西行と兼好


西行と兼好―乱世を生きる知恵 (ウェッジ選書)

西行と兼好―乱世を生きる知恵 (ウェッジ選書)


 上で書いたように、『徒然草』をずっと読んでいたので、気になってこんな関連書も読んでみたのでした。先日の神保町古本まつりで買った本。
 まぁ、正直冒頭に小松和彦先生の文章が入ってなかったら買ってなかった。


 西行と兼好を「遁世者」として括って、それぞれについて語った文章をいくつか集めて1冊の本にしているわけですが、全体に統一感とかはあまりなく。かろうじて小松センセの冒頭の文章で体裁が取れてるといった趣です。



 西行については、特に歌人としての西行についてはほとんど私は知らなかったりします。山の中で反魂の術をやって失敗したとかいう説話は中学時代から知ってるんですが(笑)。あとは『東方妖々夢』ね(ぇ


 そんな体たらくだったので、前半部については、要約すれば「やっぱ山家集くらいは読んでおくべきだよなぁ」といった程度の感慨で読み終えたわけでした。
 ただ、西行について書かれた4編のうち、最初の1編が少々ひねくれてワザと西行像を裏返すような書き方をしていますが、それも含めて、基本的に西行像というのはそんなにブレがないような気はしました。問題は後半ですよ。



 兼好法師の伝記的な部分というのは今まで全然知らなったわけなのですが。
 天皇に出仕した経験がある事は『徒然草』の内容からおおよそ推察できましたが、和歌の腕も良くて、属していた和歌の一門の中で四天王と呼ばれていたなどというのは初めて知りました。
 また、私がちまちまと『徒然草』を読んでいる間、職場の同僚が同時期に『太平記』を読んでまして。ちょうどその同僚の口から、兼好が高師直に恋文執筆を依頼され、書いたけど結局失敗したというエピソードを教わったりもしました。
 まぁ、「こんな枯れ切ったこと書いてる人に恋文なんて頼んだって、そりゃ失敗するわな」とか笑い話にしてしまいましたが。


 その辺の事情を眺めながら何となく読み進めていたのですが、本の終盤になってようやくというか、実は『徒然草』と兼好法師って、凄い本なのかもしれないと思いはじめました。
 何がって、人によって、思い浮かべている兼好像が全然違うんですよ。
 この本に文を寄せている人の間で見ても、「死を意識し続けた思索の人」「愚かと知りつつも愚かである事をなかなかやめられない、そんな人間性に自覚的だった人」「社会的にも文化的にも私生活でも、人から注目されなかった人」などなど。
 これ、いずれも『徒然草』から論拠となる文章を複数引用して来て、そこから兼好像を立ち上げてるわけです。にも関わらず、それぞれ全然別の兼好像を描き出している。
 さらに言えば、江戸時代の人々は、「色恋の道にも通じた粋な人」という兼好像を持って、戯作などにもそのような兼好が登場すると。これも『徒然草』の中にそう思わせるような文章がいくつかあるという事で。
 ことのついでに、私の目に『徒然草』の兼好がどう見えていたかは、一つ上の記事に書いた通りです。


 つまり。『徒然草』って切り取る場所によって、全然違う面が出てくるのか、と。
 それが分かってから、私の中で『徒然草』が俄然面白く感じられて来たのでした。この本が長きにわたって読み継がれてきた理由も、判然とした次第。これは多分、読み返すたびに全然違う、新しい事が取り出せる類いの本なのでしょう。


 いずれ、ある程度間をおいて、十年以上経ってからでしょうかね。もう一度、『徒然草』を読み返してみようと思ったのでした。