機動戦士ガンダムAGE 第15話「その涙、宇宙に落ちて」
▼あらすじ
ついにアンバットに上陸したディーヴァクルー達。フリットもまた、ガンダムでアンバットの動力部を攻撃すべく潜入するが、そこでギーラ・ゾイの乗る大型MSデファースと戦闘になる。
辛くも勝利したフリットは、脱出したギーラ・ゾイを追って司令室でグルーデックたちと合流。そこで、UEが実はかつての火星移住計画の失敗で見捨てられた民、「ヴェイガン」であると知り愕然とする。そんな中、一人真実を見抜いていたグルーデックはギーラ・ゾイを射殺する事で復讐を完遂。ついにアンバット攻略戦「コウモリ退治戦役」は終結したのだった。
▼見どころ
▽最終決戦のゆくえ
フリット編の最終決戦、ガンダムの最後の相手は地球侵攻用の巨大MS「デファース」です。
すごく、大きいです。
二足歩行のシルエット、大きさ、機体中央の大型ビーム砲門など、明らかに初代ガンダムのビグ・ザムを意識していると思われます。要塞攻略戦の最終局面で出撃する状況も相似です。
とはいえ、この機体、上部に通常サイズのMSの上半身がくっついているような特異な形状をしており、そういう特徴だけ見れば
これのイメージも重ねてあるように見えます。
まぁデファースのデザインは、なんかカンガルーの子供が袋に入ってるみたいでちょっと可愛いですが(ぇ
また、ここでギーラ・ゾイは「ミューセル」と呼ばれる特殊なヘルメットを装備して出撃します。
「X領域の力を引き出すサイコメット・ミューセル……これで本物のXラウンダーにどこまで立ち向かえるか……」
以前、グルーデックより「連邦でも研究が進んでいる」と説明されたXラウンダーの能力ですが、UE側でも同様だったらしいことが見えます。このミューセルは、アセム編において重要なアイテムとして再登場するのですが、この時点で既に登場していた事がうかがえます。
こういう伏線にはぬかりがないガンダムAGE脚本ですw
そして、フリットとギーラ・ゾイが接敵し、最後の死闘を繰り広げる事になります。
なぜユリンを巻き込んだ、と詰め寄るフリット。それに対して「知ったことか、私たちの故郷ではもっと容易く命が失われているのだ!」とまるきり平行線の交わらない返答をするギーラ・ゾイ。
そしてフリットは叫ぶのでした。
この直後、再びユリンの幻影めいたシーンが挿入されます。
追いかけるフリット、消えるユリン。
このシーンも、戦闘が盛り上がったタイミングで水を差すように入る上、イメージ的にも良くある構図なので、イマイチ意味が分からないシーンに見えます。
ただ思うに、ノーラでの様子などを振り返っても、ここまでフリットは打倒UE一筋にエネルギーを傾けてきた少年で、同年代の女の子はもちろん、誰かの背をこんな風に慕って追いかけるという事をついぞしてこなかった人物でした。ファーデーンで、目の前で泣かれてしまったのでエミリーを渋々追いかけた事はありましたが……。
一方、ミンスリーで最初に再会した時、フリットは自分から能動的にユリンを追いかけ、そして声をかけています。
フリットにとって、UE打倒以外で初めて能動的に追いかけたいと思える存在がユリンだったのですが、デシルによって戦場に引き出され、失った事で、そのユリンに対する思いですら「打倒UE」という目標に収斂されてしまった形になります。
そうした「フリットにとってのユリン」を象徴的に見せるシーンではあったのだと思います。
おおよそ、このようにどん詰まりの行き詰まり状態で、フリットの戦いは一つの区切りを迎えつつありました。最後の幕引きをしたのは、この人物です。
▽グルーデック・エイノア
アンバット司令室にて、ついにギーラ・ゾイの口からUEの正体が明かされます。彼らはかつて連邦が行った火星移住計画「マーズ・バースデイ」によって送り込まれた人間であり、火星の磁気嵐による風土病「マーズレイ」によって計画が失敗した際、火星に置き去りにされたのでした。
その上、自分たちが死ねば魂は地球に帰れるという、一向一揆も真っ青の宗教的信念まで持ち合わせている始末。
またこの時、ヴェイガンの指導者の名前「イゼルカント」が初めて明かされています。
さて。この設定は、映像作品で言えば『∀ガンダム』で地球への帰還を求めて来る月の住人ムーンレィスにも似た部分がありますが、それよりも、コミック作品『機動戦士クロスボーンガンダム』に登場する木星帝国にそっくりです。おそらく直接のインスピレーション元だと思います。
『クロスボーンガンダム』は絵柄がガンダムっぽくないし、映像作品でもありませんが、シナリオは富野由悠季監督の手がけたものであり、テーマも面白く、ガンダムの歴史を考える上では非常に重要な作品です。当ガンダムAGE解説記事でも、いずれじっくり取り上げる事になると思います。
とりあえずここでは、木星帝国のMSデザインについて一つ言及しておきましょう。『クロスボーンガンダム』に登場する敵側=木星帝国の機体は、ボディ中央に機体全長を超えるほどの巨大なビームアックスを発生させるペズ・バタラなど、それまでの宇宙世紀のMSデザインやコンセプト、センスからかけ離れた異様なマシンが多数登場します。それは一面では、ガンダムっぽさを薄れさせてしまうマイナス要素でもあるのですが……しかし作品の設定と合わせてみると、地球とは大きく隔たった木星圏で長く暮らしてきた人たちが、地球圏の人々とは大きく異なるセンス・感性を持っている事を強く印象付ける働きもありました。結果として、既存の宇宙世紀のMSに対して強烈な異文化を印象付けるデザインになっていたのです。
そして、ガンダムAGEにおいても、UE及びヴェイガンの機体には異文化的なセンスが横溢しています。竜のような形に変形するガフランにしても、この回に登場したデファースにしても。また、アセム編以降で登場する機体にも同様の傾向を持つ機体が散見されます。
両者に共通しているのは、「子供向け作品らしい、モンスター的な破天荒なデザインを、異文化であるが故の感性・センスの違いによる相違と解釈し直して再登場させる」目論みです。AGEについてはどこまで成功しているかは人によって評価は違うでしょうが、フリット編前半の「ガンダムっぽくない」敵メカを、設定上でフォローしていく公算だったのは確かだと思います。
さて。
ヴェイガンの出自を滔々と語るギーラ・ゾイを前に、ミレースたちは圧倒されてしまうのですが。そんな中、まったく事実に動じない男がいました。それがグルーデックです。
彼は、このギーラ・ゾイがファーデーンなどに兵器の情報をばら撒いていた武器商人ヤーク・ドレの正体であり、さらに最初のUEによるコロニー破壊「天使の落日」でUEをコロニー内に引き入れる役割を果たしていた事も喝破します。
一応整理しておきますと、フリットにとっては漠然と「UEすべて」が復讐の対象だったのですが、グルーデックにとっては、ある意味で目の前の一人の男、ギーラ・ゾイが自身の復讐の対象になりえるという事です。
一方、フリットはギーラ・ゾイを「人間」と認めないと発言し、銃を向けます。
「貴様に撃てるのか、人間を?」
「撃てる! お前たちは、人間なんかじゃない!!」
これに対して、ギーラ・ゾイは自らフリットの持つ銃を自身の額に向けて見せます。
この瞬間のフリットの表情が見ものです。
撃てと言われて、とっさに怯んだ表情を見せる。
フリット・アスノの、ヴェイガンに対しての強硬な発言がどれほど本気なのかというのは、ストーリーが進むほどに分かりにくくなっていくのですが、ここでの表情を判断材料として外すわけにはいかないでしょう。
前回の解説で書いた通り、理念の上で「ヴェイガンは人間ではない」と結論せざるを得ない(そうでないと自分たちのやって来たことを肯定できない)フリットなのですが、実際に目の前に生身で立っているヴェイガンを、自分の手で撃てるかと言われると、戸惑いの表情が浮かびます。
それでも、このままこう着状態が続けば、やけくそででもフリットは撃ってしまったかも知れません。
もしここで、フリットがギーラ・ゾイを射殺していたら。恐らくガンダムAGEの歴史は、結末は大きく変わっていたと思われます。フリット自身にとって、それが引き返せない重要な一線だったはずだからです。
フリットにしても、他のディーヴァクルーにしても、もしここで「UEが人間だった」事に戸惑ったままギーラ・ゾイを射殺していたら、もう彼らはその事実を宙吊りにしたままにするしかありません。自分たちの行いを正当化するには、「UEは人間ではなかった事にする」しかなくなってしまいます。
しかし実際には、そうはなりませんでした。
ギーラ・ゾイを、グルーデックが射殺したからです。
UEが人間であることを最初から知っていたグルーデックは、相手が人間であると百も承知で、それでもギーラ・ゾイを「殺す」覚悟を完了している人でした。
事前にその覚悟を済ませていたグルーデックが、その場のすべてを背負い込む形で幕引きをした事が、フリットたちにとってこの上もなく重要な事だったのだと思います。
話が少し前後しますが、この戦役後、連邦に拘束されたグルーデックが、ディーヴァクルーを脅してこの作戦を実行させた、従って責は自分一人にあると証言して懲役刑に処せられた事も含め、彼はフリットたちがこの戦いで背負うはずだったものを、すべて引き受けて行ったように見えます。
この解説記事を書いている筆者は、グルーデックが誠実な善人だったとは思っていません。彼はアンバット攻略に必要な戦力であるフリットを、戦いの場に留め続け、利用していた面が確かにありました。それは過去の解説記事でも指摘してきたと思います。
しかしそのグルーデックは、「UEは人間だった」という事実が判明すると同時にディーヴァの全員が背負うハズだった十字架を、すべて一人で引き受けるという「けじめ」だけはつけていく人だった。ガンダムAGEという物語を最後まで見た後、振り返ってみた時に、このグルーデックのけじめと覚悟が、大きな意味を持っていた事が知られると思います。
ギーラ・ゾイの退場後。一同の前に、彼の息子が出てきます。
父親の死に逆上する少年に、グルーデックがかけた言葉も重い余韻を残します。
「わたしの名は、グルーデック・エイノア」
「お前の父親を殺したのは、このわたしだ。お前はわたしと同じだ。復讐という亡霊にとりつかれて、悲劇的な人生を歩め」
フリット・アスノは、恐らく、UEが自分の家族(やユリン)にしたことと、自分がUEのパイロットにしたことが同じだ、という事実を認めることが出来ていません。
しかし、「お前は私と同じだ」と言ったグルーデックには、それすらも出来ている、という事になります。
このようにして、アンバット攻略戦、後のコウモリ退治戦役が終了したのでした。
結局この、フリット編の最終話は、フリット自身の活躍よりも、グルーデック・エイノアの覚悟に焦点が集まる話であるような印象です。
戦後、ディーヴァの格納庫で、フリットは無力感に打ちひしがれています。
「結局、何もできなかった。ユリンのことも守れなかった……」
ガンダムに乗り、一騎当千の活躍をした主人公が、戦いの後に「結局何もできなかった」と述懐するというのも、考えてみれば異様な事です。
フリット編のシナリオ自体は、ファーストガンダムを多分に意識しているのですが、しかし一年戦争のアムロ・レイは、フリットと同じように心通わせられる女性を失い、また戦争の首謀者ギレンやライバルであるシャアを討ち取る事が出来なかったのですが、こうした無力感と共に終戦を迎えてはいませんでした。
逆に、アムロが最後に抱いた「僕にはまだ帰れるところがある」という充足感を、フリットは持ちません。ディーヴァそのものも、ディーヴァクルーも失われていないにも関わらず。
この、フリットの無力感が、結局はこの言葉に結実して、フリット編は終わる事になります。
この決意の行方はどうなっていくのか……というわけで、物語はいよいよ第二世代目に突入していくのでした。
のんびりペースですが、引き続きストーリーを追って行きたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。