ガリヴァー旅行記


ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)


 引き続き、実は読んでなかった有名作品を地道に読んでいくシリーズ。実はこれも読んでいなかったのだ。
 幼年期の私の書棚には、親が揃えてくれていた世界名作童話シリーズがずらっと並んでいて、大体読んだはず。当然ガリバー旅行記もあったでしょう。
 そしてまた、原作『ガリヴァー旅行記』には『天空の城ラピュタ』の空飛ぶ城の元ネタ、ラピュータが登場する事も知っていたわけで、中学高校時代をジブリ作品マニアで通していた私がこの辺読んでなかったのは怠慢なのですけれども……。でも結局あのころ、こういう作品をほとんど手に取らなかったんだなぁ。ナウシカの元ネタナウシカアが出てくる『オデュッセイア』も一昨年まで読まないままでした。
 ようやく今、手に取ったぜ。



 小人国、巨人国のあたりは、比較的平静な心境で読み進めていました。
 リリパット国では、主人公ガリヴァーの行動よりも、ガリヴァーに対する小人国側の対応の描写の方が面白かったり。作者のスウィフトは政治家を志した時期もあったとかで、その辺の描写にけっこう具体性があって興味深かったりしました。領土で巨人が捕獲された国の安全保障シミュレートみたいな感じ。
 巨人国の方もそこそこ面白く読んではいたのですが、後から思えばこの辺までが小手調べだったのかも。
 ラピュータ、バルニバービ、ラグナグを巡る第三篇は、読んでいる最中はいまいちピンと来なかったというか、腑に落ちない感覚がありました。前二つと何か空気が変わった気はするのだけれど、何がどうとは言えないような。
 第四篇のフウイヌム国渡航記を読んで、ようやく第三篇の意図も見えたような気がしたという、私にとってはそんな読書でした。


 とにもかくにも、フウイヌム国渡航記の「ヤフー」には、やっぱり唸ってしまった次第で。小説でこれほどの衝撃を受けたのは久しぶりだったし、その衝撃が動揺を経て皮肉な形で腑に落ちていく感覚は、なかなか斬新な読み味でした。これは確かにすごい。
 そこで、第三篇以降、スウィフトが読者の価値観を圧倒的な力技で相対化していこうとしていたらしい事が見えたような気がしたのでした。バルニバービ国の研究所で、研究者たちがまったく将来性の無い珍妙な研究をしている……つまりそれは、研究を重ねる事でテクノロジーが発展して文明が「進歩」していくイメージの相対化だったのでしょう。その後、ラグナグに立ち寄って不死人たちを見て、年を重ねればそれだけ知恵を充実させてより賢い賢者になれるというガリヴァーの考えが否定されることで、個人にとっても「時間を重ねればそれだけ人は進歩する」という観念を否定されることになります。
 第三篇がこうして「進歩」を否定して、そして続く第四篇が人の「理性」を相対化していくという構想だったんでしょう。
 最終的にガリヴァーが「馬に話しかける変人」へ行き着くというエンディングも含めて、まったく圧倒されるテーマの突き詰め具合でした。


 第三篇読んでる辺りで、Twitterに感想ツイートとして「スウィフトの厭世観」という書き方をしたのですけれども、第四篇を読み終えてみると、同じ厭世でもそんじょそこらの世捨て人とは厭世具合のケタが違う……というのが正直な感想でした。
 まぁ、その厭世具合にまったく完全に共感したかというと、やはり少し距離をとってもいたのですが。作中、ガリヴァーがフウイヌムたちの徳を称える文脈でソクラテスに言及するのが印象的でした。確かに考えてみれば、フウイヌムたちの国の徳はプラトン『国家』をどことなく思わせる内容でもあり(生まれた子は国が管理するとか)。そうするとまぁ、私が『国家』読んだ時にどう感じたかという辺りが、そのままガリヴァーに対する私の距離のあけ方ではあります。
 その辺、ヨーロッパの理想郷の系譜にこの作品も連ねて眺めてみてもいいのかもな、と思ったり。


 ともあれ、想像していたよりはるかに刺激的な読書でした。読んでみるものですねぇ。