悲しき熱帯

 

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

 

 

 

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

 

 

 ついにレヴィ=ストロースに着手。これももっと早く読んでおくべきだった本。

 

 噂には聞いていましたが、たしかになかなか独特の読み味の本でした。著者が南米を旅した見聞と訪れた現地民の観察、そしてその考察という内容なのですが、とにかく話があちこちに飛ぶ。急に著者がインドを訪れた時の体験の話になったり、フランスの大学にいたころのエピソードになったりする。

 話があちこちに飛んでいるのに、しかし話の本筋から外れたとか、脇道に逸れた感じが全然ないという奇妙な展開になっていて。

 ひとつには語りのトーンが一定なのが理由の一つなように感じたわけですが。タイトルの「悲しき」の部分にあたる言語は、より正確なニュアンスとしては「憂鬱な」とか「うんざりする」に近いそうで、実際この本の語り全体にそういう、なんともいえない憂鬱が常に漂っている感じ。しかもそれが単に旅が大変だからとかそういう事ではなく、これほどの苦労をしつつ学術的目的で旅をしているのに、どこか本質をとらえきれない隔靴掻痒な状況が宿命的に旅人に――それも一応”先進国”の看板を提げているヨーロッパからの旅人に――課されている、ということへの憂鬱だったりするわけで。

 そして同時に、南米の現地民だろうとフランスの市民だろうと、人間である以上、その行動や思考の本質部分については変わるところがないという視線があって、だから話があちこち飛んだとしても一貫性が崩れることが無いという側面もあるのかなと感じたのでした。実際、著者レヴィ=ストロースが本書で最初に人類学者としての観察の目を向けるのは、南米行きの船に長期間詰め込まれ続けて来たヨーロッパの人びとの行動だったりするわけですし。

 

 そして、いわゆる文化人類学批判としてこれまで小耳に挟んだような論点が、本書の時点でけっこう出てきている印象があってそれもびっくりしました。その辺の議論の歴史もあまり頭に入ってないのでもしかしたら私が混乱してるだけかも知れないけれど。

 

 あまりにも多様な側面を持っていて、旅行記として読むか文明批評として読むか学術書として読むか、なんだかつかみどころがないような印象もありましたが、その辺も含めて豊穣な本だったという感じでありました。はてさて。