前回の記事の後始末


 いやはや。もうこのブログを3年以上やってますが、こんなにブクマとはてスタがついたのは初めてです(ぇ
 よりによって自分の性癖晒し記事でそうなったというのが何ともはや微妙なところ。訪問者の方々、せっかく来たんだから「東京彷徨」タグも見て行ってね!(マテ



 そんなわけで、ありがたい事にいろいろと反響をいただいたわけでした。コメント、ブクマコメ、それにトラバをくださった方の記事も面白く読ませていただきました。


 とりあえず一番辛辣だったのがこの記事で。


だからエロゲ好きはバカだってゆーとんねんwww
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20090605/p1


 草生やしまくりの文章ですが、けっこう鋭いところついてるなーと。
 確かに、前回涼しい顔で変な因果関係を説きましたが、しかし自分が性的に興奮している時には、その対象をむちゃくちゃにしてやりたいとか、そういう暴力性そのものな欲望に従っている。その事を、前回の記事では書かなかったので、そういう意味では非常に卑怯な記事でもありました。
 無意識のうちに隠ぺいしてたんだなぁ。そこまで書いちゃうと、話がさらにこんぐらがって記事がますます長くなりそうだったし。
 やっぱり見ている人は見ている。


 そもそも私の場合、性的嗜好について妙に真面目腐った語り方をするんで、それはつまり普段性に関する話をしない、忌避しがちな人を想定して書いている面がある。しかしそんなのは、エロトークが普通な男にとってはちゃんちゃらおかしい読み物であるに決まっているので。
 ていうか、パートナーに普通に恵まれてる人にとっては、童貞がくだくだ語ってるのなんて全部「酸っぱいブドウ」に聞こえるでしょうしねぇ。
 え、私? 私は童貞じゃないよ。不犯です(ぇ



 しかし、これはこれで私が普段備えてない視点をもらえたなぁと、それなりに面白く拝読したのでした。
 本当に、私にはいわゆる「ヤリチン」の価値観というのがスッポリ抜け落ちている。そこはもう少し教えてもらいたい部分でもあります。



 他に、ブクマコメなど。


>え。その流れは解るけれど、そういった経緯で「幸せなセックス」はあり得なくて、陵辱でしか性欲発散できない人の言う、「3次元では同じことやらない理論」は全く信用できないし、怖い。


 どうなんでしょうね。私が記事で言ったような事は、しょせん実際に性経験をしたら消える程度の妄念かも知れない。
 大体、実際の女性が私が言うような「性行為を拒否」するばかりなわけはない。女性にだって当然性欲はあるし。……いやあるんだろうし(実際に聞いたことはないので想像


 ですから、私が私の生身の体ごと受け入れてくれる性的パートナー(三次元)を見つければ、「幸せなセックスがありえない」という部分は崩れるだろうし。
 まあそれが見つかるかどうかがまた別問題ではあるにせよ。


 もちろん、「だから彼女作れ」って言われたら私は嫌なこったと言いたくなるわけですが(ぇ
 私はみんなが良いというものは逆に避けたくなるへそ曲がりなので。だから未だに村上春樹も読んでないよ。もろ酸っぱいブドウですが。



 で、このブクマコメを書いた人は、うん、怖がればいいと思うよ(ぇ  少なくとも隣人に殺されたりレイプされたり、尻を掘られたりする可能性はゼロじゃない。森岡先生言うところの「社会の病巣(あ、この話は後で)」も色々あるんでしょうし。
 ただ、そこで怖がるべきは、人であって作品じゃないんじゃないかなーという気も私はしています。
 もちろん、作品が人に影響を与える場合はあり得る。それを完全に否定する事は不可能だと思う。凌辱ゲームに触れて、より凌辱趣味を強めるという事だってきっとある。
 しかしそれでも、最終的に人を襲うのは、作品じゃなくて、人じゃん、って。


昔は良かった?いえ、あなたの人生の物語です - 玖足手帖(小満
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090527/1243386110



 前回の記事で私自身の鬱屈の原因として母方の祖母をあげたけど、私が犯罪に手を染めていないのも、その祖母のお陰ですよ。
「腹が減ったら、うちへ来ればいくらでも飯を食わせてやる、金がどうしてもなくなったら言えば助けてやる、だから絶対人のものに手をつけるな」。
「お前がもし人を殺すような事をしたら、首が胴についてないと思え。そのかわり、もしお前を殺すような奴がいたら、婆ちゃんがそいつを殺して婆ちゃんも死ぬ」
 こういう事を真剣に言うんだよ。


 正直、凌辱ゲーム規制によって犯罪防止効果があるかと言えば、ある程度は効果あると私は思っている。
 だから、やるならやれば良い、とも思う。
 けれどそれは、数多い誘因の一つを抑制させるに過ぎない。そして多分、根絶はできない。
 私にとって、祖母が言ってくれたような言葉でつなぎとめてくれている事に比べれば、実に瑣末だ。
 本当に防犯が目的なのなら、作品を排除するよりも、自分の子供に犯罪を起こしてくれるなという事や、お前は悪事を犯したりはしないと私は信じているよという事を、伝える方が重要な事なんだろうなとも思う。
 社会的な取り組みにしても、実行しようとしてもできない、防犯意識の高いまちづくりとか、そういうところで網を張った方が効率的だろうと思うし。


 あと、作品というのは、犯罪の誘因にもなり得るかもしれないが、同時に時代を汲み取る事が出来るもの、でもある。


殺してしまう恐怖 - カオスの縁 ――無節操日記
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080617/1213632341


 そういう意味で言えば、私は作品規制にはあまり賛成ではない。
 まあ不愉快に思う人が多いというのも分かるから、今回の事に関しては強くは言わないけれど。


 そんな感じ。



>正直これを女性に読んでおいて欲しい話かと聞かれると首をかしげざるおえない


 確かにそうかも(笑)。
 ただ、私は別に私個人の性癖を理解してほしいわけじゃないと、一応ここに繰り返しておきますね。
 良いんだよ、本人も恥さらしと承知で書いてるんだから、「変態がいる」で済ませてもらって構わない。
 けれども、一言に「凌辱趣味」と言っても、その成因は必ずしも単純であるとは限らない。そこを単に「征服欲の発露でしょ」で済ませている人がいるなら、そこで完結している思考に瑕疵を作りたかった。
 普段の私は、女性を力づくでどうこうするような(たとえば、セクハラ的な行為とか)には嫌悪の情を感じるような男なのですよ。なのに自分の性的嗜好はこの通り。であればこそ、自分自身がその落差に困惑し戸惑いもしたのです。どうも妙な屈折がある。


 たとえば、こういう事も含めて。


児童ポルノ法関連、続き
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080319/1205936459


 自分の「男性としての体」が肯定できなくなった末に、女性側のオルガズムに同調するようになってきたという。
 これは多分、私だけの話ではない。たとえばAVでも、ここ数年で「女優を椅子に固定してひたすら性的快感を送り続ける」というのがやけに増えてきています。昔はこんなのほとんどなかったハズ。


 表向きは出ていませんが、こういう妙な傾向が水面下でじわじわ広がってるんじゃないかと思うのですね。そこを視野に入れた上で考えを進める必要があるんじゃないかと、そこが前回の記事の一つの要点で。
 ぶっちゃけ私の塾時代の逸話とかそんなに重要じゃないんだけどね。削ればよかったよ(ぇ



>ちょっと待て「おかしな性嗜好はトラウマによる病気だ」みたいな物言いは、いくらなんでもどうかと


 直後の記事で書きましたが、私は自分の性的嗜好を病気だとは思っていません。むしろ、病気で片付ける気はない、というのに近い。
 まあ、前回の記事が、「社会がオレをこんな風にした!」というニュアンスを含んでしまっているのは素朴に反省。けど、恨み言ではなく開き直るのでもなく、何かを言う事の難しさよ。これでも結構気を使ったんだけどなぁ。



>これをプリントアウトして病院へ行ってみよう。楽になるよ。


 やなこった(ぇ
「その性癖を修正する方向には向かわないの?」と書かれた方もいましたが、どうも現在の私にその気はない。なぜって、今の状態でバランスが取れてしまってるから。
 生涯設計レベルで「このまま恋人を作らずに一生いく」ことを想定して生活してるし(女性とお付き合いするのに必要な諸々のコストを本代その他に回してるし。そもそもダメ男だから自分で服を買ったりもほとんどしない始末)、外から見てどうかはともかく、私は私自身がうっかり現実に性犯罪に走るリスクをほぼ感じていない。なら、どれくらい手がかかるか知らないけど、わざわざ自分の性的嗜好を方向転換する手間というのに実質興味が湧かないというのが実情。
 ……ぶっちゃけた話、それで性的嗜好が変わったら、今まで買い溜めた性欲処理用の本だのゲームだのが一旦ご破算になるわけでしょ? それもちょっと(笑)。主に金銭的に苦しい。大体において、先に性欲を解消してからでないと文章を書いたり出来ない男だから、たかが性欲処理の材料集めにあんまり時間かけたくないのですよ。
 もちろんこれも、規制に次ぐ規制で、変えざるを得なくなれば変わってくるかもしれませんが……って、これじゃ規制推進派みたいだな(笑)。
 まあでも、何人かの方がカウンセリングを勧めてくれてて、私は今の性的嗜好を病気だとは思っていないけれど、私の屈折を「治せる」というなら、どのようにして治せるのか、そのプロセスには興味あります。余裕があったら、受けてみるのも面白いかなぁ。



 最後に。あの後さらに、森岡先生からメールをいただきました。
 これも許可があるので引用。

拝見しました。おっしゃることは分かります。一言、「病巣」という言葉につい
て補足させてください。
______________

拙著「無痛文明論」などでもそうですが、私は、社会全体が「病気」だと考えて
います。個々人に病気があるのではなくて、社会全体が病気で、みんながそれに
あまり気づいていないのではということですね。

「病巣」というのは、社会規範から見たときの個人の「病巣」ではなく、われわ
れみんなが絡め取られている「病巣」です。その病巣に気づいてそこから突破し
ていくところにのみ可能性がある、というのが「無痛文明論」の主張ですし、こ
セクシュアリティの問題についても、同じことが言えるだろうと私は思ってい
ます。病んでいることこそが可能性なのです。
______________

以上、補足まで。この部分もコピペOKです。

では。

 ……との事で、森岡先生的には、私個人の嗜好を病気と表現したわけではない、と。
 ただ今回記事を書き、また皆さんのリアクションをいろいろいただいて、やっぱり「オレをこんな風にしたのは社会だ」と主張しても結局事態が好転しない、というのを改めて実感したりもして。
 社会の病巣、というのを指摘するのは有益かもしれなくて、けれど普段あまり表に出ていないから指摘しにくく、だからと自分を事例に出すと、社会に対する恨み節が混ざってしまう。ブクマコメ読んでも、お前の事なんか知らねーよ、という方も多かったし。
 マイノリティが恨み言をいくら重ねても事態は変わらない、とした時に、じゃあどうしようか、どうやって発言したら良いのかというのが昔からの私の関心事の一つで、だから『サバルタンは語ることができるか』とか素養もないのに無理やり読んで玉砕したりもしたんですが(笑)。


 けれど今回の事で、少し道が見えた気がします。私自身が書いたブクマコメ。

この記事を読んだ人の心に棘を差し込みたい。自分なりに考えないと落ち着かなくなるような、そんな棘。


 現在の考え方が当然であるとしている人たちの、その完結された、前提となっている認識に、違和感となるような小さな棘を、差しいれること。
 自分なりに考えて消化しないと落ち着かなくなるような、小さな瑕疵を作ること。
 そのような、遅効性の毒のような問いを、発する事。
 もちろん大半の人は、違和感を感じてもそのままスルーしようとする。けれど、忘れたつもりでいて、心の片隅に小さく残り続けるような、そんな静かな強い言葉で問いを発する。
 私にできる事があるとすれば、そういう事なのかも知れない。
 それがおぼろげにつかめただけでも、今回皆さんのリアクションをいただけた事は有意義でありました。
 そんなわけで、ありがとうございました。と。