ゴッドファーザー



 連休をもらえたので、長めの映画をじっくり、二日間かけて見てみました。そんなわけで、マフィア映画の代表作をば。


 さすがに重厚な視聴体験で、見終えてお腹いっぱいな気分に。
 一番印象に残ったのは、マフィアというものの描かれ方そのものだったりしまして。通俗エンタメによる、「マフィアって何となく縄張り争いでドンチャカやってるイメージ」というのが恥ずかしながら大変強かったので、ドンをトップに持つ家族と、その家族を中心にした互助組織のような側面があるのだなあというのが新鮮だったのでした。中国系の人たちが同じ苗字の人同士は助け合う結社的なものを持っているというのを思い出したり。Twitterのフォロワーさんに教えてもらったところでは、もともとマフィアはイタリア系アメリカ移民が作った農協組織で、同族の互助を行っていたのが前身だとか。いやはや勉強になる次第。


 と同時に、マフィアの組織を「ファミリー」と呼ぶのも、本当に家族そのものという意味で言ってたのかと、これも本作を見てびっくりしたところ。なんかもっと、アナロジーで言ってるのかと思ってた。
 これがまた、大変に異様に見えるわけで。冒頭はファミリーの一員の結婚祝いから始まるんですけど、そこだけ見ると本当にただのハッピーな大家族の平和な風景で。しかしそれと、マフィアとしての血なまぐさい荒事の世界が同居してるのですよね。その同居具合が、なんだかシュールですらある。
 まぁ、ラストシーンなんかを見ると、むしろそこの断絶こそがテーマなのかも知れませんが。


 Wikipedia先生によれば、F・コッポラ監督は黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』冒頭を結婚披露宴のシーンで始めた事に感心して、本作の冒頭を結婚パーティーにしたとか書かれていたわけですが。『悪い奴ほどよく眠る』との共鳴関係という意味では、同作の岩淵総裁も関わってるのかもなー、とぼんやり思ったりしました。
 同作の感想でも書きましたが、岩淵総裁が総裁という肩書を背負った状態で行動している間はどんな悪辣な事もできるのに、その肩書を脱いで家にいる間はまったく平凡で憎めない父親であるというギャップにびっくりしたわけですけれども、『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネにも、似たような不自然な二つの顔の同居が匂わされているのではないか、という気がしたのでした。孫と他愛なく遊んでいる時に不意に死んでしまうという展開なんかにも、そういうギャップが潜んでいる気がする。
 まぁその二人を対比した時に、むしろ岩淵総裁が悪辣な事をする時にとる陰湿な手段と、ドン・コルレオーネの同じ悪辣でも直截な暴力と恐喝をもってするストレートな手段との対比がまた、いろいろ考えさせられるわけですが……。


 そんな感じで、色々と認識を改める機会になったという意味で、見てよかったと思えた作品でした。面白かったですし、続編も是非見たいですが……さすがにサツバツとした内容だったので、間にもう少し平和なの挟んでからにしたいなぁ(笑)。