歴史とは何か



 年越しに読んでたのはこれ。かなり長期間積読されていた新書。
 まぁ、歴史哲学みたいな、そっち方面もいずれ読みたいなと思ってる分野の一つだったわけです。年末の空いた期間に、その端緒を開いてみた感じでしょうか。
 Twitterなんかで歴史関係の話する時に、なんとなく、どこかで聞いたような「歴史なんて所詮勝者の歴史」とか「歴史家の主観から逃れられない」とか、その手のフレーズで済ませてしまっている自分、というのは意識していて。でもそれじゃいかんだろ、もうちょっと本気で考えてみる必要はあるんじゃない? みたいには思ってたわけです。だから歴史哲学みたいな分野には、わりと関心の一端が向いていたのでした。


 で、本書を読んでみて、とりあえず上記のようなモヤモヤに対する思考の交通整理はかなり捗った感じです。事実に語らせよ、と言っても膨大な歴史的事実の中から取捨選択をするのは歴史家だ、カエサルルビコン川と渡ったと言っても、ルビコン川を渡った人は数えきれないほどいる、その数えきれない中から「カエサルが渡った」ことだけをピックアップしているわけで、事実にだけ語らせるなどと言ったら膨大な事実の海に沈むだけである、というような話は、なるほど言われてみればという感じ。
 また、よく歴史学について「現在に役立てる」という擁護を見てて、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」みたいなフレーズを時々見かけるわけですけど、私はこの手のフレーズが実はあまりしっくりきてなくて、「歴史って何の役に立つの」という問いに対する優等生的でタテマエ的な回答なんじゃないの、みたいな感想をわりと持ってたわけですけど。ところが本書の著者によれば、むしろ「歴史上の教訓を現在に役立てる」というのは歴史学をやる上でほとんど必須のコンセプトになるというわけです。なぜなら、「現在の教訓になるような歴史を綴る」という指向性無しに、膨大な歴史的事実の中から拾うべき歴史事実を取捨選択する指針は得られないから、だと言うわけで。この辺りも、「なるほどそういう考え方があるのか」という感じでなかなか目から鱗がおちたところでした。


 他にもいろいろ細かな示唆を受けられたので、年初から収穫ある読書。嬉しい限りです。
 この調子で、どんどん行きますよっと。