実験医学序説


実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)


 なんか最近、人文系の本ばかり読んでいて、そろそろ少し理系の空気が吸いたくなったので手に取りました。実は以前たまたま松岡正剛「千夜千冊」でこれが取り上げられているのを読んでいて、ちょっと個人的に温めているテーマと関連が深そうだったので、いずれ手に取ろうかなと思っていたのです。


 もちろん医学は門外漢なわけで、どんなもんかなーと思っていたわけですけれど……結論から言うと大変に面白い本でした。
 一応有名な本らしいという事なんですが、どうなんでしょうかね。私は千夜千冊で見かけるまで知らなかったのですけど、そうでもないのだろうか。いや、タイトルに「医学」と入ってるんで、医学系の人しか手に取らなかったとしたら、大変にもったいないと、そう思ったからなのですが。
 「科学の考え方とはどういうものか」「科学的な方法とはどういう方法か」という事を、ここまで簡潔に説明した本は早々なかろうと思ったわけです。非常に丁寧でわかりやすいと思う。理系……そして人文系の人も、読んどいた方が良い本なのだろうと。
 端的に一般教養としてすげぇ大事な本だと思ったわけでした。


 科学の規範について述べているというと、一方ですごい堅苦しい本のように思えるわけですが、実際読んでみると案外そういう感触が無い。なんでかというに、ベルナールが根本のところで「実験者の自由」という領分をきちんと確保してるからなんだな、と思ったことでした。
 実験を行う際は、それまで自分が持っていた仮説や思い込みは捨てて虚心に起こった事をありのまま観察しなければならない。そこに観察者としての自由は無い。けれど、「どんな実験をしようか」という構想段階はどれだけ自由でも良いってベルナールは言うんですよね。既存の学説に反するからといって自分の構想を引っ込める必要も全然無いという。いざ実験を行う時に、フラットに観察ができさえするならば。
 なので、自説に固執するような学者には容赦ないけれども、どこか伸び伸びとした自由さが担保されてるように読めて、非常に心地よい読書感でした。そういうところも含めて、すごく良い本だと思った。


 また、医学関連の記述でも、けっこう面白い知見を得ることができました。特に生理学とかその辺の認識がかなりクリアになった感じ。
 動物の身体を「ミクロコスモス(小宇宙)」と言ったりしますけど、あれってただの修辞じゃなくて、正に生き物の体の中というのは「もう一つの環境(ベルナールいうところの内界)」であって、そうした内側の環境を持っている事が生命の定義ですらあるという事なのだなぁ、と。
 無生物は、外部からの刺激を受けて、それに対する反応という形でしか運動することが出来ない。ところが生物は、自分の体の中で、血流や内分泌やホルモンや神経伝達物質などの「刺激」を自前でサイクルさせることが出来るので、外部からの刺激を待たなくても自律して動くことができる、ということなのだな、と。この認識一つで、劇的に「生命」に対する認識が変わりました。実にエキサイティングな読書になったという事で、嬉しい限り。
 本書は科学の本なのでこういう話を混ぜ込むのはどうかと思いますが……しかし、道教で人間の体の各所に神格と、神様が住む宮殿の存在を仮構する考え方なんかも連想してしまいます。脳とか内臓とか、体の各所に神様が住んでいると見て、しかもその住環境としての宮殿を人体の中にあると見なすんだよね。そのような「体の中のもう一つの世界」というイメージが生まれた源流に出会ったような、そんな気分にもなったり(笑)。


 そんなわけで、タイトルから想定してたよりはるかに有意義で楽しい読書でありました。