写です。


 結果として女たちが解放されたこと、限られた資源の占有がなくなった事など、物語の結末が迎えた状況だけを見れば、いずれも政治的に正しい。けれど、その「正しさ」をセリフとして高々と掲げたり、明言したりはしていません。むしろそういう正しさの印象を極力薄めて、政治的に正しくないぶっ飛んだ非道徳的な映画であるかのように擬態しているという。
 むしろ結論部分で政治的正しさを確保してあるからこそ、そこに至るまでのアクションを遠慮なくぶっ飛んだものに出来るという、そんな作り方が透けて見えるのでした。


 こういう屈折ぶりが、現代という時代におけるエンタメ作品の難しさを示すと同時に、この映画の強かさを感じさせる。そんな印象だったのでした。



 ともあれ。
 もう、いまだに上映している映画館は少なくなってしまいましたが。一応、TwitterのTLで「これは劇場で見るべき作品」という発言を見て映画館に行き、結果としてその事に満足している身として、やはり一応書くだけは書いておこうと思います。
 この作品見てみようかなと思った人で、まだ劇場視聴が間に合う方。映画館で見るべき。マジで(笑)。


 そんなところでした。